2010年9月14日(火)
今日は、エッセイサークルの日。
今日のウィステのエッセイは、くうちゃんについてだった。
その中で、
「初産の娘の側にいてあげられる・・・」と、書いた箇所があって、
先生は、
「とんでもない! ここは、”やる”です!」と。
「初産の娘の側にいてやれる・・・」ですか・・?
「やる、やれる」って、ウィステには乱暴な言葉に聞こえる。
話し言葉としても使わない。
でも、先生は、「これが、日本語として正しい・・」と。
ウィステも、ここは譲れません・・。
ということで、ウィステ、「あげる」も「やる」も使わない、
「初産の娘の側にいられる」ということにしました。
ささやかなこだわりです・・・。
(←反抗期です・・・)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
くうちゃん
母の日に、娘夫婦が訪ねて来てくれた。私はムスメの顔を見るとすぐ、「体の調子はどう?」
と、聞き、ムスメは、「うん、大丈夫」と、にこにこと答えた。妊娠六ヶ月となったムスメは、
今風の妊婦さんらしいジーンズ姿だ。そのふっくらとしてきたお腹を見ると、まずは無事安定期まで育ったと、
ほっとする。ムスメとムコ君は、玄関脇の仏間で仏壇に手を合わせてから、二人で部屋の中を見回している。
「里帰りしてお産をしたいんだけれど」
と、ムスメに相談されたときに、私は、初産の娘の側にいられるのが嬉しく、
「ああ、そうしなさい」
とすぐに答え、階段を使わないよう、一階の仏間で寝起きすれば良いと心積もりをした。
ここに、八月半ばからムスメが戻ってくる。お産までは妊婦のムスメとの暮らし、産後一ヶ月ほどは
ムスメと赤ちゃんの世話、それに、ムコ君も週末ごとに訪れるだろうしと、一人暮らしのペースが急に
慌しくかき回されそうだ。だが、そんなことより、久々に「必要とされている」という実感に、
エネルギーが湧いてくる。
「ここらへんにベッドを置いたら良いかしらねえ」
「お義父さん、娘と孫と一緒になるね。喜んでるかな?」
と、心を弾ませている二人に、私は、
「予定日の九月二十六日って、お父さんとお母さんの結婚記念日なのよ」
と、話しかけた。予定日どおりにはなかなか生まれないけれど、「九月二十六日」と聞いたときから、夫の位牌に、
――あなたもムスメの赤ちゃんを見たかったでしょうに。
九月二十六日に生まれるってことは、あなたとの縁が特別に深い子かも……。
と、語りかけていたのだ。だが、二人は、
「そういえば、そうねえ」
「男の子だったら、お義父さんの生まれかわりかなあ」
と、言いながらも、二人の目は、初子のベビーベッドの場所を探しているようだった。
――私の九月二十六日と、この子たちの九月二十六日は違う光景なのだ……。
まっさらな命、古いあやを被せちゃ、いけなかった。
その日まで、静かに静かに……。
居間のソファーに座ると、ムスメのお腹はぐっとせり出す。ムスメはそのお腹を撫でながら、
「この子ねえ、九月生まれだから、くうちゃんって呼んでいるの。ねえ、パパ」
と、ムコ君に呼びかけた。彼は、
「まだどっちか分からないから仮りの名前ですけれど、ねえ、ママ。これ、写真です」
と、私に緑色のファイルを手渡してくれた。
――そうか、くうちゃんなのね。
そして、くうちゃんのパパとママになったのね。
表紙を開けると、そこに、最新のくうちゃんがいた。この前見せてもらったエコー写真では、
くうちゃんはまだお魚のようだった。それがもう、立派な人間の姿になっている。真横から写された
くうちゃんの大きな頭の下のほうには鼻らしい出っ張りも見える。右手は、丸まった体の胸の辺りに置かれている。
その姿は、誕生の時に向かい両手を合わせて祈っているかのように見えた。
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今日は、エッセイサークルの日。
今日のウィステのエッセイは、くうちゃんについてだった。
その中で、
「初産の娘の側にいてあげられる・・・」と、書いた箇所があって、
先生は、
「とんでもない! ここは、”やる”です!」と。
「初産の娘の側にいてやれる・・・」ですか・・?
