「はやりを」河野裕子 桃食みて 2010-09-30 05:57:50 | クンストカンマー(美術収集室) 真剣に子を憎むこと多くなり打つこと少くなりて今年のやんま 真剣に子を憎むほど打てなくなる。憎んで打つことはただの暴力になるからだ。しかし消化することの出来ない気持ちは消えない。それは今年のやんまのように存在するのだ。トンボではなく「やんま」としたのがこの一首の臍だろう。
短歌人十月号 2010-09-30 05:56:32 | 平成23年短歌人誌より 「お、あ、冷た」ひとり言いつつ傘させばとたんに雨の音が聞こえる 投げ出せる訳もないからアオサギは僕のかわりに中空を飛ぶ 自らを未来へつなぎ止めるためカップラーメン買い込んでおく 唐突に逝ってしまった人の夢。梅雨の終わりを告げる雨音 この男世が世ならとてもよい憲兵になるそんな真面目さ 真っ直ぐな君の言葉はいつだってポテトサラダのキュウリのようだ
「桜森」河野裕子 沼 2010-09-29 06:51:26 | クンストカンマー(美術収集室) 肉が肉押しわけてゐる雑踏にどつとかなしきわが乳房なる なぜ、乳房がかなしいのか。同じ肉に過ぎないはずなのに。しかし、確かに作者には違うと感じる何かがある。敢えて人間を肉と表現したことからも、肉という語感が持つ存在感を表現したかったのだろう。つまり、そういう生命を育む乳房がかなしいと感じた。若しくは、育めなかったことがかなしいのではないか。事実がどうであれ私は前者をとりたい。
智恵子抄「風にのる智恵子」高村光太郎 2010-09-29 06:50:54 | クンストカンマー(美術収集室) 狂つた智恵子は口をきかない ただ尾長や千鳥と相図する 防風林の丘つづき いちめんの松の花粉は黄いろく流れ 五月晴(さつきばれ)の風に九十九里の浜はけむる 智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ 白い砂には松露がある わたしは松露をひろひながら ゆつくり智恵子のあとをおふ 尾長や千鳥が智恵子の友だち もう人間であることをやめた智恵子に 恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場 智恵子飛ぶ
短歌人九月号 新倉幸子 2010-09-28 05:57:29 | 平成22年短歌人誌より 六人の姉もつわれに娘が二人その子それぞれ女の子生みぬ 算数の計算式のようだ。さて、何人でしょうかと問われるような。このままだと九人だがこの文章題はまだまだ先があるだろう。娘が産んだ女の子がまた女の子を産む可能性もあるからだ。