チーママの庭とウサギたち

チーちゃんのママことチーママです。植物とウサギと戯れ、マイペースでハンドメイドをしています。

自然にマニュアルはありませんな

2013-07-23 20:14:19 | ウサギ
一行一行なめるようにして読んでいる「桜のいのち 庭のこころ」(佐野藤右衛門著)ですが、今日はタイトルの一節を。

最近は何でもかんでもマニュアルというものをつくりすぎです。何かするときに、マニュアルというのか、あまりにも型にはまったことをつくってやるもんやから、おかしいになるんですわ。木の手当てのマニュアルをつくるのやったら、その木だけのマニュアルをつくらんとあきませんのや。百種類あったら百のマニュアルをつくらないといけません。木は同じマニュアルで、いくつもには適応しませんのやから。

木は一本一本ぜんぶ違う。形状が違えば、寸法も違う。土も芽も、みな違うんですわ。どれにでも使えるマニュアルというのは不可能ですわ。やっぱり木の一つひとつの顔色を見てやらなしゃあないですわ。マニュアルというものは同じことしかできないのやからね。
化学とか電気とかいう工場ではスイッチ一つ間違えたら大変なことになるから、マニュアルどおりにやらないとあきませんけどね。それは、あくまでも人間がつくっているものやから人間が手順を決めていかんことにはしかたがないけども、自然界にはマニュアルは絶対通用しません。
前の年と今年ではぜんぜん違うのやから。こういうことは教わらんでも自然相手の職人は経験から身についているんです。マニュアルを読んで覚えるんやなくて、身体で、肌で、経験を通して覚えます。
同じだということを覚えるんやなくて、いつも違う、違うからどうしたらいいかを考えるんです。これが実務というものです。



この「木」の部分を「うさぎ」に置き換えると、しごく納得してしまうのは、かーさんだけでしょうか?(笑)
(ウサギだけではありません、一緒に暮らす動物や、子供に置き換えてもいいでしょう。)

命あるもの、一つ一つが体型や体質が違います。
犬や猫といった種別ごとにも、ウサギと言う一種の中の個体差であっても。
暮らしている環境や、飼い主も違います。
だから、「こうしたら大丈夫」という絶対的なマニュアルは、ないと思っています。

(こうしてみると、デラックスほどではないように見えます:笑)


(久しぶりにベッドの上で、伸ばし伸ばしして遊んでいました♪)




ウサギを飼い始めた当初は、「こうあるべきだ」とか「こうじゃないと、こんなになる」とか、「絶対ダメ」とか「これをしなくちゃ」とか、あちこちから集めたマニュアルで、頭がぐるぐるになります。

もちろん桜だって、嫌地性(桜が植わっていた場所に桜を植えるを嫌う)とか、日当たりを好むとか、基本的なものはあります。
そして、ベテランの人なら木の幹や葉や枝振りを見て、何がたりないとか、何がいけないとか見当もつきます。

うさぎも、基本抱っこが嫌いとか、個別飼いだとか、縄張り意識が強いとか、もって生まれた基本があります。
経験がある人ならば、ウサギを見て分かる部分や、環境によって影響されている部分も見当がつきます。

当然獣医さんは、今までの経験などを踏まえて、治療方針を立て、効果を期待して投薬します。
あるいは、必要なら手術などの直接的な治療もします。
でもそれは「これで絶対」と言うものではないことを、飼い主は承知すべきなのです。
同じ処置をしても、期待通りの効果がでなかったり、違う結果になる可能性もある。


(うふふん♪ やっぱり かわいいこゆき♪)



佐野氏の文章を借りれば
「前の年と今年では、シジミだってぜんぜん違うのだから。マニュアル探して、そのとおりにやるんじゃなくて、日々の世話から肌身を通して違いを感じて、じゃあどうしたらいいんだろう?と考えることが、命を守ると言うこと」
になるでしょうか。

つまり、自分のウサギについて、一番良く知っているのは飼い主だと思うのです。
獣医さんは、あくまでもかーさんをサポートしてくれる存在。
投薬したり治療するのは、資格が必要ですしね。
でも 何が起こっていて、何が必要か、どうしたらいいか、知ろうとして理解して納得することが大事だと思うんですよね。
自分の子を、人に丸投げはいけないと思うんですよ。

普段の自分の子を見ているからこそ、獣医さんより誰より分かることがあるはず。

以前こんなことがありました。
文鳥の具合が良くなくて、先生が注射をしようとしました。
持ってきた分量を見て、今のこの子には、ちょっと多いな?と思いました。
先生にそれを言うと、「文鳥には、普通この分量です」とおっしゃいましたが、やっぱり危険な気配。
飼い主が納得するのが大事ですから、先生は「じゃぁ、とりあえず半分」と注射。
半分入れたところで、クタ~となり、先生はあわててストップ。
治すための薬であっても、うちの子には刺激が強すぎたって事でしょう。
飼い主の感覚を、ちゃんと聞いてくださる先生で、ありがたいと思いました。

ひよこパパがお世話になった国立小児病院の主治医が、
「私たち医者が見て大丈夫だと思っても、お母さんが何か変だと思ったら、どこかしらおかしいんです。毎日見ているお母さんの感覚は、大事なんです」
とおっしゃったのを、かーさんは大事にしています。
毎日の様子を良く見ること、変化を見逃さないこと、それを医者にきちんとつたえること、そうしたことが大事なんだと教えてもらいました。

環境も世話の仕方も、与えているものも違うんですから、子供だってウサギだって、どれも一緒と言うわけには行かないんですね。


(強制抱っこ~ ってしたら、しばしバリバリしていましたが、そのうちウトウト)



かれこれ9年ウサギのあれこれに接してきて、結局は「ウサギの数だけ、飼い主の数だけ、飼い方はある」と、かーさんは思っています。
うちの子がそうだからといって、他の子に当てはまるとは限らない、とも思っています。
ウサギの言葉に耳を傾け、試行錯誤しながら世話をする。
だからこそ、絆も生まれて、面倒だけど面白いこともある。
それが、生き物と暮らす醍醐味かもしれません。
もちろん失敗することも、後悔することもあるでしょうが、そのあたりが、命を相手にするということなんですよね。
精一杯やってもダメな時は、それは運命。
ユキなんて、どうやっても胃破裂なんて思いつかないし、たとえ分かっても手立てがなかったでしょう。

幸いシジミは、長い運命を持ってくれているようです。
この分なら、無事に10歳を迎えることが出来そう(^^)
ということは、こゆきだって10月で6歳(@@)
あっという間に育ってしまいました。 いや 育ちすぎか(^^;;;


桜たちも、ウサギたちも、これからもじっと見つめ続けて、日々手で触り確かめて、物言わぬ彼らに耳を澄ませていこうと思いますよ。
子供たちも独り立ちして、こうして年をとっても、日々命の責任と言うものをお世話するというのは、元気でいられる特効薬かも(笑)
ただし、だからといってあれもこれもの沢山は、だんだん相手に出来なくなりましたけど。
ちくちく仕事も、好きな本読みも、かーさんにとっては大事だけど、一番性にあっているのは命とのつながりなのかもしれません。
たとえそれが、小さな魚やイモムシさんであってもね♪


本日ママちん 恒例のブルーベリー狩り。
まってたのよーーーー!!
猛烈な勢いで、口の中に消えていきます。



コメント (6)
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