モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

オーストラリアへの旅の始まり Part4 2011年8月

2019-12-26 17:23:51 | あの日を旅する
オーストラリアへの旅の始まり Part4  2011年8月

ピナクルズ
 ピナクルズは「尖塔」を意味します。
見渡す限りの砂漠に何千本という奇岩の塔が林立する風景は圧倒的な存在感だ。
「荒野の墓標」と呼ばれるにふさわしい光景をみせており、人間のイマジネーションを駆り立てるオーラが一面に漂っている。

 かつて海だったこの地に貝殻が積もって石灰岩質化した土台ができ、その上に木が根をはり、土台を浸食。やがて木々は朽ち果てたが、土台と根が残されたものだという。
 現在もその風化は進み、その姿は今も変わりつつある生きた墓標である。

 計り知れない時間が創り上げたピナクルズの生成の秘密は、本当は誰も知らない。




 早咲きのワイルドフラワーが我々を歓迎してくれました。





 この「荒野の墓標」の前に立つと、自然と「ごくろうさま」という言葉が出てしまいます。






この4メートルにも及ぶ墓標は我々に何を語りかけたいのだろうか。
ここが一面海であったときのことか
海が隆起し、その上に木々の森が鬱蒼と茂っていたときのことか
やがて、何かの原因で、森が消えうせたときのことか

そして、彼らは、今、化石となって、ここに存在している。




 彼らは、お互いに自分たちの境遇を語りかけるように、見つめあっていました。






 墓標群の周りをワイルドフラワーの緑が囲み、その彼方には、白い砂丘がこの地を守るかのように取り囲んでいました。






 かつて墓標が林立していたが、今は風化して何も残らない砂漠





 墓標の前には、オーストラリアの国鳥エミューの足跡が残っていました。

 そして、今回訪れたピナクルズの圧倒的な風景の中に立ち、私は妄想の世界に引き込まれていった。
 荒野の墓標と呼ばれているこれら無数の樹木の根の化石群こそ、宮崎 駿さんが、「腐海」として描き、その中に林立して浄化の役割を果たした生物群の残骸ではないのか。
 「腐海」とは毒素で汚染された世界ではあるが、そこで生存する生物たちの浄化能力により、
その「腐海」世界の深部では、毒素が浄化された清浄な世界が創られているという。

 その浄化された世界こそが、図り知れない時の経過を経て、今、現在、地上に現れているこの大地ではないのか。

 そして、ここに立つ墓標群が、「腐海」の毒素を浄化し、この上ない清浄な大気を創り上げ、その役割を終え、死んでいった生物群ではないのか。



 私は、ピナクルズの墓標の前に立ち、自然と「ありがとう」という言葉が出たものです。





オーストラリアへの旅の始まり Part3 2011年8月

2019-12-26 02:14:19 | あの日を旅する
オーストラリアへの旅の始まり Part3  2011年8月
海と空と大地と風の織りなす風景と愛すべき動物たち

  オーストラリア大陸は、南半球に孤立して存在し、太古からの大自然と何億年もの地球の息づきが、今も続いている。
 南半球の大地と大気、空、インド洋の海の色、そこに太古より住む固有種の動物たち、先住民のアボリジニなど、すべてが魅力に溢れている。


 雲が生きているように地平線のかなたへ流れていました。


 白い砂浜とインド洋


 砂浜で興じる人々


 砂浜をひとり歩く女性






















 貝殻が砕け、風化してできた真っ白な砂丘
 夕暮れ時のため、少し赤みがかかってみえます。


 砂すべりに興じる人たち








 何を思うか、ひとりの佇むサーファー


 砂丘の頂上に立つ人々







 インド洋に沈む夕日はとても美しい。



愛すべき動物たち




 スワン川の畔で、野生の鵜が気持ち良さそうに羽根を乾かしていました。


 人なつこいカンガルーたち




 親子のカンガルー



 コアラがユーカリの葉をおいしそうに食べていました。
 コアラはよく寝ています。







 穴掘りの名人ウォンバット。性格は温厚で、何をされてもこの状態。



 ロットネス島の野生の愛くるしいクォッカ
 ピカチューのモデルという。ここだけに生息する小さな有袋類です。



オーストラリアへの旅の始まり Part2 2011年8月

2019-12-25 22:55:14 | あの日を旅する
オーストラリアへの旅の始まり Part2  2011年8月
ロットネス島へ

 ロットネス島の名は、17世紀、島に上陸したオランダ人が、島にたくさんいるクォッカをネズミと間違えて、「ラット・ネスト=ネズミの巣」と呼んだことに由来しているといわれています。


