西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

大垣市のフタ

2009年01月20日 13時02分00秒 | マンホール
 岐阜県大垣市(おおがきし)のマンホール。

 水門川と住吉燈台、市の花・サツキが描かれている。

 良質な地下水が豊富。水門川を中心に舟運も盛んに行われていた大垣。「水都大垣」とも呼ばれているそうだ。
 また松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を終えた地、「奥の細道むすびの地」とされ、多くの句碑や記念館もあるようだ。


 友人「k1-yanto」氏提供。お陰で地理のエエ勉強させてもろてます!

凱旋、安藤匡史!

2009年01月19日 13時20分00秒 | Weblog
 友人、安藤匡史(あんどうただふみ)君主演の映画が、現在大阪九条のシネ・ヌーヴォXで上映中!

 安藤君と出会ったのは、もう5~6年も前のこと。当時は同じ事務所に在籍していた。
 ある時代劇での京都ロケ。大雨のシーンでずぶ濡れになった後、帰りの電車で初めて話をした。
 またあるCMのエキストラに参加した時には、長い長い待ち時間に、随分と話し込んだりもしたし、可能性を感じた彼に、相当発破をかけたような記憶もある。

 偶然にも、そのCM撮影が行われたスタジオが入っている、同じビル内にある事務所に、今私はいる。そして安藤君は、今東京へと本拠を移したらしい。

 そんな安藤君主演で、我が母校大阪芸術大学のスタッフが製作した映画『ノゾミの冒険』が、今月17日(土)~30日(金)まで、大阪九条のシネ・ヌーヴォXにて上映されている。


 今からでも遅くはない。この作品で、是非ともTAの原点を探っていただきたいと思う。


『ノゾミの冒険』公式サイト
http://nozominobouken.web.fc2.com/

シネヌーヴォ
http://www.cinenouveau.com/
http://www.cinenouveau.com/x_cinemalib2009/nozomi.html

My name is MARA(JR兵庫駅)

2009年01月18日 20時53分00秒 | ステンショから
 JR神戸線「兵庫(ひょうご)」駅。

 本日、今年1本目となる自主映画の撮影が、この駅近くで行われた。

 さて伊丹映像研究会製作のそのタイトルは、『ビッグ・マン(仮)』(渋谷宗孝監督)!
 今回私が演じるのはシュチンコ……、じゃなかった主人公「真良大介(まらだいすけ)」の父親「真良小介(まらしょうすけ)」。

 いや、別にAVでもピンク映画でもないが……、ちょっとした桃色コメディ。

 まあそれで分かる人には分かっただろうと思うが、念の為、辞書からコピーしておくことにする。

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まら

【魔羅/摩羅】
大辞林 第二版より

〔梵 māra「障碍」などと訳す〕

(1)〔仏〕 人の心を迷わし修行のさまたげとなるもの。

(2)〔もと僧侶の隠語〕陰茎。男根。

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 そう言えば、軍隊経験者の亡父が、こんな歌を歌っていたなぁ!

 連隊長の魔羅見たかぁ~ 見た見たスボ魔羅だぁ~

 数少ない、亡父直伝の歌である……。どんな親子やねん


 『ビッグ・マン(仮)』は、2月完成の予定。しっかりとご想像の上、その後の公開上映をご期待あれ

課長殿へのご無礼

2009年01月12日 01時58分00秒 | Weblog
 昨年の正月、我が家に届いた1枚の年賀状を見ながら、妻は言った。

「誰これ? 知らんで!」

 差出人の名前を見ても、心当たりがないらしい。男性と女性2人の連名だったが、どちらの名前にも、記憶がないと言う。

「住所変更しました」

 ……と書かれてあった。住所はうちと同じ市内。そんな近くに、知り合いがいた覚えもない。
 だいいち私たち夫婦の新住所を知っている人自体、まだ少ないはず。それなのにその新住所へ届いた年賀状とは……? 少々気持ち悪かったが、まあ恐らく選挙関係か何かであろうと想像していた。

 そして、1年後の今年の正月元日。

「うわぁ、またこの人から来てるよ。気色悪っ!」

 まさしく去年と同じ、その人からの年賀状……。

「え? まさか? ひょっとして……?」

 首を傾げ始めていた、妻であったが……。

 3日に義父が亡くなって、6日の葬儀告別式場に、その人は現れた。
 その人こそ、妻がパート先でお世話になっている、課長さんであったのだ!

