モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

Why do you like studying English?

2013-04-14 01:00:00 | 今日を旅する
Why do you like studying English?  4月12日(金)

 2月4日から始まった本年度のTerm1の授業が今日で終了し、明日から9日間のホリデーに入ります。この間二ヶ月でしたが、レベルも一つ上がっていましたので、英語の勉強にも少し集中して取り組んでいました。8日にはこのTermの試験も終わったため、クラスメートもみんなリラックスしているようです。10日には、みんなで記念撮影をして、今まで以上にみんな交流を深めたようです。私もクラス全員のメールアドレスをノートに書いてもらい、写真を全員に送って大変喜んでもらいました。
 このTermを振り返ると、途中での試験や新入生などで、結構クラスメートの出入りはありましたが、この一ヶ月程は、写真の17名のメンバーでした。




 彼らはそれぞれの思いでこの地へ来て、それぞれの夢に向かって、英語の勉強にチャレンジしています。
 このTermで、われわれのTeacher、Hansは、Writingの課題で、われわれに「Why do you like studying English?」という質問を投げかけました。その答えは様々ですが、この地で専門的な職業技術を身につけるための英語学習の目的が一番多いようですが、本国での職業に必要なために勉強に来ている人たちもいます。また、新たなインターナショナルな仕事に就きたいための人もいます。私のように定年後に気楽な気持ちで勉強に来ている人たちも中にはいますが、それでも、その先の夢に向かうチャレンジの気持ちは持っているわけです。
 
 この17名のクラスメートが英語学習の先に描いている夢は、なんなのだろうか。
 Abdul (オマーン)、Ana (ブラジル)、Cida(ブラジル)、Yuki (香港)の四人は前からのクラスメートです。その一人Abdulはエンジニアを目指して勉強しています。Ana は夫とともに本国での仕事に必要なため勉強しています。Yukiは香港でのビュウティーエステの仕事に役立てるためだと言っています。



 Peter(香港)、Mandy (中国)、Candy(台湾)の三人は中国系で、中国系はこのTEFEにはとにかく多く、みんな仲がよく、すぐ集まって中国語をしゃべっています。

 その一人Peterは、香港の料理人で、その仕事に必要なための英語留学だと聞いています。
 Candyは台湾で幼稚園の先生をしているしっかり者の日本びいきの女の子です。Mandyは中国の元気な女の子です。彼女は一番前の席でいつも熱心に勉強をしていますが、英語はまだおぼつかない感じで、時たま的外れな回答や質問をする勝ち気な女の子です。また、彼女は母親思いで、中国にいる母親のため、そのパスポートの取得に奮走していて、自分のIphoneに入っている写真からパスポート写真をプリントしたいらしく、私に相談してきましたので、彼女とその姉を私がよく使っているコダックのカメラ店に案内したら、大変喜んでくれました。


 PeterとAdvinはマレーシアから来た元気な若者です。Peterはいつも私の隣の席にすわっているので、私が一番よく会話をする相手です。Mandyの一件のとき、カメラ屋へ一緒についてきたので、用件が終わってから、一緒にカフェに行くことになり,彼がロンドンコートに行ったことがないというので、そこへ案内することにしました。彼の夢はパイロットになることだと言っていました。


 Tri、Emの二人はベトナムからきた若い男の子と女の子です。他のアジア人に比べるともの静かですが、一生懸命に勉強をしています。まだ若く,自分の目指すべき先を今,正に模索しているようです。
 Michelleはブラジル人ですが、白人の血が濃いのか、ヨーロッバ人のようで、ブラジルではジャーナリストの職についていたようで、カメラを使うことも多く、日本のカメラ、ニコンとキャノンを愛用していたようです。今は、別のカンパニーに就職するため、英語の勉強をしているということでした。


 Michela 、Marcelaの二人はイタリア人で、彼女らはとにかく明るい性格です。彼女らの明るさは、オージーのフレンドリーな性格にどこか通じるところがあるようです。また、イタリアの地中海性気候とパースの気候とはよく似たところがあるということで、パースにはイタリア人の移民も多く、そのためか、イタリア料理のレストランも多くあります。彼女たちも移民を目指しての英語留学ではないだろうか。





 Lawanはタイランドの女の子で、とにかく明るく元気で、一番大きな声でしゃべる、日本で言えば,いけいけのギャルといったところです。彼女は現在の生活を一番楽しんでいるようです。

 Anerはスーダン生まれですが、この地に来るまではフィンランドに住んでいたリッチなアフリカ生まれのフィンランド人です。彼女の生活には、きっと英語が必要不可欠なのでしょう。


 Shahenaはアフリカのマダガスカルの近くのモーリシャスから来ている新婚さんで、結婚式の写真をよく見せてくれるインド系の女性です。モーリシャスは旧イギリス連邦に所属していた経緯でインド系が半分以上を占めています。ここは、インド洋に浮かぶ小島で、津波の被害をよく受けるようで、そのためにオーストラリアへ移住する人も多いと聞いています。