 ロットネス島への船が出るフリーマントルの港町をバスから望む。朝が早かったため人通りがまだない。


 船のデッキからフリーマントルの港を眺める少女


 海と空のかなたにシティの街がかすかに見えていました。


 真っ白な砂浜と澄みきった海と空


 紺碧のインド洋とどこまでも澄みきった空を、雲が生きているように流れていました。




 島の丘の上に立つ「ワジェマップ灯台」。
 古くからこの海域を運航する船を見守ってきたが、島のほぼ中央に立つため、座礁する船が後を絶たず、今は使われてはいない。



 展望台からは、インド洋のすばらしい眺めが見られます。





 われわれの前に姿を見せて、近寄っても逃げないクォッカ。
 ピカチューのモデルと言われている愛らしい姿をしています。


 雲の流れに吸い込まれていくようです。


 海を見つめているようなマウンテンバイクのカップル











ようこそカフェオーストラリアへ オーストラリアへの旅の始まり Part5 2011年8月

2019-12-24 23:22:56 | あの日を旅する
オーストラリアへの旅の始まり Part5   2011年8月

カフェオーストラリア風の谷 
カフェオーストラリアへようこそ

"私たちアボリジニの祖先が暮らしていたオーストラリア大陸を好きになってくださいね。
すぐにコーヒーとお菓子をお持ちしますので、ゆっくりしていってくださいね。"

カフェオーストラリアのアボリジニ出身のナウシカさん

ノーザンテリトリーとピナクルズを巡る妄想の旅


 この言葉を残したサン=テグジュベリは、サハラ砂漠に不時着し、死の不安と孤独を抱いたまま眠りについたとき、妄想の中で「星の王子さま」をイメージしたという。

 オーストラリアのノーザンテリトリーに広がる風景です。

 ノーザンテリトリーとは大陸中央部の北側に広がる砂漠地帯で、「北部準州」とされ、先住民アボリジニの居住区が多くあります。
 「地球の心臓」「地球のおへそ」と呼ばれるウルル(エアーズロック)と、無数の奇岩群が連なるカタ・ジュタとそこにある「風の谷」と呼ばれる渓谷です。
 かの宮崎 駿さんの「風の谷のナウシカ」は、このカタ・ジュタの「風の谷」の風景からヒントを得て書かれたとも言われています。

 オーストラリア大陸には
このアボリジニの聖地と言われるエアーズロック、カダ・ジュタの他、
「荒野の墓標」と呼ばれているピナクルズ、
広大な大地に埋蔵されている莫大な量の鉄鉱石とウラン鉱、
何十メートルも堆積された白い貝殻で埋め尽くされたシェルピーチ、
シェルピーチのあるシャーク・ベイの干潮時に姿を現す岩のようなストロマトライトの群生
(地球の酸素形成の起源とされ、今も酸素を生成する世界最古の生物で、藻の一種)、
岩肌に描かれたレントゲン画法などのロックアートの数々、
アボリジニが現在に受け継いでいるドットペインティング、
そして、何よりもわが子をお腹の袋で守っている健気な有袋類の動物たち、
その他にも、アボリジニが足を踏み入れてはならないとしている聖地など、

 人々のイマジネーションを刺激する多くのものが存在している謎多き大陸です。


レントゲン画法で描かれたロックアート

"お待ちどうさまでした。コーヒーとお菓子をお持ちしました。
ごゆっくりしていってください。
また、何かご用があれば、お呼びください。"
ナウシカジュニアさん

 「風の谷のナウシカ」では、人類の最終戦争後の世界が描かれています。
 そこでは、毒素で汚染された「腐海」が広がり、人類が生存できる地域はわずかしかないが、
それでもなお、対立と抗争を続ける人類の姿が描かれています。


「腐海」でのナウシカ
(徳間書店ワイド版「風の谷のナウシカ5」の表紙より)





 そして、今回訪れたピナクルズの圧倒的な風景の中に立ち、私は妄想の世界に引き込まれていった。
 荒野の墓標と呼ばれているこれら無数の樹木の根の化石群こそ、宮崎 駿さんが、「腐海」として描き、その中に林立して浄化の役割を果たした生物群の残骸ではないのか。

 「腐海」とは毒素で汚染された世界ではあるが、そこで生存する生物たちの浄化能力により、
その「腐海」世界の深部では、毒素が浄化された清浄な世界が創られているという。
 その浄化された世界こそが、図り知れない時の経過を経て、今、現在、地上に現れているこの大地ではないのか。
 そして、ここに立つ墓標群が、「腐海」の毒素を浄化し、この上ない清浄な大気を創り上げ、その役割を終え、死んでいった生物群ではないのか。
 私は、ピナクルズの墓標の前に立ち、自然と「ありがとう」という言葉が出たものです。