 わざわざ妻というパート従業員の為に、義父の葬儀に参列して下さった課長さん。その課長さんからの年賀状とも知らずに、昨年今年と2年も続けてお返事すら出さず。喪中になったから、来年も書けないよ。
 ああ、知らぬこととは言え、課長殿への度重なるご無礼の数々……。


 しばらくしたら、夫婦2人して、必ずご挨拶に訪問しようと思っている。


 写真は、今年の年賀状に使用したものです。

京阪奈を股に掛けて

2009年01月11日 13時27分00秒 | Weblog
 現在の室内気温、7.1℃。ベランダで洗濯物を干す手がかじかみ、鼻水が垂れてくる。
 寒い。

 年末に近鉄の初詣切符「京阪奈初詣1dayチケット」を購入していたものの、義父が死去したことで、ここまで利用する暇も無くなり、それに喪中となったので神さん参りも控えた方がいいだろうということで、切符も宙に浮いてしまっていた。
 しかもその上、人から京阪電車の優待券を貰い、この有効期限が昨日10日まで。京阪奈の方は12日まで。

 それらの切符を無駄にするのはあまりにも勿体ないので、結局私一人で全部の切符を消化利用するべく、昨日そして明日と、乗り鉄の旅を敢行することになった。
 ブログネタ「この駅で…」と「マンホール」……、普段はわざわざその為だけに行かない所へも、この機会に行っちゃえ! 暇だね~!

 そんな訳で、昨日は奈良回りで京都へ出て、大谷本廟で墓参り。その後宇治へ立ち寄ってから大阪方面へ行き、それからいったん京都へ戻った後、また奈良経由で大阪へ。ついでに阿倍野まで妻を迎えにいって帰ってきた。


 さて……、明日はどこを回ってこようかな? 寒い旅だが……。

寝屋川市のフタ

2009年01月11日 01時04分00秒 | マンホール
 大阪府寝屋川市(ねやがわし)のマンホール。

 真中に市章。
 その周りに、市の花・バラと市の木・桜が描かれている。

 市章は、カタカナの「ネ」を縦長に意匠化。下の部分を尖らせ「矢」に。左右の半円形と併せて「川」を。「寝屋川」を表している。
 市が矢のように早く円滑に発展する意味を表し、市制施行の昭和26年5月3日に制定。(寝屋川市HP参照)。


 2009(平成21)年1月10日、同市東大利町にて撮影。





 亀甲模様の真中に「ネ」の矢印マーク。
 市章の変形であろうか?


 2008(平成20)年7月18日、同市早子町にて撮影。

京阪寝屋川市駅

2009年01月09日 09時17分00秒 | ステンショから
 京阪本線「寝屋川市(ねやがわし)」駅。

 2002(平成14)年に高架駅となって以来、現在の細長いタイプの駅名表示板が使用されているが、このタイプは他の駅では見られず、京阪ではここだけ。
 字が小さくて、特に特急で通過する際などには、確認出来ず見辛い。

 寝屋川市には親戚が数件ある関係で、その家を訪問したり、確か大学入学の保証人としての署名捺印を貰いにいった時もこの駅から。

 大学を卒業した年の1985(昭和60)年12月、当時所属していた事務所からの仕事で、駅前の大利商店街(現ベルおおとし)に出向。歳末セール、サンタクロースに扮してティッシュ配りをしたり、抽選会場を手伝ったりした。当時の私は、まだ体重50kg程度の痩せ形だったので、あまりサンタクロース姿が似合わず、お客さんや商店主さんから随分指摘された思い出がある。


 先日、義父の葬儀が行われた葬祭場へ行き来した際にも、この駅を利用。また……、より思い出深い駅となった。

お疲れの出ませんように

2009年01月07日 18時39分00秒 | Weblog
 義父の通夜、葬儀告別式は、無事滞りなく終わった。

 列席者数。通夜170人、葬儀告別式109人。老人会、しかもその地域ブロックの連合会役員も務めていた義父だったので、その関係者も多かったのであろう。

 以下は、私にとっては懸案だった、親族を代表しての挨拶。勿論、書面にしてそれを朗読するという形式ではなく、メモを見ることもなく、マイク片手にその思いを語ったのであるが、ここに敢えて文章化してみることにした。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

通夜

 皆様、本日はお忙しい中、故人の為にお集まりをいただきまして、有り難うございます。

 この度は、誠に急な事でございまして、皆さま方の中にも、訃報の第一報をお聞きになったそのご自分の耳を疑ったと仰るお方も、多かったのではないでしょうか。
 私と致しましても、「ああ遅れてごめんごめん」と、照れ笑いを浮かべながら今にもその辺りから現れるような気がしてなりません。
 皆様にお別れのご挨拶も、新年のご挨拶も申し上げることなく、独り足早に旅立ってしまったそのご無礼を、恐らく故人も悔やんでいることと思われます。
 しかしながら、本日このようにたくさんの皆様方にお集まりをいただきお参りをいただきまして、故人も大層嬉しく喜んでいることと思います。
  
