それぞれの写真展
この10月の一時帰国では、名古屋で写真展を三つ見ることが出来ました。
一つは、秀吉写真クラブの作品展です。
この展示会は、昨年も友達のK君から、案内をmailでもらいましたが、日本に戻っておらず、観ることがことが出来ませんでしたので、今回は是非観たいと思い、足を運びました。
場所は地下鉄本陣駅のギャラリーなので、とても便利な公共の場所です。そのかわりに少し狭い感じはしました。その日は、K君のフレゼンもあり、彼の趣味でもあるクラッシックカメラの話であるとのことでしたので、ぜひ聴いてみたいと思っていました。
私が着いた時には、彼もすでにきており、挨拶もそこそこに、展示された写真を案内してくれました。
私が着いた時には、彼もすでにきており、挨拶もそこそこに、展示された写真を案内してくれました。
作品は、それぞれ個性があり、写真の好きな人たちの集まりとあって、凝った写真も多く、見応えのあるものでした。彼の写真は、FBでもよくみていましたが、蛍の航跡を撮ったものなどでした。彼は天体の写真もよくとっているようで、その根気には常日頃から敬服していました。
プレゼンの話も、いつもながらの彼のresearch力と、巧みな話術で聞き応えのある素晴らしいものでした。
そして、何よりも、彼のコレクションの中からフジペットを持参し、展示してくれており、それは、私が小学6年の頃に初めて手にしたカメラでもあったので、懐かしく、手にとって触りたい衝動にかられました。
この展示会では、今のトレンドでもある、スマホによる写真の話を、この会の会長がフレゼンをしてくれており、この会もなかなか広がりのあるものとなっていました。
さらに、写真と絵をやっている会員の方とポストカードの交換をして、交流することが出来ました。また、K君の家族も来ており、挨拶をするとともに、私のポストカードを手渡すことが出来ました。
この会に参加した事によって、同好の仲間を集めた写真クラブの良さを、あらためて知ることが出来ました。
私も日本に帰った折には、同好の仲間を集めた写真クラブを立ち上げたいとの思いが広がりました。
二つ目は、市政資料館の展示です。
今回、新聞で、"名古屋の街角今昔写真展"が市政資料館であるとの記事を目にし、足を運びました。
この場所は、私が若い頃に事務長として働いた思い出深い場所です。
今回の展示は、街角の今と昔を対比したもので、よくある展示ですが、写真を勉強した新鮮な目で観賞してみたいと思っていました。
この展示では、名古屋市内の30箇所ほどの街角の、今と昔を写真で比較して観る、興味深いものでした。
今の写真は職員が撮影したものとのことでした。そのせいか、もう少し露出を上手くとったらというものも、多い様に感じられました。展示室にいた担当の主査の苦労話を聞くと、大変だったのだろうと納得したものでした。露出不足は、人出を避け早朝を選んだため、太陽の光がまだ弱いのが、原因だったとのことでした。私もこの場所で、展示を企画した経験がありましたので、彼らの苦労をねぎらうことにしました。
担当の主査のMさんとは、同じ職場で、かつて働いていたものとして、私は、昔の資料館と当時の私の経験を披露する一方、彼からは現在の状況を話してもらい、この展示会は、お互いに昔と今を知ることができ、良い交流の場になったのではないかと感じました。
さらに振り返れば、当時は、名古屋市史の編纂という硬い話題が多い中で、なんとか資料館を市民に親しみのある場所にしようと、皆で知恵を絞っていた時代でした。
そんな中、開館5周年という節目でもあり、初めてコンサートを企画し、それを契機に結婚式の場として、市民が利用するようになってくれたことを、皆で喜んだものでした。今でも、結婚式には使われているとの話を彼から聴き、安心し喜んだものでした。彼からは、その後、FBからのメッセージがあり、友達となることが出来ました。
帰りがけ、久しぶりに、資料館の中をみて回ると、映画やドラマでこの場所がよく使われるようになった記録が、展示してありました。それをみて、我々の当時の努力が実を結び、今も彼らの努力で、その果実が大きくなって来たのだと確信しました。
三つ目は、学生たちの写真展です。
昔、名古屋写真専門学校が港区か南区にありましたが、いつかそれがなくなり、どこに行ったかと思っていましたら、今、中区栄の名古屋ヴィジュアルアート学院の中にあることを、昨年知りました。
私も、現在、異国の地で写真の勉強を終えて間もないこともあって、この名古屋で写真を勉強する学生が、どんな写真を撮るのかと興味を持っていました。そこで、一度その学院をみに行ったところ、11月3,4日の文化祭で学生の写真展示があるとのことを知りました。
展示は、本館とは別の近くの別館でやっていました。文化祭ということで、建物の入り口も飾り付けられ、お祭り気分で、学生たちが開く、ちょっとした店も出ていました。一般客も歓迎のようで、私のような老学生も歓迎して入れてくれました。
さすがに若者ばかりでしたが、学生らしき人が、話しかけて来ました。私が写真をやっていると説明をすると、二階にフィルム写真の好きな生徒がいると言って、案内してくれました。
彼は写真作家専攻の、生粋の写真好きのようでした。私のアルバムを見せると、黒白や青写真が気に入ったようなので、青写真の製作方法を説明してあげました。学校では青写真は教えてないようでした。彼は古いマニュアルのフィルムカメラを持参していました。また、その場所で自分の写真を並べ、販売もしていました。
彼のように、若くして作家希望という、明確な将来の方向を見据えている若者を見ると、嬉しい気持ちになり、応援したい気持ちにもなりました。彼が渡してくれたカードには、B&Wの写真が印刷されており、その、彼が気に入って印刷したであろう、一枚は、私も大変気に入りました。彼のセンスがあの一枚に凝縮されているようでした。
私は、彼の写真家としての成功を、今、心より願っている次第です。
彼のように、若くして作家希望という、明確な将来の方向を見据えている若者を見ると、嬉しい気持ちになり、応援したい気持ちにもなりました。彼が渡してくれたカードには、B&Wの写真が印刷されており、その、彼が気に入って印刷したであろう、一枚は、私も大変気に入りました。彼のセンスがあの一枚に凝縮されているようでした。
私は、彼の写真家としての成功を、今、心より願っている次第です。
それぞれの写真展は、高齢者、中年、若者といった三世代にまたがり、それぞれの世代の写真への関わりを、反映したものでありました。
趣味、人生の楽しみとして関わっている世代、仕事として、また、社会貢献の手段として関わっている世代、そして、夢の実現、自己表現の手段として写真を学んでいる世代と、それぞれ写真への関わり方は、違っているにしても、彼らの写真への情熱と愛好の気持ちには、変わりないように感じました。
そして、写真の本質、世界を認知し、それを記録に残すという、その本質は、誰にとっても、また、カメラがいかに進化したとしても、不変ではないだろうかと思ったものです。
なぜなら、それは、ある写真家が言ったように、写真は、カメラが撮るものではなく、写真家の心が撮るものである、すなわち、人間の心が認知したものを記録したものであるからではないだろうか。