もと検査長 2008-11-22 05:50:41 | 昭和62年3月31日小樽築港 神様と呼ばれていたY氏です。前夜、京王プラザホテルで行われた「C62復活の夕べ」でも竹島編集長とともに前にお座りになっていました。 昨晩から札幌に来ています。
運転台 2008-11-22 05:41:06 | 昭和62年3月31日小樽築港 長年の風にさらされボロボロだったようです。88年4月に復活した時は、昔の設計図通りに新調されました。ナンバープレートがつけられている場所は、サイドとは言えどまさに顔です。
サイドビュー 2008-11-21 05:34:57 | 昭和62年3月31日小樽築港 お気に入りの角度です。除煙板もSLのシンボルだと思います。D51のようにC62の除煙板も切られるという話はあったのでしょうか。
磨く 2008-11-20 05:24:02 | 昭和62年3月31日小樽築港 反対側からのサイドビューです。磨かれることでC62も喜んでいたことでしょう。作業中に少しの移動がありました。動輪が半回転した程度でしたが、きちんと汽笛を鳴らしてからの移動でした。
ストーカー 2008-11-19 05:10:11 | 昭和62年3月31日小樽築港 聞こえの良くない言葉ですが、C62の部品のひとつです。自動給炭機といい、文字通りの機能を果たします。機?器? 作業員の方に「自動給炭機はどうなりましたか?」と尋ねると「今回は殺した。」とぶっそうな答えでした。その後、近くにあったブルーシートと取り去り、太い管を見せてくれました。 ストーカーのことを初めて知った時は「C62には機関助士は必要ないのだ。」と考えていました。
鉄道ジャーナル昭和61年秋 2008-11-17 05:07:12 | 昭和62年3月31日小樽築港 本屋で立ち読みしていたら、目次に「C623古巣の小樽築港へ」という記事を見つけました。続きは家で読むことに即刻購入。記事の中に「復元化」という文字を見つけた時は思わず涙しました。
C62の情報を求めて… 2008-11-15 05:29:29 | 昭和62年3月31日小樽築港 インターネットがなかった時代、C62に関する資料は雑誌に頼るのみでした。鉄道J、鉄道Fは現役車両のことがメイン。SLの情報はどんどん減りました。そんな中、キネマ旬報社の「蒸気機関車」を見つけた時は喜びを感じました。
あこがれのC62 2008-11-14 05:17:54 | 昭和62年3月31日小樽築港 「鉄ちゃん=男の子」でしたが、最近は「鉄子」なる言葉が進出しています。昭和62年3月31日国鉄最後の日、その現場では鉄子など無縁の世界でした。 昭和45年10月のダイヤ改正で関東地方からSLが消えたと記憶しています。同時に刊行された「鉄道ファン・SL撮影地ガイド(倶知安の2つ目キューロクが表紙)」にて急行ニセコのことを初めて知りました。と同時に「北海道」という地名が日本にあると知った瞬間だったのかもしれません。