モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

今年を振り返って

2012-12-31 02:00:26 | 今日を旅する
2012年を振り返って 
 
 ここパースの年末は、ちょうど真夏に入る時期で、昼間は40℃を超える日もあり、とても日射しはきついが、日陰に入るとさわやかな風を受けて涼しい。
 今年のクリスマスの前に、パースの駅前の広場に噴水が完成し、子供たちがそこで水浴びをして遊ぶようになり、にぎやかだ。







 街中はどこもクリスマスのデコレーションに着飾り、とても美しい。夜には電飾のパレードもあってにぎやかだ。クリスマスには、やはり白い雪がにあうのか、ロンドンコートでは、雪のかわりに白い紙吹雪が舞い、雰囲気を盛り上げている。












 25日のクリスマスと26日のBoxing dayはホリデーの休日だ。特に25日はキャッツを始め、公共交通機関はすべて運休で、市民は家でクリスマスを過ごすか、教会のミサに行って過ごす。TVでは、ヴァチカンのミサがLiveで流れており、宗教的な一日だ。26日のBoxing dayは、クリスマスの贈り物を開く日で、街ではバーゲンが始まり、どこの店も満員だ。日本で言えば、初売りのバーゲンといったところか。 
 
 私たち家族は、娘がリハビリ中ということもあって、今年のクリスマスは家でのんびりと過ごすこととなりました。
 
 クリスマスを過ぎると、私は、毎年日本で過ごしてきた年末を思いつつ、初めて異国で迎える年末に思いをはせ、今年を振り返っていました。
 
 2012年は、私にとっても、40年余りの役所生活にピリオドを打つとともに、この地で留学生活を始めた、正に人生の転機の年でした。それに加え、母の死、娘の病気というアクシデントもあって、人生が目まぐるしく変動した年でもありました。
 
 3月の退職に始まり、その後の留学の準備のためのパースでの二ヶ月余りのロングスティ、日本に帰ってからの留学のための手続きと準備の数々。そして、9月、この地へ来てからの学生ビザの申請や、この地での留学生活をおくる拠点となる家探し、引っ越しなどなど、やるべきことが山ほどありました。その上、母の死、娘の病気というアクシデントも加わり、沢山のことが詰め込まれ、目まぐるしく変動した一年でした。
 
 この一年の時の経過には、あまりにも多くのことが詰め込まれており、すべてを書き綴れば、数冊の本が書き上がりそうです。それは、後々に綴ることとし、今は、英語の勉強と写真の勉強に全力を注ごうと決意しています。
 
 それにしても、この間、私の一番の宝となったのは、この地で沢山の人々とめぐりあい、貴重な友人たちができたことです。それは、クラスメートであったり、この地でお世話になった日本人であったり、現地のオージーであったり様々です。
 しかし、この地で暮らす彼らは、一様に優しくフレンドリーな人間です。彼らを知ることとなり、友となったことは、本当に良かったと、今思っています。


 
 今年は、写真家HABUさんの言葉を借りて表現すれば、「今年という宝島」ではなかっただろうか。
 今年という時の経過の中には、共に学び、共に笑い、共に楽しみ、共に喜んだ、たくさんの楽しい思いではもちろんですが、共に悲しみ、共に苦しみ、共に泣いた日々も含めて、すべてが宝物として詰まっていたと、今思っています。
 
 夢を追ってこの地で留学生活を始め、四ヶ月が経過する今、私も、自分の夢の形が少しずつ観えてきたような気がします。それが現実になるのがいつの日かは、今は定かではありませんが、その夢に向かって歩んで行こうと、今、決意しています。
 「歩みは牛のごとく鈍間ですが、志はかもめのジョナサンのごとく空高く飛びたい」と願っている今日この頃です。
 
