忠治磔刑後、公儀の眼を盗んで埋葬と供養に奔走した徳は、首は養寿寺法印貞然和尚に託し、
自らも情深墳を建立して遺体を葬送したことで、やるべきことが一段落した。
良きにつけ悪きにつけ、生き甲斐となりでいた忠治という後ろ盾を失い、自らも押込の罪を蒙った今、
本来は忠治の悪逆を滅罪するためにも、五目牛村一農家の寡婦として、残った生涯を平穏に、
終わるべきであった。徳は板橋宿での忠治との永別に臨んで、必ず尋常に御公儀様の御用に
立つように、と要求したからには尚更である。
ところがそれはそれ、また新たな生きがいを求めて行動を起こすのか、徳の生き様である。
忠治傑刑のほとぼりの醒めない頃から、徳は玉村宿を寄場とする改革組合総代渡辺三右衛門に
接近していく。
続く