アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説国定忠治 平成弐拾七未年 其の九

2015年02月14日 | 近世の歴史の裏側

 渡辺三右衛門とは、徳が玉村宿の旅籠屋大坂度弥平次に収監され、種々取り調べを受けていた

嘉永三年(一八五〇)十月九日、十両の貸金取り立てを三両の礼金で仲介して貰ったのが、

馴初めであった。

江戸に送られ、公事宿坂野屋平五郎預けとなった十月末から十一月初め、訴訟で出府した

三右衛門と再会し両国廻りで二度も酒食をともにし、五目牛村の菊池本家に緊急の書簡を、

託したりもしている。

 忠治一件か落着した翌嘉永四年に入ると、交際は加速する。飛脚や親類、知己を介しての

付き合いあったのが、四月十三日には三右衛門の方から五目牛村の徳を訪ね、

一泊している。

 五月二十九日昼過ぎから翌月の六月一日まで滞在して、組頭伝兵衛を紹介されている。

 徳は意図して玉村宿の顔役渡辺三右衛門に近付いたに違いない。普通の付きいなのか、

単に男女関係なのか、転んでもただでは起きない徳のことだから、何か大きな狙いがあるので

ないだろうか、 おそらく狙いは三右衛門の顔を頼りに、蚕景気に賑わう玉村宿で

一旗挙げようということを考えて行動したのだろう

ところで徳が目を付けた三右衛門(どのような人物なのか、三右衛門は天保十三年(一八四二)

十二月から、「御用私用掛合答外日日記」と題して、公私にわたり、その日の出来事を詳しく

日記書き留めていた。

渡辺三右衛門の日記から、徳のその後があぶり出されて来る。

                                      続く