 想えば、古の旅人たちが、長い航海の果てに、満天の星空に輝く南十字星に導かれて、この地にたどり着いたように、私も、60数年の時の経過を経て、何かの導きによってこの地にたどり着きました。それが何であったかは定かではありませんが、それが何であったかにせよ、私は、今、夢に向かってのスタートラインに達つことができたような気がしています。
 
 シティの街には、年末にもかかわらず、今日も、夢を追ってこの地で暮らす人たちが、その夢の一端を披露していました。私は、彼らに向かって「共に、夢に向かって進もうぜ」と、心の中で叫んでいました。










 









スタート 夢に向かって

2012-12-26 02:00:59 | 今日を旅する
スタート 夢に向かって  12月22日(土) 晴れ

 今日は、クラスメートの結婚式の日です。
 そして、それは私の写真家としてのスタートの日でもありました。
 この地へ来てから知り合いになった人から、知人がweddingの写真を撮る人を探しているとの話があり、私も一度挑戦してみたいと思うようになり、具体的な話があれば、引き受けてみようとと考えていました。その話はまだ実現していませんでしたが、今度は、クラスメートのブラジル人カップルから依頼があり、私はその依頼を、友として引き受けるとともに、写真家としての最初の仕事と位置づけて、引き受けることにしたからです。



 今日は、彼らと私の新たなスタートを祝福するようなすばらしい日となりました。私は三台のカメラを持って、彼らの式が行われる彼らの住まいであるアパートメントへ赴きました。


 そのスウィートホームは質素ではありますが、彼らのスタートの時にはふさわしいあたたかい部屋でした。窓からは彼らの未来を象徴するかのような素晴らしい眺めが広がっていました。
 部屋は広くはありませんでしたので、写真を撮るには決してよい環境ではありませんでしたが、私は限られた機材と環境の中でも、心を込めた写真を撮ろうと決意していました。
 写真家HABUさんの「今日という宝島」という言葉どおり、今日と言うこの日には、たくさんの宝が詰まっているだろうと言う気持ちで、この時にのぞみました。
 
 部屋には既に数人が集まっていました。
 クラスメートはインドネシアの彼がいました。後はオマーンのオドルフはまだ来ていませんでしたが、クラスメートは、私と彼を含めて三人ということでした。部屋が狭いということもあり、また、ワーキングの人もいるため、限られた人たちを呼ぶことになったのだろうと思いました。



 しばらくして、人前結婚式を取り仕切る中国人のコーディネーターが到着し、セッティングを始めました。
 式に集まったのは、立会人を務める友二人、韓国人と日本人のカップル、我々クラスメート三人とその他二人の友、計10人でした。
 式は、進行役の中国人が取り仕切り、和やかなうちにはじまりました。進行役が持参のテープで音楽を流し、いつになく神妙な面持ちのカップルが並び、あたたかく見守る友の視線を受け、二人は大変うれしそうでした。


 進行役が、参列の私たちに、祝福の言葉をというので、私も日本語で「二人の愛が永遠に続くように」と述べると、中国人は、日本語が少し解るらしく、簡単に英語に訳してくれましたので、カップルも解ったらしく、大変喜んでくれました。





 式も進み、届出の書類に二人してサインをし、その後二人の立会人がサインをして、式はとどこおりなく終わりました。二人は祝福する我々の前で喜びのkissを交え、うれしそうでした。











 その後、ワインで乾杯をして、二人を祝福し、記念撮影を終えました。








 私は、彼らと固い握手をして、彼らのスウィートホームを後にして、帰る道すがら、改めて「今日という宝島」という言葉を思い浮かべていました。
 それは、今日の結婚式が、質素ではありましたが、本当にたくさんの宝が詰まっていたような気がして、大変幸せな気持ちになったからだと思っています。
 私は、彼らのこの新たな旅立ちのスタートの日に、立ち会えたことを本当に良かったと思うとともに、この日は、私の夢に向かっての新たなスタートにも、ふさわしい時ではなかったかと思いました。




