西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

おとうさんといっしょ

2010年03月24日 19時00分00秒 | ステンショから
 阪急京都本線「茨木市(いばらきし)」駅。




 私は、父と出かけるのが嫌いだった。

 父と外出すると、行きは目的地へ一直線、帰りは家まで一直線。あまり途中で寄り道をすることがなく、下手をすると腹が減ろうが喉が渇こうがお構いなしの飲まず食わずになってしまって、大変な目に遭うのである。

 私が5~6歳の頃だったか、父が「動物園へ連れてってやろう」と言うので、一緒に家を出たことがあった。
 しかしその時私は、てっきり母も一緒に行くのだろうと思っていた。取りあえず父と家を出て、しばらく後ろを振り返り振り返りしながら歩くのだが、一向に母の姿が見えてこない。その内不安で不安で堪らなくなって、家から500メートルぐらい歩いた所で父を振り切り、泣き泣き家まで帰ってしまった。
 その後、父がオカンムリだったのは言うまでもない。

 そんな父と二人で出かけた、唯一楽しい思い出がある。
 1970(昭和45)年に開催された、日本万国博覧会でのこと。
 土曜日に仕事が半ドンで、昼過ぎに帰宅した父が、突然思いついたように言った。

「万博行こか!?」

 当時の私は、万博が大好き。事前に発売された「万博マップ」なるものを隈無く見て、会場の地図を大体暗記していた程。
 既に1度母と二人で行っていたが、また何度でも行きたいと思っていたところに父に誘われたので、もう行くしかないと思った。
 だが父の話に乗ったのは、私だけ。母も兄も急に言われても腰が重いらしく、結局私と父の二人で行くことになった。

 この時、意外や父の直線的行動が活きた。

 自宅からまずバスで四条河原町へ。阪急に乗り「茨木市」駅で降りると、駅前から会場への直通バスが出ていて、11分で会場に到着! あとは父とその場で決めた目的地、アメリカ館へまっしぐら!
 2時間ほど並んだが、お陰で展示物の目玉とも言える、月の石を見ることが出来た。それからはお隣に建つオーストラリア館、西ドイツ館、フランス館と順々に回る。

 迷うことなく即断即決、まっすぐな性格の父なればこそ、ピンポイントで見て回ることが出来たのではなかったかと、あの日の父の行動力には、心底感謝したいと思う。


 今日3月24日は、亡父の19回目の命日である。合掌。

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