ぶらつくらずべりい

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阪森郁代「ランボオ連れて風の中」弾むかなしみ

2012-12-11 05:27:06 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
鳥のこゑとどく距離まできららかに五月の風はせり上がりゆく

季節は少し進み五月。五月の風はとても心地好い。鳥のこゑに届く距離まできららかにせり上がる。つまり、五月の風は神の声、神の息吹。私は五月の風に触れられるだけで救われた気がすることがある。

阪森郁代「ランボオ連れて風の中」弾むかなしみ

2012-12-09 06:00:37 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
空の中より湧き出づるかな鳥のこゑ消えゆくところはた空の中

この「はた空の中」の「はた」は「あるいは」とか「はたまた」とか他の可能性を残す言葉だ。つまり作者にも答はない。鳥のこゑは神の声だ。だからこそ、空の中より湧き出づるし、はたと空の中に消えるのだ。ミモザの坂を下った家族。その家族の中にいる作者はこのこゑに強く祈っただろう。

阪森郁代「ランボオ連れて風の中」弾むかなしみ

2012-12-08 08:21:01 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
かなしみを荷物のやうに持ちかへて少し弾めりそのかなしみは

荷物を右手から左手に持ち帰るだけでぐっと楽になる。荷物の重さは勿論、変わらないが。かなしみが荷物だとすれば同じだろう。あまりに重ければ 持ちかえるべきなのだ。そうすれば少し楽になる。ただかなしみは荷物ではないから難しい。

阪森郁代「ランボオ連れて風の中」弾むかなしみ

2012-12-07 05:55:24 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
子らふたり走らせわれら茫洋とミモザの坂を下(くだ)りゆくなり

「われら」だから夫婦で歩いているのだろうか。前を行く子ら。ミモザの咲く下り坂。茫洋としているのはこの景色ではなく時間ではないか。春、子ら、下り坂の景色。未来を象徴している。

阪森郁代「ランボオ連れて風の中」弾むかなしみ

2012-12-06 05:58:09 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
幸(さきは)ひの兆せるごとし やはらかにわれはうたふよ黄なる花の下

柔らかで幸せな一首。幸せな感情を歌で表現するのは珍しいがこの一首は成功している。この柔らかな感覚がその原因だろう。幸ひはまだ兆していない、ごとしなのだ。春はそんな予感を人に与えながら一方で花を散らす未来も予感させるから落ち着かないのだ。