 西の空には、ペンシルタワーと私が呼ぶシティーの高層ビルの眺望がみえ、その向こうに広がる澄み切った青空に、一筋の雲が流れていました。それは、私に向かって、「夢に向かってすすめ」と空に書かれたメッセージのように想われました。
 空に舞う一羽のかもめも、また、私に向かって「お前なら飛べる」とメッセージを贈っているようでした。





Dear my friend

2012-12-16 22:00:47 | 今日を旅する
Dear my friend
 
 How are you? 
私は、元気でいますが、あなた方と会えなくて、大変寂しく思っています。
学校がホリデーに入って一週間余りが過ぎようとしていますが、私にはとても長く感じられます。




 今年は、いろいろとありがとうございました。
 この2012年は、私にとっても、40年余りの役所生活にピリオドを打つとともに、このオーストラリアのパースで留学生活をスタートした、正に人生の転機の年でした。
 
 あなたも、本国を離れ、この地で留学を始め、偶然にもクラスをともにした仲間となりましたね。
 それぞれの理由があり、それぞれの夢を持ち、この地を目指してきたと言う意味では、同じ夢追人のひとりではないでしょうか。




 この二ヶ月余りの時の経過には、あまりにも多くのことが詰め込まれており、すべてを書き綴れば、何冊かの本が書き上がりそうです。共に学び、共に笑い、共に遊んだあの日が夢のようです。
 あなたも同じような気持ちではないでしょうか。
 
 それにしても、この間、私の一番の宝となったものは、この地でたくさんの人々とめぐりあい、貴重な友人たちができたことです。もちろん、その中のひとりがあなたです。


 授業中、突然サンバを踊りだすことがたびたびあり、それを、日本風に言えば、姉さん女房のごとくたしなめるブラジル人カップルの君たち、
 君は、私の横に座り、ホームワークの答えを悪びれることなく、どうどうとコピーしていましたね。そんな男らしく、クラスのムードメーカーの君
 君たちの結婚式がキングスパークで行われることになったら、是非招待して下さい。


 日本名の名をもち、日本びいきのためか、私の横に座り、クラスの人気者の香港娘の君、
 君のヨガのポーズは、かわいらしく、少し色っぽくもあり、みんなの喝采を浴びていましたね。
 君の頼みで、恋人へのクリスマスカードをデザインしましたが、その後、恋の行方はどうなったでしょうか。


 いつも、最前列に座り、イギリス人教師Gregoryに機関銃のごとく質問を浴びせていた君、
 君の会話力がクラスで一番なのは、愛する夫がイギリス人だからでしょうか?


 いつも遅れてくる陽気なTailand人の君は、最初の記念撮影の時、私に変わって写真を撮ってくれましたね
 ユニクロ好きの日本びいきの君は、自分の着ているものと私の着ているものが、共にユニクロであり喜んでいましたね。
 最後の授業の終わりに、クリスマスカードとチョコレートをいただき、ありがとう。


 兄弟思いのオマーンの君は、Brotherから電話があると、すぐ教室からぬけだしていましたね。 キングスパークでのBBQお別れ会では、兄弟そろってのサポート、本当にありがとう。


 いつもニヒルな感じであったマレーシアの君が、最後の授業の時、みんなに手作りの飾りを配っている姿をみて、君の素顔を知ることができました。
 クラス一の勉強熱心でまじめな台湾の君は、いつも手作りのランチボックスを持って来ていて、私は感心していましたよ。


 途中私たちのクラスに入ってきた君は、ブラジル人には珍しくおとなしい人でしたが、BBQのお別れ会の時、手作りのチョコレートケーキを振る舞い、見事なサンバを披露し、ブラジル女性の本領を発揮しましたね。


 英語がしゃべれず、いつも教室の片隅で静かにしていた香港娘のリッチな君が、最後の授業のときに、突然陽気に歌を歌いだし、君の変貌ぶりに、みんな驚き、喜んでいましたよ。
 彼女と同じ教室の片隅で、特別レッスンを受けていたクラスで一番若い君が、片言の英語で何とかanserができた時、みんなに拍手をされていましたね。


