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「鉄ちゃん=男の子」でしたが、最近は「鉄子」なる言葉が進出しています。昭和62年3月31日国鉄最後の日、その現場では鉄子など無縁の世界でした。
昭和45年10月のダイヤ改正で関東地方からSLが消えたと記憶しています。同時に刊行された「鉄道ファン・SL撮影地ガイド(倶知安の2つ目キューロクが表紙)」にて急行ニセコのことを初めて知りました。と同時に「北海道」という地名が日本にあると知った瞬間だったのかもしれません。
昭和45年10月のダイヤ改正で関東地方からSLが消えたと記憶しています。同時に刊行された「鉄道ファン・SL撮影地ガイド(倶知安の2つ目キューロクが表紙)」にて急行ニセコのことを初めて知りました。と同時に「北海道」という地名が日本にあると知った瞬間だったのかもしれません。
今思うと中央西線にあの時期までD51が残っていたのが不思議です。稲沢区のD51の2号機が消えたのは昭和46年4月でした。加太を訪れたのは無煙後しばらくしてからでした。写真のイメージと違い短いカーブでした。
C623の全検は平成8年で切れているそうです。気前の良いスポンサーがいないと実現は難しいでしょうね。
最近は大型のSLは本州方面ばかりです。またC62が山線を走ってくれないかな・・・。
八高線、両毛線、足尾線、高崎貨物線等々でサヨナラ列車運転されたと思います。
私は足尾線C12重連のサヨナラ列車に乗りました。
桐生に両毛線は旧型国電の宝庫、旧一等車に感激した物です。