 そのような故人に成り代わりまして、皆さま方に、厚く御礼申し上げる次第でございます。
 本日は、誠に有り難うございました。


葬儀告別式

 只今ご紹介をいただきました、私、義理の息子の河村と申します。

 私事で恐縮ですが、私と故人の実の娘、佐佳江が結婚入籍致しましてから、この元日でマル2年を迎えたばかりでございます。つまりは私と父との親子関係も、2年で終わってしまったという訳であります。
 ご承知の通り、父はいつも大変元気で、活発で精力的に忙しくしておりました。畑仕事に旅行会にボウリングに……、その他様々な催しにも参加させていただいていたようで、お世話になった皆様も多かったことと思います。
 私ども夫婦の結婚式の時にも、「河村さん、ボウリングしゃはる? 今度いっぺん一緒に行きましょ」と、父は私を気安く誘ってくれました。しかし聞くところによれば、父を始め父のボウリングのお仲間は、皆さんアベレージが200を超える凄腕の持ち主ばかりで、以前は勝った今日は負けたと、非常にハイレベルな勝負をなさっているとか。「ああ、いつの日か父にボウリングで返り討ちに遭わされるのか」と覚悟を決めておりました私ですが、そんな覚悟の甲斐もなく、親子対決もお流れとなってしまいました。
 そんな父の忙しさを、恨むつもりは毛頭ございません。ただ、もう少し父と交流出来る時間があれば良かったのになあと、いささか残念に思っておりました。しかしながら昨日の通夜、そして今日の告別式と、お集まりをいただきました皆様方お一人お一人のお顔を拝見しておりますと、「ああ、やっぱり人付き合いって大事なもんやなあ、お父さんがそれを教えてくれてはるんやろかなあ」と感じております。
 私ども家族親族は、そのような父からの教えを受け継いで、これまでお付き合いをいただいてまいりました皆様方への、感謝の気持ちを忘れることなく、日々精進を重ねてまいりたいと思う所存です。

 父が生前お世話になりました皆様方には、心より感謝申し上げますとともに、これからも私ども家族親族への変わらぬお引き立て、ご指導ご鞭撻をお願い申し上げまして、私ども親族から皆様方へのご挨拶に代えさせていただきたいと存じます。
 皆様、この度は誠にお世話になりました。そしてそして、本当に有り難うございました。有り難うございました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 ……というのが、私の考えた全文であるが、正直に白状すれば、通夜ではここに書いた通りほぼ完璧に語ることが出来たものの、告別式ではその場の雰囲気に思わず感極まってしまって、台詞が飛んだり言葉の順番が逆になったりと、思うようにはいかず。曲がりなりにもお喋りのプロを名乗る者としては、決して満足の出来るものではなかったが、親族や来客には概ね好評だった様子。まあ、7割弱の出来といったところであろうか?

 とにもかくにも、盛大な義父の葬儀の、その一翼を担うことが出来て、私としては非常に幸せな気分である。


 義父は、大好きだった回転焼きの「御座候」と牛ステーキ弁当を携え、お気に入りだったBEGINの曲に見送られながら、旅立っていったことを付け加えておきたい。


 合掌。



 

親族代表

2009年01月04日 23時06分00秒 | Weblog
 新年早々、皆様にご心配をおかけしておりますが、義母、妻、私共々、皆元気にしております。

 義父の死因は、心筋梗塞。享年73歳。

 大晦日に兄姉の家まで自ら車を運転して、ミカンやおせち料理を届けたり、10年来役員を務めている老人会の仕事を忙しくこなした義父でしたが、元日から体調にやや変化が見られ、食欲も落ち、言動や行動もおかしくなってきていたようでした。
 そして3日の朝、義母から電話連絡を受けた妻が、昼前には実家へ。妻の顔を見た父も「皆元気か?」と声をかけてくれたそうですが、その後容体が急変。救急搬送の甲斐なく、13時15分、永眠しました。

 正月や今日の友引の影響もあったようで、スケジュールがずれこみ、結局、明日が通夜、明後日に葬儀が行われることになりました。

 通夜葬儀での私の役割は、親族代表挨拶という大役。仕事柄、人前でマイクを使ってのお喋りには慣れているものの、事が事だけに、やや気が重くもあります。


 まあ、親の最後の晴れ舞台は、息子にとってもまた晴れ舞台。思いっきりカッコよく、キメテやろうと思っています。