 途中私たちのクラスに入ってきたインドネシアの君は、持ち前のユーモアですぐにクラスにとけ込み、BBQのお別れ会の時は、私と一緒に時間通り集合した一人で、几帳面な性格も持ち合わせている人でしたね。
 彼と同じ時期にクラスに入って来たベトナム人の君は、いつも携帯を手にし、自分の世界に入り込んでいることが多かったけれど、時たまリズムに乗って歌いだす陽気な人でしたね。


 そして、同じく途中からクラスに合流した日本女性の君は、控えめで、賢く、礼儀正しい大和撫子として、すぐにクラスメートの信頼を得ることとなりました。そして、私にはとても頼もしい味方として、また、いつもランチを共にしてくれる心優しい君でしたね。

 私は、このパースで、この時、君たちと共に勉強することができたことを、今とても幸せに思っています。Old-ageの私を心良く受け入れてくれて本当にありがとう。
 今、素直にそう感じています。
 私たちは、それぞれ年代は違っても、それぞれの夢を抱いて、この地へやってきた同じ夢追人といえるのではないでしょうか。
 私たちが学ぶこのパースの地には、たくさんの夢追人が集まっています。シティの街に出ると、いつも誰かがその夢の一端を披露しています。それは、ミュージシャンの卵であったり、画家の卵であったり、様々です。彼らの技術も様々ですが、みんな一様に目が輝いて、生き生きとしています。彼らの目線の先には、確かな夢のかたちが見えているからでしょうか。







 そう言えば、シティで出会った東京から来たと言う若者のパフォーマーのカップルが、ヨーロッパを六ヶ月程廻って来たけれど、ここパースは、誰もが優しく、天国のような街だから、しばらくここに滞在しようと思っていますと、うれしそうに話していたことを思い出します。



 
 二ヶ月余りが経過した今、私もその夢が少しずつ見えて来たような気がします。
 その夢が現実のものになるのがいつの日か、今は定かではありませんが、その夢に向かって頑張って行こうと決意しています。
 
 「歩みは牛のごとくのろまですが、志はかもめのジョナサンのごとく空高く飛びたい」と願っています。
 
 今日もシティの空は澄み渡り、君たちの思いでのあとさきと、夢のつまった夏模様の青空が広がり、かもめたちが、優雅に舞っていました。




 私も、そして君たちも、共に、それぞれの夢に向かって歩んで行きましょう。
 最後になりましたが、

Peace to you at Christmas and throughout the Year
Peace on Earth
December 2012
Old Dreamer Moukich・・Tatsuro
in Perth



 



キングスパークでのお別れBBQ

2012-12-12 01:15:05 | 今日を旅する
キングスパークでのお別れBBQ   12月9日(晴れ)

 今日は、キングスパークでクラスメイトとのお別れバーベキューの日です。
 ここキングスパークへは、家族とともに何度も訪れ、ひとりでも、日の出、日没の写真を撮りに良く訪れています。
 今日は、クラスの仲間と初めての、学校以外の場所での集まりでもありました。また、今日はお別れの最後の日でもあるため、楽しくも、また、少し寂しい気持ちで家を出て、集合場所のTAFEのライブラリーへ向かいました。


 途中、ハバータウンでアップルパイを買い、市のライブラリーへ着いた時、まだ、集合時間の30分前でしたので、ランチでよく入る「アロマカフェ」でコーヒーを頼み、庭で戯れているカモメたちの愛らしい姿を眺めていると、この二ヶ月余りの学校での楽しい日々が想い浮かばれ、最近良く聞いている井上陽水の「少年時代」の一節のように、夢はつまり、思い出のあとさきが走馬灯のように巡り、青空に残された、私の心は夏模様でした。