 さらに妄想の旅は広がる。
 エアーズロックは、なぜ「地球の心臓」と呼ばれてきたのか。
 オーストラリア大陸は、なぜ南半球に孤立して存在しているのか。

 太古の超大陸バンゲアの東西に亀裂が入り、北にローラシア大陸、南にゴンドアナ大陸が分離移動し、さらにそれぞれの大陸が分裂しつつあった遠い太古の昔、南半球のゴンドアナ大陸にあって、おろかにも先人類が起こした最終戦争の後、南半球に孤立しつつあった汚染された大陸こそ、先オーストラリア大陸ではないのか。

 それは、地球の自転により、単に北半球と南半球の重さのバランスをとるためだけではなく、
地球の汚染を一手に引き受けることとなった結果ではないのか。

 また、エアーズロックとは、汚染された大気や水を取り込み、その6キロにも及ぶ深部へ送り込むことによって、毒素を取り除き、清浄な大気と水を生成する浄化装置ではなかったのか。
 だからこそ、「地球のへそ」「地球の心臓」「エアーズロック」と呼ばれてきたのではないのか。

 そして、風の谷とは、エアーズロックで浄化生成された大気が、その近くのカダ・ジュタの奇岩群の裂け目から湧き出し、その谷を吹きぬける風によって、大陸に拡散する役割を担っていた場所ではないのか。
 人類が起こした最終戦争とは、この大陸に埋蔵されている鉄鉱石やウラン鉱、さらには、この地で膨大な熱エネルギーを発していた天然のエネルギー源を巡る覇権の争いではなかったのか。

 また、アボリジニの先祖が残したレントゲン画法のロックアートは、彼らが、ウラン鉱が発する放射線の働きを知っていた証ではないのか。

 そして、先人類や有袋類の固有種の動物たちは、大陸に広がりつつあった「腐海」の狭間で、
幸運にも毒素の充満しない風の通り道、「風の谷」で生き延びてきた者たちではないのか。
有袋類の動物たちは、お腹の袋の中でわが子を毒素から守ることによって。

 また、アボリジニこそ、この大陸の歴史を神話として、ロックアートや伝承で語り継いできた先人類の継承者ではないのか。

 そして、計り知れない時の経過を経て、現在、このオーストラリア大陸は、人の住む大陸では、最も大気の清浄な大陸に生まれ変わっている。
 それは、何千万年もの時の経過と、大地と生物たちの浄化作用によって生成されたものではないのか。

 そして、現在、それとは裏腹に、北半球では、太古のローラシア大陸から分裂したユーラシア大陸の西の果てで、再び復活してきた産業文明の進展と、かずかずの戦争、核実験などなどにより、汚染された大気と海が広がりつつある。

 宮崎 駿さんが、未来予想図として描いた「風の谷のナウシカ」では、この北半球のユーラシア大陸の西の果てで、巨大化した産業文明の絶頂期を経て、繰り広げられた人類の最終戦争後の物語が、描かれている。

 そして、このピナクルズの妄想の旅で描いた南半球での太古の予想図は、「風の谷のナウシカ」で描かれた北半球の未来予想図から妄想したものではあるが、これは単なる妄想の産物ではなく、繰り返し過ちを犯してきた人類の必然の物語だったのではないか。

 そして、これらの物語が、現実のものとはならず、ミステリアスでファンタジックな過去と未来の予想図で終わらせるためには、計り知れない無数の生物たちの墓標の上に創り上げられた、この上なく清浄なこの「星」について、先人(王子さま)たちの残した言葉の意味を、我々は、今一度、心に刻むべきではないのか。













ここに掲載したピナクルズ以外の写真、アボリジニの言葉、先人たちの言葉は、
「BRUTUS 714号(2011.8.15発行」)からの引用です。

ナウシカさん

"ありがとうございました。
オーストラリア大陸を好きになっていただきましたでしょうか。"

"アボリジニの先祖から語り継がれている神話は、
私も小さい頃から聞かされていますが、本当の深い意味は、まだ解っていません。
ただ、地球の歴史と人類への警告が含まれていると、お祖父さんから聞いたことがあります。

