佐野藤右衛門と言う方が、いらっしゃいます。
ご本人はあまり好まれない呼称のようですが、櫻守として有名な方です。
佐野氏の著書に「桜のいのち 庭のこころ」というのがあって、このところなめるようにして読んでおります。
読んでいると、なんとはなしに「ああ そう そうなのね」という、かーさんの持つ桜への思いが重なります。
古老(失礼ながら)の語る言葉に、心がなじんでほぐれていくと言うか、とても穏やかな気持ちになります。

我が家には、友達からもらった実生の桜があると話したことがありますが、この子が今年で5・6年。
山桜という話ですが、4年で咲いたと言う話あり、10年はかかると言う話あり、幹が10cm位の太さにならなきゃ咲かないという話ありで、結局いつになったら咲くのやら?と言う子です。
実生で植えて二十年になると、場所にもよりますが、直径が二十センチぐらいにはなりまわすわな。そうなると、ふつうに花がさくんですね。人生と一緒でね、一番見ごろは三十年からですわ。
一概に二十年、三十年たったらといいますが、それも場所によって違うんですな。人間でもそうですやろ。自分の三十のときを振り返ってどうやったというたら、人それぞれみな違いますわ。
桜の二十年というのは、人間の二十歳ぐらいですわ。三十年になると、人がちょっと振り返る、大人の花が咲くわけです。二十年までは、体をつくていきよるんです。 それで花はつきませんね。人間でもそうなんですわ。三十年ほどすると、かかや子供ができて社会的にもやや認められるようになるやろというんです。
桜を育てるのはちょうど子供を育てるのと一緒ですわ。人間の一生とも一緒やから、自分をよう振り返って、今後をどうするとかということも、自分とよく問答して、接していったらええいうんです。
うーーーん。なるほど。確かに。
そなんです。桜って、バラとは違って、十年単位くらいで見通していかなきゃならない植物です。
バラなら、実生でも翌年咲くということはありますし、季節の丹精が翌シーズンには繁栄されます。
冬の手入れで春の芽吹きが違い、春の手入れで5月のバラシーズンの見栄えが違い、夏の手入れで秋バラが違い・・・ある意味、短期決戦。分かりやすい子供たちではあります。
その点、桜という大木になる子は、育ちも充実も時間がかかるわけで、中低木のかんきつ類より気を長く持たなくてはならないようです。
人間の1歳はウサギの8歳などと言いますが、人間と桜は同じなんですね。
となれば、うちの実生の子も、まだまだ幼稚園。 やいのやいのと言うほうが、おかしいですね。
まさに、人間の子育てと同じで、だからこそ思い入れも重くなるのかもしれません。


今年は見にいけませんでしたが、二俣川の自然公園の山桜が、まさにそれにあたります。
子供たちが幼稚園ぐらいの頃には、この桜も若くて、今思えば中学生くらいだったのかしら。
二股の若い木で、我が家の子供たちの守にはちょうど良く、登って二股にまたがったりと、よく遊んでくれました。
訪れる人には見過ごされるような桜でしたが、我が家にとってはそれが幸い、桜も一緒に笑っている気がしました。
それが今は、あたりを睥睨するほどの見事な桜になって、数えれば40代半ば過ぎと言うところでしょうか。
幹から直接花を咲かすところも見えて、それなりに老成した気配も見え隠れするようになりました。
この桜の生長を見るたびに、子供たちの大きくなってきた姿も重なります。
確かに、ひよこパパは子供もいますしね(^^)
(マンション敷地内の山桜)

もう寿命がきている木をどれだけ保護しろというたって無理やというんですわ。それはもう枯れるほうへ進んでおるのやから。人間でも五十すぎれば、あとはまあまあ、今でも残りは三十数年でっしゃろ。下降線をたどっているときは、そのようにつきおうたらよろしいんですわ。
ふと シジミに思いをはせました。 父のときに「おしまいの準備をしている」と感じたのと同じく、命あるもの、自分を含めて、いずれはそうなるのが当たり前。
「下降線をたどっているときには、そのようにつきおうたらよろしいんですわ」
この言葉が、すとんと心に落ちました。


人より長い寿命を持ち、人の言葉を話すでなく、静かに変化する樹木と言う生き物と付き合ってきたからこその、言葉である気がします。
ウサギから教えられること、桜から教えられること、心を澄ませば、人は多くのものから教えを受けることが出来るものだと、つくづく思いますね。
そうしたものに耳を貸し、目を向けると、心もとない人生が、何とはなしにゆったりと穏やかになるかもしれません。
まぁ、若い頃は、子育てやお勤めで忙しく、なかなかそうはいかないものですが(^^;;
さて、ちょっと早めの梅雨明けですが、桜はそろそろ花芽分化の季節です。
庭植えなら「ほっておけばいい」そうですが、鉢植えではそうもいかず、ご飯を上げなくてはいけません。
夏ばてしないように、ちょこっと活力剤も足したほうがいいかしら?
今度の土曜は出社日だし、日曜は実家だしで、ゆっくり付き合えるは月曜の祝日になっちゃうけど、みんないい子で待っていてね。
ご本人はあまり好まれない呼称のようですが、櫻守として有名な方です。
佐野氏の著書に「桜のいのち 庭のこころ」というのがあって、このところなめるようにして読んでおります。
読んでいると、なんとはなしに「ああ そう そうなのね」という、かーさんの持つ桜への思いが重なります。
古老(失礼ながら)の語る言葉に、心がなじんでほぐれていくと言うか、とても穏やかな気持ちになります。

