モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

A change of season 夏から秋へ

2013-03-19 01:08:32 | 今日を旅する
A change of season 夏から秋へ

 こちらの夏は12月頃から始まり、2月頃まで続きます。日本と違って、はっきりとした四つの季節ではありませんが、一応それらしい季節があります。夏の最中には、40度を超える日が数日ありましたが、湿気が少ないため、日陰に入ると熱さをしのげ、涼しさも感じられます。夜には、結構すずしくなるため、冷房はいらない日がほとんどです。その熱さも、二月の半ばを過ぎると、季節の変わり目を肌で感じてきます。





 また、気づいたことですが、夏に入り熱くなるに従って、シティの街からだんだんとかもめの姿が少なくなり、夏の最中になると、かもめが全くいなくなっていました。そして、3月も近くなると、かもめが少しずつシティの街に見かけるようになり、今では、たくさんのかもめたちが舞い戻り、街中を飛び交うようになりました。自然をよく知る動物たちは、新たな季節の到来をいち早くキャッチしているようです。
 かもめの到来とともに、また、熱さの和らぎとともに、街中のにぎわいが増して来たように感じられ、私も久しぶりに、カメラを持ってシティウオッチングをしました。
 少し熱さが和らいだと言っても、まだ、30℃を超える日が多く、女性の服装は、肌を曝け出すのを競っているかのようです。
 また、街中には、熱さをものともしないパホーマーたちが、その技を披露しており、それを観るのも楽しみの一つです。








 シティには、歴史を感じさせる美しい教会があちこちにありますが、このシティの中心街にある教会は、それ程大きくはありませんが、美しい姿をしています。また、向かいにそびえるシティで一番美しい高層ビル、私がペンシルタワーと呼んでいるタワーと並んだ姿は、特に美しい風景を創っています。

 今日は、ミサがあるのか、玄関が解放されていたため、はじめて中に入ることができました。中の礼拝堂の壁には美しいステンドグラスがはめ込まれていて、午後の光を投射して美しい絵を映し出していました。この中では、街中とはいえ、しばしの静寂にしたることができました。
 外に出ると、一人のミュージシャンが教会をバックに、演奏を披露していました。教会での静寂の後、私も気持ちをよくしていましたので、彼に1ドルを寄付すると、見事な演奏を披露し、写真撮影にも応じてくれました。











 ここから少し歩くと、シティで最も歴史を感じさせる、美しい街並を見せるロンドンコートへ行くことができます。カフェや、お土産物を売る可愛い店が並んでいて、観光名所になっています。私がこの地に来て,最初に入ったカフェが、ここにあるロンドンコートの名を冠したロンドンコートカフェで、最も思い出深い場所です。









新学期の始まり

2013-03-17 02:05:29 | 今日を旅する
新学期の始まり  2月4日(月)

 昨年、2ヶ月の学期を終え、長いホリデーに入っていましたが、この日,ようやく新学期がスタートしました。クラスの新編成があるため、早めに家を出て、クラス名簿が張り出される4Fのロービーに向かいました。沢山の学生が既に集まっていました。以前のクラスメートとも再会を喜び合い、挨拶を交えました。


 私は、以前のレベル1のElementaryのクラスから、1ランク上のレベル2のPre-Intermediateのクラスでした。始まりの時間が30分早まる代わりに、Thusdayが休みということで、嬉しいことです。ただ昼休みがほとんどのクラスと一緒になり、昼食時が,混雑することとなりました。



 クラスは総勢15名でその中に、6名の以前のクラスメートがおり、心強い限りです。人種で分けると、イタリア人一人、ブラジル人二人、中東のオマーン一人、マレーシア人一人、インドネシア人一人、ベトナム人一人、中国人一人、タイランド二人、香港三人、後から入って来たコロンビア人一人です。アジア人が10名と三分の二を閉めています。以前はヨーロッパ人はいませんでしたが、上のクラスになるほど増える傾向です。



 先生はスイス人で発音は解りやすいので助かります。授業はジェスチャを交えた楽しい授業で、みんな楽しい雰囲気で、授業を受けています。彼は交響楽団のマネージャーもしているチェロ奏者で、とにかく多趣味な人で、話題には事欠くことはなく、常に学生を惹き付けた内容の授業です。スポーツマンでもあり、水泳、サーフィン、山登り、スキー、ヨットなど何でもこなし、フィットネスのため、自転車で通勤している驚きの55歳の人です。私も彼を見習わなければと思っている次第です。




オーストラリアデー

2013-03-09 22:58:06 | 今日を旅する
オーストラリアデー

 1月26日はオーストラリアデーで、オーストラリア全体の祝日の日だ。
 オーストラリアデーをサイトで調べると、
 "1788年の白人定住発見を記念しているオーストラリア・デイ(オーストラリア建国記念日)はオーストラリアの祝日の中で大変重要な祝日です。
1787年5月13日、英国大佐アーサー・フィリップはイギリス、ポーツマスから出航し、オーストラリア側に植民地開拓を通告しました。 
 1788年1月18日、アーサー・フィリップはオーストラリア東海岸のボタニー湾に辿り着きました。 その後、北へ何キロか進み、定住先としてより好ましい場所を見つけ、1月26日には、現在のシドニー・ハーバーブリッジ南端に位置する歴史的観光地として有名なロックスがあるシドニー湾沿岸を訪れました。"






 "オーストラリア全域でオーストラリア・デーを祝う祭典が行われています。 しかし、多くの人が広大な大陸とそこに住む人々の過去と現在を一貫した記念すべき日であると考えている一方で、1788年に英国人により侵略されたと考えるオーストラリア・アボリジニーも多く、 この人たちにとってオーストラリア・デーは先住地を奪われた悲惨な過去を痛感させられる1日なのです。"
と記載されています。

 ここパースにおいても、この日を祝い、様々な行事が行われ、夜には、盛大な花火がスワン川で打ち上げられました。私も花火の音に誘われて、カメラを持って観に出かけました。歩いて5分もかからず、花火のクライマックスに間に合い、盛大な花火に感動しました。







 この盛大なお祝いの一方で、常日頃からアボリジニたちの不満を耳にすることがあります。時々、バスの中で奇声を発するアボリジニを見かけることがあります。また、アボリジニの居住地域に近寄らない方がよいと言う声も聞きます。我々黄色人種に対しては、比較的親近感を持っているようで、白人に対する不満の方が大きいようです。長い間、"human rights"が認められず、ひどい扱いをされてきた歴史的な経緯を考えると、これはやむを得ないことではないだろうか。
 人種的に近いとされる日本のアイヌ民族や、アメリカンのインディアンの歴史と相通ずるものがあり、よく理解しなければいけない問題ではないだろうか。




 この日にTVで放映された映画「オーストラリア」には、開拓期のアボリジニと植民してきたイギリス人との関係が描かれていて、ある程度この歴史の様子がうかがわれます。ニコール・キッドマン扮するイギリス貴婦人の運命をストーリー仕立てにしており、オーストラリア版「風と共に去りぬ」といった感があり、なかなか面白いため、私は日本にいたころから、映画館でも観ていました。
 


 この日も、この映画をみながら、シティで見かけるアボリジニの顔を思い浮かべていました。彼らのあの額の大きなしわと、憂いと怒りを現した大きな瞳は、彼らの歴史を物語るメッセージなのだろうかと、思ったものです。