 感傷に浸りながら、TAFEのライブラリーへ着くと、インドネシアのMが待っていました。彼はひと月遅れでクラスに入ってきましたが、持ち前のユーモアですぐにクラスにとけ込み、いつも私の前の席で授業を受けていましたので、親しくなっていました。
 
 ここオーストラリアでは、集合時間に集まらないのが常です。
 今日もなかなか集まりませんでしたが、そのうち、ブラジル人のシーダとエドワルドとアンナのカップル、そしてオマーンのオドルフがようやく集まり、総勢六人となりました。その他は直接現地へ集合したとの連絡がはいったため、我々も飲み物をゲットしたあと、シティからレッドキャットに乗り、キングスパークへ向かいました。 
 
 現地には、みんなの人気者、香港娘のユキ、タイランドのプリン、チャイニーズのアン夫妻とマレーシアのEが集まりました。
 オドルフのお兄さん家族がとても親切な人たちで、弟を心配してか、このキングスパークへ車で先回りをしていて、我々にBBQ施設のあるところを教えてくれました。そこは、もう数グループが利用していて、順番待ちでしたので、われわれはその近くの木陰に陣取り、持ち寄った手作りの料理で、宴を始めることとなりました。
 女性陣はみんな手作りの料理のライス、サラダ、デザート、ケーキを振る舞い、男性陣は仕入れてきた飲み物やお菓子類を振る舞い、楽しい団らんとなりました。
 
 この会を企画した、エドワルドとオドルフはいつになく責任を感じたのか、BBQの順番を待っていました。










 私もBBQの順番が気になり、すぐ近くの施設へ見に行くと、前のグループの中国人と日本人の学生のグループが、この順番を取り仕切っていました。
 私は日本人二人の男女と話してみると、"ここオーストラリアでは何事もルーズなので、自己主張をしないと、何も廻って行かないのですよ" と言っていました。私もなるほどもっともだと思うところもあるため、彼らのいい分を理解してやったためか、私が日本人であるからなのか、すぐに順番を譲ってくれました。
 彼らは、大阪から来ている女子と三重県の四日市から来ている男子の若者たちでした。ここオーストラリアでは、本国の政府間の尖閣問題とは関係なく、日本人と中国人の学生が仲良くタッグを組み、最強のパートナーぶりを発揮していました。






 BBQのステーキも焼き上がり、宴も最高潮に達し、記念撮影をした後、ブラジル人学生の計らいで、サンバの講習会が開かれました。
 みんな大笑いで、サンバのリズムに合わせて踊り、私も生まれて初めてサンバに挑戦することとなり、彼らの手ほどきで、踊ることとなりました。









 宴も終わりに近づき、みんな、それぞれこれからの自分たちの将来を語り合いながら、別れがたい雰囲気ではありましが、場所を移動することとなりました。
 何度も来ている私は、記念写真のベストスポットであるシティの全景を見渡すことのできるテラスへ、みんなを案内しました。













 楽しく記念撮影をしながらも、みんなは、シティの高層ビルの上に広がる、広大な空と流れる雲を見ながら、今の自分たちと、これからの自分たちの行く末を想い描いているのか、どことなく感傷的な振る舞いと、背中を見せていました。
 
 私は、この時が永遠に止まったら良いのにと、一瞬思いましたが、すぐに、彼らと私のそれぞれの夢が実現するためには、この時が止まってはだめだと思い直し、決意を新たにしました。
 私は、彼らの思い出のあとさきが浮かび、夢のつまった夏模様のシティの青空に向かって、「みんな頑張ろうぜ!」と、心の中で叫びました。
 私のメッセージが、陽気でフレンドリーな仲間たちの夏模様に染まった心に届くように。





クラスメートとカラオケパーティ WE WILL ROCK YOU

2012-12-08 18:40:14 | 今日を旅する
クラスメートとカラオケパーティ  12月7日(金)晴れ
 "WE WILL ROCK YOU"