我が家には、友達からもらった実生の桜があると話したことがありますが、この子が今年で5・6年。
山桜という話ですが、4年で咲いたと言う話あり、10年はかかると言う話あり、幹が10cm位の太さにならなきゃ咲かないという話ありで、結局いつになったら咲くのやら?と言う子です。
実生で植えて二十年になると、場所にもよりますが、直径が二十センチぐらいにはなりまわすわな。そうなると、ふつうに花がさくんですね。人生と一緒でね、一番見ごろは三十年からですわ。
一概に二十年、三十年たったらといいますが、それも場所によって違うんですな。人間でもそうですやろ。自分の三十のときを振り返ってどうやったというたら、人それぞれみな違いますわ。
桜の二十年というのは、人間の二十歳ぐらいですわ。三十年になると、人がちょっと振り返る、大人の花が咲くわけです。二十年までは、体をつくていきよるんです。 それで花はつきませんね。人間でもそうなんですわ。三十年ほどすると、かかや子供ができて社会的にもやや認められるようになるやろというんです。
桜を育てるのはちょうど子供を育てるのと一緒ですわ。人間の一生とも一緒やから、自分をよう振り返って、今後をどうするとかということも、自分とよく問答して、接していったらええいうんです。
うーーーん。なるほど。確かに。
そなんです。桜って、バラとは違って、十年単位くらいで見通していかなきゃならない植物です。
バラなら、実生でも翌年咲くということはありますし、季節の丹精が翌シーズンには繁栄されます。
冬の手入れで春の芽吹きが違い、春の手入れで5月のバラシーズンの見栄えが違い、夏の手入れで秋バラが違い・・・ある意味、短期決戦。分かりやすい子供たちではあります。
その点、桜という大木になる子は、育ちも充実も時間がかかるわけで、中低木のかんきつ類より気を長く持たなくてはならないようです。
人間の1歳はウサギの8歳などと言いますが、人間と桜は同じなんですね。
となれば、うちの実生の子も、まだまだ幼稚園。 やいのやいのと言うほうが、おかしいですね。
まさに、人間の子育てと同じで、だからこそ思い入れも重くなるのかもしれません。


今年は見にいけませんでしたが、二俣川の自然公園の山桜が、まさにそれにあたります。
子供たちが幼稚園ぐらいの頃には、この桜も若くて、今思えば中学生くらいだったのかしら。
二股の若い木で、我が家の子供たちの守にはちょうど良く、登って二股にまたがったりと、よく遊んでくれました。
訪れる人には見過ごされるような桜でしたが、我が家にとってはそれが幸い、桜も一緒に笑っている気がしました。
それが今は、あたりを睥睨するほどの見事な桜になって、数えれば40代半ば過ぎと言うところでしょうか。
幹から直接花を咲かすところも見えて、それなりに老成した気配も見え隠れするようになりました。
この桜の生長を見るたびに、子供たちの大きくなってきた姿も重なります。
確かに、ひよこパパは子供もいますしね(^^)
(マンション敷地内の山桜)

もう寿命がきている木をどれだけ保護しろというたって無理やというんですわ。それはもう枯れるほうへ進んでおるのやから。人間でも五十すぎれば、あとはまあまあ、今でも残りは三十数年でっしゃろ。下降線をたどっているときは、そのようにつきおうたらよろしいんですわ。
ふと シジミに思いをはせました。 父のときに「おしまいの準備をしている」と感じたのと同じく、命あるもの、自分を含めて、いずれはそうなるのが当たり前。
「下降線をたどっているときには、そのようにつきおうたらよろしいんですわ」
この言葉が、すとんと心に落ちました。


人より長い寿命を持ち、人の言葉を話すでなく、静かに変化する樹木と言う生き物と付き合ってきたからこその、言葉である気がします。
ウサギから教えられること、桜から教えられること、心を澄ませば、人は多くのものから教えを受けることが出来るものだと、つくづく思いますね。
そうしたものに耳を貸し、目を向けると、心もとない人生が、何とはなしにゆったりと穏やかになるかもしれません。
まぁ、若い頃は、子育てやお勤めで忙しく、なかなかそうはいかないものですが(^^;;
さて、ちょっと早めの梅雨明けですが、桜はそろそろ花芽分化の季節です。
庭植えなら「ほっておけばいい」そうですが、鉢植えではそうもいかず、ご飯を上げなくてはいけません。
夏ばてしないように、ちょこっと活力剤も足したほうがいいかしら?
今度の土曜は出社日だし、日曜は実家だしで、ゆっくり付き合えるは月曜の祝日になっちゃうけど、みんないい子で待っていてね。