モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

春立ちぬ そして 「風立ちぬ」

2013-08-11 03:00:41 | エッセイ
春立ちぬ そして 「風立ちぬ」   8月

 ここパースも二三日続いたストームが終わり、冬の終わりを告げるようなきれいな虹がかかり、春がそこまで渡ってきているような暖かさです。中庭の木々の新芽も少しずつ膨らんで来ているようです。
 シティの街に出ると、かもめたちの数が心なしか増え、飛び交う姿も今まで以上に活発になっているようで、春の到来を感じ、「春立ちぬ」といった今日この頃です。





 彼らの優雅な滑空をみていると、今,日本で上映されている映画「風立ちぬ」の零戦の飛行を思い浮かべてしまいます。七月に日本に一時帰国した時には,まだ公開されていなかったので,見れなかったのが大変残念でした。それで、こちらではパソコンで何度もその予告編の映像をみていました。
 私は宮崎アニメのファンで、彼の作品はほとんど見ています。特に「風の谷のナウシカ」は好きで、ここパースへも日本からDVDを持って来て、折りにふれ見ています。近年発売された徳間書店のワイド版の全8巻も購入し、改めて原板のアニメを知ることとなり、彼の思想の深さには感心したものです。
 私のHPでも、この作品をモチーフにした物語を載せています。また、HPの中の随所に、ネーミングとして「風の谷」「メーヴェ」「ナウシカ」などを使用させてもらっています。

 この映画「風立ちぬ」は零戦の設計者堀越二郎を主人公に、掘辰雄のラブロマンス「風立ちぬ」の世界がミックスされ、その「菜穂子」と二郎との世界が組み入れられ、ラブロマンス風に創られていますが、それだけではなく、昭和の初め、日本が戦争の泥沼にはまっていく時期を舞台に、そこに生きた人たち、暮らしぶりや風景が描かれています。
 そして、挿入歌荒井由美の「ひこうき雲」の一節「あの娘のいのちはひこうき雲」と歌われているように、零戦の悲劇と菜穂子の死がオーバーラップして描かれています。それはまた、正に昭和の始めから終戦に至る昭和史が、宮崎監督の目を通してアニメ化され美しく描かれています。
 その時代はどんなだったのだろうか。
 私は戦後生まれなので、その時代を肌で知ってはいません。宮崎監督は私より8年ほど前に生まれており、終戦当時は四、五歳だったと言っています。
 彼の親父の工場が零戦の風防を造っていたということで、彼はそれを見ていた記憶があるそうです。すなわち、彼の親父の生きた時代が二郎、辰雄の生きた時代と同時代で、彼はおそらく、親父からその時代の雰囲気を伝えられていたのではないだろうか。
 また、その体験からか、彼はたいへんな飛行機好きで、彼の作品のなかでも随所に登場しています。
 彼の言葉を借りれば、零戦は戦闘機というよりは工芸品だと言っています。その言葉の中に戦前の歴史の真実が語られているような気がします。堀越二郎は零戦のテスト飛行をみて、ただ一言「美しい」ともらしたと言っています。彼が造りたかったのは戦闘機ではなく、美しい飛行機だったに違いないとも言っています。
 それを造り得た当時の最高の技術を、戦闘機の開発に注がしてしまった国、国家戦略。その結果が零戦の悲劇、最後には特攻隊員を乗せることになった悲劇ではなかっただろうか。
 
 彼がこの映画製作のため、関東大震災の絵コンテを書き終わったときに、東日本大震災が起き、この映画製作をどうするか迷ったとも言っています。
 彼は「風立ちぬ」の時代と今のこの時代が良く似ているとも言っています。大震災と零戦、大震災と原発、ともに自然災害と技術の結晶からもたらされた悲劇。地震国にはミスマッチな原発の誘致という国家戦略の過ち。石油文明が終わりにさしかかり、原子力が行き詰まっているのに、まだこの日本は大転換に舵を切れないでいる状況など。この映画はいろんなことを語っているようです。 
 そして、宮崎アニメがいつも勇気を与えてくれるのは、この映画のキャッチコビーでもある「生きねば」という人生に対する前向きな姿勢です。「風の谷のナウシカ」でも,「もののけ姫」でも同じような言葉が使われています。




 「風立ちぬ」の宮崎アニメに想いを巡らした数日後、シティの街に出ると、春がそこまできている青空を、春風とともにかもめたちが優雅に飛び交い、いつになく活発な滑空を眺めていると、以前聞いた写真の友K君の言葉のように、映画の時代に生きた人たち、そして今の時代に死んで行った人たちの「生きねば」いう言霊が飛び交っているようでした。








We are one! ELICOS(Englishコース) END TERM2

2013-08-03 02:28:03 | 今日を旅する
ELICOS(Englishコース) END TERM2  2013 6月28日(金)
EVNT QUIS & SNACKS 
   We are one!

 今日は2013年の前期の最終日で、クラス対抗のクイズ大会の日だ。
 去年の後期の最終日は、KARAOKE大会で、この二つは、英語コースの一年の二大イベントとなっており、ホリデーの前ということもあって、生徒も先生も大変盛り上がる楽しい日だ。

 我々のクラスもこの週が最後とあって、また、クイズ大会に向けて結束を高めるため、TeagherのMikeの発案で、水曜日には、クラス全員で近くのインドネシア料理店でランチタイムをとることになりました。
 この店は、我々の学校からは五分もかからないノースブリッジの飲食店街の一画にある比較的割安の学生にはうってつけの店です。それでも、割安価格で一人当たり9ドルの値段です。
 我々がその店に着いたときには、すでに他のクラスの連中も来ていました。




 みんなそれぞれ好きなメニューを選んで食べましたが、大変美味しく、学生に人気があるのも納得しました。食事が終わってから、みんなで記念撮影をしてクイズ大会に向けて結束を高めるとともに、今週を最後に、別れ別れになるクラスメートとの別れを惜しみました。




 クイズ大会では、クラスの標語(モットー)を掲げることになっているため、このランチタイムの席で、我々のクラスのモットーを何にするかが、話題となり、私は是非"We are one!"をモットーにしたいと思い、提案しました。
 他の提案がなかったため、何となくこのモットーに決まったようでした。
 私がこの標語を提案したのは、わたしが授業のプレゼンテーションで訴えたかった内容を意味していたからです。
 それは、「遠い遠い昔には、我々のLandはひとつ(古代大陸バンゲア)であったし、アフリカで誕生した人類も、もとはひとつであった。そして今、人種の異なることになった我々は、オーストラリア大陸の平和という名を意味するこのパースの地で、留学生として、また再び集まりひとつになったのだ。」という意味も込めていました。
 そして、その意味が伝わったのか、私たちは、四大陸にまたがるインターナショナルファミリーを結成し写真におさめることにしました。それは、イタリア人のヨーロッパ、日本人のアジア、モーリシャスのアフリカ、チリの南アメリカの四大陸です。


 そして、クイズ大会の当日は大変盛り上がりました。クイズは一般部門とオーストラリア部門に別れていますが、トータルの正解数を競うことになっています。
 我々のクラスは検討むなしく、優勝はできませんでしたが、正にその日は「We are one!」になった一日でした。