ぶらつくらずべりい

短歌と詩のサイト

主役の魅力

2022-02-28 11:57:00 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
人ひとり愛してゐます基本的なことを誰にも話してゐない(大越泉)

どこかユーモラス。
確かにあまり、「人ひとり愛しています」とは他人に話す機会は無い。
けれど、確実に「基本的なこと」
人として誠実なこと。
映画であればとても、この一首の主役が好きだ。



孤独と共に

2022-02-27 07:28:00 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
大人にはなかなかなれず少女から老女になるのはたやすいような(若尾美智子)

漢字に注目して欲しい。
「大人」「少女」「老女」
平仮名だと読む時に少し引っ掛かる。
作者の実感なのだろう。
気が付けば老女になっていた。
少女時代はよく憶えているだろう。
大人は難しい。
少し頑張らないといけないから。
否が応でも大人を求められる。
大人は孤独と共にある。

午後の曳航

2022-02-26 16:47:00 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
午後の海に曳航されてゆくごとしおだやかな死をははは賜いて(川田由布子)

一読、神の存在を感じる。
それは「賜う」の存在だ。
神が「午後の海に」「はは」を「曳航」して行った。
それくらい穏やかな「死」。
死は本来、どこか残された者にすれば暴力。
けれど、死を迎える側にすれば最後の暴力なのだ。
それが穏やかなものであれば、それは「賜う」もの。
「ははは」は漢字で「母は」ではどうだっただろう。



指の孤独

2022-02-25 06:50:00 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
ゆびというさびしきものをしまいおく革手袋のなかの薄明 (杉崎恒夫)

「革手袋」とは「ゆびというさびしきものをしまいおく」ためのものだと言う。
その中の薄明かりを詠む。
「さびしき」から「薄明」を繋ぐ線。
薄明は少しの希望だと思う。
「革手袋」から感じる寂寥感もいい。
ゆびが寂しい理由はいくつか思い浮かぶが、指が寂しくない時間は誰かに触れている時間だろう。

短詩形で「さびしい」と感情をそのまま言うことは冒険だ。
言わずに感じてもらうことがある種の成果だから。
けれどこの一首は「さびしい」と言わなければならなかった。
「薄明」とは日の出前、日没後の薄明かりの状態。


連絡してみようかと思った

2022-02-24 13:04:00 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
七十歳(しちじふ)にならば七十歳のははに会はむおくれて気づくことばかりなる(紺野裕子)

母にも自分と同じ歳だったことがある。
確かに当たり前だが、そこに気がつくこと。
気がついた後、遅れて気がつくことがある。
いくつになっても母の子供なのだ。
たまには母に連絡してみようかと思う。