俳句の箱庭
「箱庭へ風の粒子の粗く吹く」(透次)
◯浮かんだときが作るとき。作ることに無理はしないように。
◯各俳人の情報は書籍・ネット他で一般に公開されたものから得ています。各俳人の情報は最新でない場合があります。各俳人の敬称略させていただきます。Tweet句については作者の承諾を得ていませんが、営利目的の要素はありませんのでご了承ください。
◯「俳句の箱庭」ヽ(^ι_^)ゞノ♪透次
○色彩俳句677・艶3・大森三保子03・2024-12-04(水)
○「残り火の艶まだありし牡丹焚」(→大森三保子03)
○季語(牡丹焚・初冬)(「→俳句季語一覧ナビ>艶を使用した俳句」より引用)【→色彩俳句-索引1・索引2・索引3・索引4・索引5】【→俳人一覧(あ・いい・いた・うえ・お・か・き・くけこ・さ・し・すせそ・た・ちつてと・な・にぬねの・はひ・ふへほ・ま・みむめも・や・ゆ~)】【→俳句結社索引】
【鑑賞】:たとへ燃え尽きて残り火となっても牡丹はその「艶」を失ってはいない。さてこの「艶」。「えん」と読むか「つや」と読むか。それは句の醸し出す雰囲気で決まるのではないか。「→蛇の艶(えん)見てより堅き乳房もつ」(河野多希女)。「→昃(ひかげ)れば凄じき艶(えん)滝桜」(鈴木貞雄)。「→山国の闇に艶(えん)ある木の芽どき」(松村武雄)。「→巡り終へ遍路の杖の握り艶(つや)」(山口誠)。「→手に受けて象牙の艶(つや)の今年米」(栗田やすし)。「→かんばせに歳月の艶(えん)古雛」(阪田昭風)。「→艶(つや)唄を胡弓のむせぶ風の盆」(船平晩秋)。「残り火の艶(えん)まだありし牡丹焚↑」(大森三保子)。物(もの)にかかる艶は「つや」と読ませるようだが、その場で判断するべきものである。