「やる、やれる」って、ウィステには乱暴な言葉に聞こえる。
話し言葉としても使わない。
でも、先生は、「これが、日本語として正しい・・」と。
ウィステも、ここは譲れません・・。
ということで、ウィステ、「あげる」も「やる」も使わない、
「初産の娘の側にいられる」ということにしました。
ささやかなこだわりです・・・。
(←反抗期です・・・)
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くうちゃん
母の日に、娘夫婦が訪ねて来てくれた。私はムスメの顔を見るとすぐ、「体の調子はどう?」
と、聞き、ムスメは、「うん、大丈夫」と、にこにこと答えた。妊娠六ヶ月となったムスメは、
今風の妊婦さんらしいジーンズ姿だ。そのふっくらとしてきたお腹を見ると、まずは無事安定期まで育ったと、
ほっとする。ムスメとムコ君は、玄関脇の仏間で仏壇に手を合わせてから、二人で部屋の中を見回している。
「里帰りしてお産をしたいんだけれど」
と、ムスメに相談されたときに、私は、初産の娘の側にいられるのが嬉しく、
「ああ、そうしなさい」
とすぐに答え、階段を使わないよう、一階の仏間で寝起きすれば良いと心積もりをした。
ここに、八月半ばからムスメが戻ってくる。お産までは妊婦のムスメとの暮らし、産後一ヶ月ほどは
ムスメと赤ちゃんの世話、それに、ムコ君も週末ごとに訪れるだろうしと、一人暮らしのペースが急に
慌しくかき回されそうだ。だが、そんなことより、久々に「必要とされている」という実感に、
エネルギーが湧いてくる。
「ここらへんにベッドを置いたら良いかしらねえ」
「お義父さん、娘と孫と一緒になるね。喜んでるかな?」
と、心を弾ませている二人に、私は、
「予定日の九月二十六日って、お父さんとお母さんの結婚記念日なのよ」
と、話しかけた。予定日どおりにはなかなか生まれないけれど、「九月二十六日」と聞いたときから、夫の位牌に、
――あなたもムスメの赤ちゃんを見たかったでしょうに。
九月二十六日に生まれるってことは、あなたとの縁が特別に深い子かも……。
と、語りかけていたのだ。だが、二人は、
「そういえば、そうねえ」
「男の子だったら、お義父さんの生まれかわりかなあ」
と、言いながらも、二人の目は、初子のベビーベッドの場所を探しているようだった。
――私の九月二十六日と、この子たちの九月二十六日は違う光景なのだ……。
まっさらな命、古いあやを被せちゃ、いけなかった。
その日まで、静かに静かに……。
居間のソファーに座ると、ムスメのお腹はぐっとせり出す。ムスメはそのお腹を撫でながら、
「この子ねえ、九月生まれだから、くうちゃんって呼んでいるの。ねえ、パパ」
と、ムコ君に呼びかけた。彼は、
「まだどっちか分からないから仮りの名前ですけれど、ねえ、ママ。これ、写真です」
と、私に緑色のファイルを手渡してくれた。
――そうか、くうちゃんなのね。
そして、くうちゃんのパパとママになったのね。
表紙を開けると、そこに、最新のくうちゃんがいた。この前見せてもらったエコー写真では、
くうちゃんはまだお魚のようだった。それがもう、立派な人間の姿になっている。真横から写された
くうちゃんの大きな頭の下のほうには鼻らしい出っ張りも見える。右手は、丸まった体の胸の辺りに置かれている。
その姿は、誕生の時に向かい両手を合わせて祈っているかのように見えた。
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