神話の中に、モー吉さんが言っているような
太古の人類の過ちの歴史の真実が、隠されているのかもわかりません。

また、アボリジニの教えとして、
「生きていくうえでいちばん大切なことは?」との問いに対して、

私たちアボリジニのある人は
「Land」
「私たちの土地は、地球に生かされている。
地球に良いことをすれば、養ってくれる。
感謝を忘れて悪いことをすれば、悪いものを返してくる」と。
また、ある人は
「Sharing」
「分け合うこと。それは人間同士だけではなく、
動物や自然とすべての命を分け合うということ」
と答えています。
ここにある先人たちの言葉には、よく似た意味が含まれていますね。"

"カフェオーストラリアでは、
オーストラリアのおいしい果物も準備してお待ちしておりますので、
また、来てくださいね。心よりお待ちしております。"

 私は、オーストラリアへの最初の旅で感じたそのイメージと、そこで抱いた妄想について、"ノーザンテリトリーとピナクルズを巡る妄想の旅"と題して記しました。その第一弾を"オーストラリア旅の始まりPart4"として、このブログに載せました。今回の記事は、その第二弾
Part5です。

 このカフェは、私が最初に立ち上げたホームページ"逹真館"の"オーストラリア館"にくつろぎのスペースとして創りあげた"風の谷"です。





オストラリアへの旅の始まり 2011年8月

2019-12-24 23:18:29 | あの日を旅する
オストラリアへの旅の始まり 2011年8月
パースの街とフレンドリーなオージーたち

 オーストラリア大陸の名は、かつて、ヨーロッパ人が、北半球との大陸の重さのバランスをとる大陸、テラ・アウストラリスと名付けたことに由来すると、言われています。
 また、オーストラリア大陸は、南半球に孤立して存在し、太古からの大自然と何億年もの地球の息づきが今も続いているが、また、謎多き大陸でもあります。
 南半球の大地と大気、空、インド洋の海の色、そこに太古より住む固有種の動物たち、先住民のアボリジニ、そしてなによりもフレンドリーなオージーたち、すべてが魅力に満ちています。
 この旅で私が初めて目にしたオーストラリアの写真を通じて、そのパースの一部でも感じていただければ、思っております。

「世界で一番美しい街」 パース

 パースはオーストラリア大陸で一番大きな西オーストラリア州の州都です。
 パースの名は、この地を発見し、最初の植民を指揮したイギリス総督の出身地に因んで、スコットランドの街の名が付けられたと聞いています。また、その名の語源は、ピースであるとも聞いています。。


 かつて、兼高かおるさんが、「世界で一番美しい街」と呼んだキングスパークからのシティの眺めです。
 現在、建設工事中のビルがあり、残念ですが、今もってその名にふさわしい眺めでした。



 キングスパークの戦争記念碑とシティの眺めです。パースの空はどこまでも青く澄んでいました。


 冬の終わりですが、キングスパークには既にワイルドフラワーが咲き始めていました。


 パースの街のシンボル「ベルタワー」です。
 時を告げる鐘の音が街の人々の心を癒しています。



 古いロンドンコートの建物と近代的な高層ビルが仲良く立ち並んでいました。
 新旧の建物が程良く融合していて、心が満たされます。


 ロンドンコート入口を抜けると、古い町並みが古き良き時代の香りを伝えます。



 


 時計塔とパースの吸い込まれるような青空


 時計塔と高層ビルが仲良く並んでいます。


 ロンドンコートのカフェでくつろぐ人たち


 シティを走るバス



通路上で逆立ちしている楽しげな像


 アートな壁と恋人たち


 パース駅前広場



広場に集まる人々


 市民の足となっている無料バスキャッツは、シティの中心街を、ブルー、イエロー、レッドと三区域に分け、くまなく走っています。


 夜、キャッツが走る。


 時計塔とどこまでも澄みきった青空の下、歩行者空間となっている区域が広がっています。


 シティからも望むことができる、シンボルのベルタワー。


フレンドリーなオージーたち



 ロンドンコートのカフェで母と子


 ロンドンコートの父と三人の子


 ピナクルズのツァーで一緒になった乙女ふたり


 シティの街中でバイオリン演奏する子供五人組と、ちょっかいをだしているピエロ姿の大道芸人


 ロットネス島へ向かう船のデッキで、場所を譲ってあげた少女。
 "Thank You"  とうれしそうな笑い顔を返してきました。


 バスでロットネス島を周遊している我々に微笑みかけて、こちらを見つめるマウンテンバイクの乙女


 シティの街中で演奏するストリートミュージシャンの若者


 シティのパフォーマンスグループ三人組がポーズをとってアピールしてきました。


 ロンドンコートのカフェで親切にしてくれたウェイトレスさん