TOHOシネマズ錦糸町オリナスにて6ポイント鑑賞。
監督:前田哲
脚本:龍居由佳里、前田哲
原作:葉真中顕
製作:有重陽一
製作総指揮:福家康孝、新井勝晴
出演:松山ケンイチ、長澤まさみ
音楽:原摩利彦
主題歌:森山直太朗
制作:日活、ドラゴンフライエンタテインメント
配給:東京テアトル、日活
上映時間:114分
職業柄、鑑賞しておきたかった作品。
「42人殺した彼は、正義か否か?」というキャッチコピーを観て、この映画を叩かなければ、介護業界が危ういという危機感を抱き、半ば使命感で劇場へ足を運んだ。
だって、42人殺すことに正義があるとか馬鹿げているでしょう。30人以上殺したやまゆり園の犯人は正義なのかな。
42人て、1ユニットの入居者人数並みだからね。1ユニット皆殺しして正義ってか?
で、鑑賞してみたら、予想以上に観客が多くて、PLAN75同様、この類のテーマの関心の高さが伺えた。
殺人シーンが起きるまでの演出は良かったのだが…
後半がだめだめ。
まず、経済的虐待(というかただの窃盗)してるセンター長、やばすぎるやろ。
主人公がサイコパスでセンター長も屑て。確かに介護業界で昇進する奴は屑が多いかもしれんが、センター長が屑でエース職員まで
サイコパスて救いようがなさすぎる事業所や。闇が深すぎる。
殺すことすらロストケアと自ら命名し、(終末期の過程で喪失の期間というのはあるが)安楽死=介護だと最後まで改心しなかった主人公。
本作では在宅介護の辛さに焦点が置かれている。PLAN75の冒頭ややまゆり園みたいに施設の入居者を殺しているのではないという論理。
施設にすら預けられず、(金銭的理由かあるいは施設も順番待ちゆえ?)、24時間在宅介護に身体をすり減らす家族(主人公もかつてそうだった)の姿が描かれるが、
暴れてテーブルの上のもの散らかしておしっこ漏らすぐらいの描写しかないけど、現実には壁にうんこ塗りたくるとか、
近所に被害妄想抱いてすぐ警察沙汰になるとかもっといくらでも描けたわけで、なんでこんな生ぬるい描写しかできないのだと、監督の力量を疑う。
あと、脳梗塞起こしたあとに柄本明、あんなに長文の言葉を表出できるとは思えない。
かなりあそこで覚めてしまう。いくらでも説明台詞な日本映画。もう演出がうんこ。ゴミ以下。
松山ケンイチの演技は素晴らしかったですね。
長澤まさみの役はなんなんだ?原作にはないっぽい、かなり実写化に際して改悪がされてそう。
特にラストのシーンは意味不明。なんで犯人側に検事が歩み寄るのか。
身寄りがなくて孤独死するのは仕方のないことだ。それが嫌だから結婚するなりなんなりして頑張るわけだから。
施設にすら預けられない穴に落ちた人々がいる、と(冒頭で身寄りがなく刑務所に何度も戻ってるばばあ然り)訴えたかったのだろうが、
(世界には穴が開いているという表現にはしっくりきた)
要介護度が高く、認知症状が激しくてもその場に存在するだけで安心する・という家族がいることも忘れてはならない。というか、ほとんどの家族はそうなのではないか。
私は、家族が親に長く生きていてほしいからやたらと延命させたがる風潮の今の日本には反対だが。
介護に苦労している親を皿を割る程度に表現しているのも、ねえ。
長澤まさみはあんまりいい役をやらない気がする。
新人の女が風俗に堕ちるのも謎。
介護ノートは、私もつけていましたがほぼ三日坊主で終わりましたね(笑)
いずれにせよ、主人公が判断することではないですね。主人公は盗聴までして、家族の様子を伺った上で殺害に及んでいますが。主人公は、家族が限界に達し殺人を犯す前に代わりに自分が汚れ役を買って殺してやっているという理屈。
抑制剤使うなり色々ありますからね。まあ、大変な要介護者がいるのも事実としてあるでしょうが。
認知症のひどい老人なら殺していい、障害者なら殺していいとかならいくらでも理由があり、どこで線引きつけるのか。
特に主人公の父親は、栄養剤とか飲んでないならあの状態なら殺さなくても先は長くなかったのでは。
以上。メジャー作品でもこういう題材が増えるようになった。もっと深く掘り下げてほしい。
スクショにも残すので覚悟してください。