 ここに書いたのは、彼らの英語留学の理由のほんの一部です。他にもいろんな理由が複層しているようです。
 ある日本人の若い留学生は、東日本大震災の後に留学を決意したようです。首都圏の近くに住んでいたため、その地震を深刻に受け止めたようで、次の震災を想定して、家族の避難先として考えているようです。これは、今回の日本人の特有の理由だと想いますが、それぞれの国には,我々の知らない特有の理由があるかもしれません。


 彼らの英語留学の先には、はっきりとした夢が描かれている場合は、むしろ少ないのかもしれません。それがまだおぼろげな夢であったり、まだ、何も見得ていない場合もあるでしょう。
 しかし、彼らは、今一様にそのスタートラインから、彼らの荒野に向かってスタートしたばかりです。そんな彼らに私はエールを送るとともに、世界中のいろんな人たちと一緒に勉強できることを、私は本当に喜んでいます。





South Perth

2013-04-02 00:45:26 | 今日を旅する
South Perth  3月28日(木)晴れ

 この2,3日はめっきり秋らしくなり、朝夕は寒さを感じることもある程で、季節は急激に変わりつつあります。夏から秋への急激な変化とともに、昼と夜の寒暖の差は大きく、昼間は25℃を超える気温ですが、夜は10℃を下回ることもあり、セーターを着ることもある程です。
 今日は、学校がday offの休みで、明日からはイースターホリデーが月曜まで続き、五日間の連休となります。

 今日は、こちらで知り合いになった日本人通訳のN氏とともに、朝一番で移民局へ娘の学生ビザの用事で行くこととなっていて、N氏が車で家まで迎えに来てくれました。
 N氏は、こちらへ来て30年以上暮らしており、市民権も取得している私より年配の頼りになる方です。これまでに、Rent houseの契約をはじめ、何度もお世話になっており、親しくつきあう間柄となっています。彼は、とにかく人柄もよく、親切で、彼が日本から取り寄せている文芸春秋などの本を、貸していただいたりしています。
 移民局の用事を済ませてから、今日は1日休みと言うことで、彼からの誘いで、イタリア洋菓子店とJapanese Restaurantへいくこととなりました。






 イタリア洋菓子店は「CORICA」と言い、以前からここのアップルパイが美味しいと言うことをきいていました。店は、私が通っているTEFEの学校のすぐ近くで、我々が行くとその品を買うために人が並んでいました。今日は、私が前回、彼の家の新築祝いに写真をプレゼントしたこともあって、そのアップルパイをプレゼントしてくれました。
 その後、彼が毎週土曜日のランチタイムに行くと言う、郊外のJapanese Restaurant 「BUEN-151A(ぶえん一期一会)へ案内されました。ここのカツ丼が美味しいと言うことで、彼は毎週ここへ通っているということでした。私も、それを頼んで食べましたが、彼の言う通り美味しい味で、久しぶりの日本の味を堪能しました。ここの店も以前は、街中にあったそうですが、地価の高騰で、こちらへの移転を余儀なくされたと言うことでした。ここの店にも、この地で勉強している日本の留学生がアルバイトをしており、近くの大学で会計学の勉強をしている女性で、親切な応対をしてくれ、日本の気配りを感じさせるもてなしでした。



 その後、彼がゴルフでこの地に来ている友人宅へ、プレゼントを持っていくのに同行することになり、友人が滞在しているSouth Perthを訪れることとなりました。South Perthは、スワン川を挟んでシティの対岸に位置しており、シティの遠景が絶景ということで、高級住宅が集まる、シティでも地価が最も高い住宅地の一つです。今日は、この眺めの良いスワン川沿いの道路を走って、案内してくれました。






 彼は、30年以上この地で不動産の仕事をしてきており、パースの不動産事情には詳しく、このSouth Perthでも、日本人にお世話をしたことがあると言うことで、日本人が住んでいたという高級マンションと一戸建ての家を教えてくれました。その一人は、90歳の老女で、東京でフラワー店を営むオーナーで、東京の店は任せて、一人この地の高級マンションの6階の一室で暮らしていたということです。彼女は英語ができないため、彼が買い物などの世話もしていたと言うことです。彼女がこの地を終の住処として選んで,この地で暮らしていたかどうかは定かではありませんが、90歳を超えていたことを考えると、きっとそうであったのだろうと私は想像し、彼女の心境をいろいろと想像したものでした。




 90歳を超え、死を間近にした彼女は、その一室の窓辺から、夕日に沈むシティの街並を眺めながら、自らの死を感じていたものか、あるいは、楽園都市と呼ばれるシティの街並の向こうに、やがて彼女が帰還するであろうエデンの園を想い描いていたのだろうか。そんなことを想いながら、川辺を歩いていると、今日も、一人の老女が川辺に座り、遠くのシティの街並を眺めていました。そして、砂浜には、かもめたちがのんびりと羽根を休めていました。
 ここからのシティの眺めは、ただ素晴らしいだけではなく、何か人を惹き付ける魔力があるのだろうかと想い、また、夕暮れ時などにも、是非訪れてみたいと思いました。