 母の49日も終え、新居でのインターネットも4日に開通しましたので、プログの記事を久しぶり書きます。
書きたい記事が沢山ありますので、時間の前後とは関係なく、少しずつ書き上げアップしていきたいと思います。

 今日は、今年最後の授業の日です。
 振り返ると、10月4日から始まったこの2ヶ月余りの短い学期に経験したことは、あまりにも多く、何年もの時の経過に余りあるものでした。そして、多くの仲間たちと知り合い、交流できたことが、何よりの宝となりました。

 今日は、学校の計らいで、「2012 END-YEAR PARTY」と銘打って、「KARA0K PARTY」が行われるので、学校へ行くと、どことなくお祭り気分になっていました。
 今日の授業は9時から10時までで、最初に集まったのは、13名のうち5名でしたが、いつもながら、徐々に集まり8人が集まりました。
 今日の先生は、Gregoryで、彼の授業はいつもとてもすばらしいもので、生徒にも人気者です。ゲーム感覚の授業はとても楽しく、いつも1限二時間の授業は、あっという間に終わってしまいます。
 我々の仲間とGregoreyとの最初の出会いは、10月4日の学期の初日でした。彼はイギリス人で、当然ながら、オージーと違い、正当な英語の発音をするので、我々でも聞きやすい英語でした。それ以上に、彼の授業はとても楽しく勉強できる進め方で、魅力的なものでした。
 しかし、最初は、みんな言葉が通じ合えないので、ぎこちない雰囲気でした。それで、私は意を決して、みんなでの記念撮影を申し出たところ、快く引き受けてくれ、楽しく記念撮影をすることができました。その写真をみんなに配り、Eメールで送り、Gregoryにもプレゼントしたところ、大変喜んでくれました。それを切っ掛けに、みんなの心が通じ合えたのか、楽しい雰囲気となり、私の写真が役立ったことを、うれしく思いました。



 今日は、最後の授業ということで、楽しいながらも、今日で終わりかと思うと、どことなく寂しい気持があるのか、みんないつも以上に親密な授業態度でした。最後に先生を囲み記念撮影をして、別れを惜しみながらKARAOKE PARTY会場へ向かいました。




 KARAOKE PARTY会場の二階のカフェテラスには、もうたくさんの人たちが集まっていました。会場へ向かう途中で、クラスメンバーの洋子さんも駆けつけて合流しました。我々は会場の一画のテーブルに座り、二人の担任のTeacher(GregoryとGreig)と一緒にパーティの始まるまで、記念撮影をしました。途中、陽気な二人のブラジル学生も加わり、11人が集合することとなりました。Greig先生は、私とほぼ同じ年代のニュージーランド人で少し訛があるのか、聞きづらい英語ですが、陽気で物知りな日本びいきの先生です。




 パーティのスタッフはすべて先生たちが担当し、普段には見ることのできないそれぞれの才能を発揮し、エンターティナーそのもので、びっくりしました。
 Openingはみんなで、ロックバンドQueenの"WE WILL ROCK YOU"を大合唱し、盛り上がりました。出場者は予めエントリーしており、あまり多くはありませんでしたが、みんな英語が大変上手でびっくりしました。我々のクラスはエントリーしていませんでしたが、クラスで一番のエンターティナーのブラジル人エドワルドが、強引にオマーンのアドルフをさそって、飛び入り参加をして、持ち前のリズム感で歌を披露し、喝采をあびました。彼は我々のクラスのムードメイカーで、いつもクラスを盛り上げています。















 パーティの最後に、シングル、デュオ、クラスの部門それぞれでベストシンガーの発表があり、賞品が渡され、パーティを締めくくりました。
 みんなと別れを惜しみながら会場を後にしましたが、我々のクラスは、日曜日にキングスパークでバーベキューを開き、再会することとなりました。帰りのホールで、今日の舞台で華麗な歌を披露していたママさん学生の親子がいましたので、彼女と寄り添っていたかわいい子供の写真をとらせてもらいました。