2016年を振り返って
Cyanotype Photo- 青写真
2016年の授業で、最も興味がわき、楽しかったものは、Cyanotype Photography
でした。
これは、日本で言うところの青写真です。よく設計図などで印刷されるものです。フイルム写真のネガティブフィルムを現像する過程に良く似ています。
プロセスは、まず、デジタルデータをPhotoshopでネガティブフィルム化します。
次に、、二種類の化学液から作った感光液をペーパーに塗り、印画紙を創ります。
この二つの過程を経た後、A4サイズのネガティブフィルムとその印画紙を重ね、太陽光か、暗室で光線をあて印画した後、その感光した印画紙を水で洗い流すと、青色のイメージが浮かび上がってきます。
最後にそれを乾燥室で乾かすと、青写真が完成します。
ネガティブフィルムは日本のメーカー「PICTORICO」のデジタルネガフィルムを使います。
今回は学校が全て用意してくれましたので、助かりました。学校には暗室や乾燥室、感光室などの設備が揃っており、今回初めてそこを使うことになりました。
私は,若い頃、フィルムの現像、感光を風呂場でやった経験がありましたので、むかしを思い出し楽しい作業となりました。また、設備が完備していましたので、昔に比べれば、はるかにやりやすい環境でした。
この授業では、Cyanotype Photoで、自分のテーマを決め、シリーズ作品として完成させることが要求されていました。
私は、取り集めていた京都の写真を素材として、シリーズ作品を創り上げることとしました。
Cyanotype Photoはノスタルジックな雰囲気をかもしだすので、私は、このシリーズを「Remained Longing-残された憧憬」と題して作品をつくりあげました。
このシリーズ作品には、Artist’s statementにより、作品のテーマを説明する必要がありました。そこで、私は次のようなStatementを書き上げ、プレゼンテーションの折りに説明しました。
Artist’s statement
Remained Longing
残された憧憬
On the series of work, I aimed to express about “Remained longing”.
私は、この青写真のシリーズ作品において、"残された憧憬"を表現しようと試みました。
I find out it in the typical Japanese existences in Kyoto where many
traditional customs and lifestyles still remain now.
私は、それを京都における日本の典型的な存在の中に見つけ出すことができます。
そこには、今なお、多くの伝統的なしきたりや生活様式が残っています。
Why I am fascinated deeply by their existences is, exactly that they are
not only memories of remote days, but also keeping existence
continuously up to the present.
It is such as appearance of time-honored shrines, Buddhist temples,
traditional private houses called as Machiya 町家, and traditional festivals.
Also I think the most typical existence embodying it is just Maiko.
It is why Maiko is keeping a time-honored custom and lifestyle,
in addition, is a symbol of Japanese beauty and hospitality.
私がそれらの存在に強く惹かれるのは、それが単に遠い日の記憶だけではなく、今もなお連綿と続く存在として保たれているからです。
それは、例えば、由緒ある神社やお寺の佇まいであったり、町家と呼ばれる伝統的な家屋や、古くから受け継がれている祭りであったりします。
舞妓もまた、正にそれをもっとも体現している存在てあり、日本的な美とおもてなしの精神の象徴でもあります。
Once each of them is covered with soft ray of sunlight or moonlight,
it gives me a nostalgic atmosphere with dim image, and calls back
a dear old memory to my mind.
それらの一つ一つが、一度、柔らかい太陽光や月光に包まれた時、それは、私におぼろげなイメージと一緒に、懐かしい情緒をもたらします。そして、また私の心に、愛しい古い記憶を呼び戻します。
This time, on the series, I purpose to create in photographic images
“ Remained Longing” hiding in the existences by blurry image and
Cyanotype print.
The reason is that I’m sure the both ways are most suitable for expressing
“ Remained Longing” in photographic image.
今回、この作品において、ぼやけたイメージと青写真の方法によって、それらの存在たちの中に隠されている"残された憧憬"を、写真のイメージのなかに創り出そうと思い立ちました。
それは、写真のイメージのなかにこの"残された憧憬"を表現するには、この二つの表現方法がもっとも適していると確信したからです。
Why I got the idea creating the photographic series is that I am incited
by nostalgic and oldish photograph and picture over 100 years ago, and
by verse of poem and song by Ogura Kei 小椋佳, “ Nokosareta Akogare
残された憧憬Remaind Longing ”.
私が、この写真集を思い立ったのは、100年以上前の懐かしい古びた写真や、昔から親しんでいた小椋佳さんの詩"残された憧憬"の一節に触発されたからです。
The process of creating the series was visiting “Remained longing”,
walking in my mind. And finally, I could find the figure.
この作品を創造する過程において、私はこの"残された憧憬"の世界を訪ね歩き、心の中を彷徨していました。そして、ついにはその姿を見つけることができました。
I state with confidence.
A kind of pictorial figure of remote days keeping sleep in blanket of time,
Shaken out of sleep by exposed to the ray of sunshine,
Revives like a shadow picture of revolving lantern flared by the wind,
Finally、“ Remained Longing”, as becoming dear and nostalgic and
reminiscent figure,will certainly appears.
私は、確信を持って言えます。
それは、はじめは、時の毛布に包まれて眠り続けるおぼろげな絵姿の様でしたが、太陽の光を浴びて、眠りから覚めたその時、風に揺らめく走馬燈の影絵の様に浮かび上がり、愛しい懐かしい姿となって、青色の古びた色彩の中に、"残された憧憬"が確かな存在として浮かび上がりました。
と。