ぶらつくらずべりい

短歌と詩のサイト

阪森郁代「ランボオ連れて風の中」大きなるキャベツ

2013-01-31 05:51:19 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
冬薔薇のくれなゐ固し尖りたる夜の芯より言葉をほぐす

冬薔薇のくれなゐが固く尖った夜の芯に言葉は仕舞われている。その言葉をほぐす。柔らかくばらばらにならないように。そして開かれほぐされた言葉は短歌になる。

阪森郁代「ランボオ連れて風の中」大きなるキャベツ

2013-01-30 04:39:02 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
大きなるキャベツを据ゑてみたけれども独りのわれは鎮めかねたり

キャベツは切り応えのある野菜である。葉もびっちりと詰まっているから重い。そういう意味で非常に存在感のある野菜だ。そんなキャベツを据ゑてみたけれど、われを鎮めかねている。どっしりとした感覚ではなくどこかに飛んでいってしまいそうなのだ。

阪森郁代「ランボオ連れて風の中」大きなるキャベツ

2013-01-29 05:51:51 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
水仙の束わが胸に移されて仄かに冬の花つめたかり

水仙の一首といえば

少年は少年と眠る薄青き水仙の葉のごとくならびて
葛原妙子「原牛」

この一首のようにどこか清らかで美しいイメージの花だ。だからだろうかどこか冷たい。まるで胸の中まで冷えてしまうような。

阪森郁代「ランボオ連れて風の中」大きなるキャベツ

2013-01-28 05:16:20 | クンストカンマー(美術収集室)短歌
冬の虹果てたるのちを何ゆゑにふかき地球の襞を思ふや

非常に大きな視点の一首。宇宙から地球を見下ろしているようだ。地上から見上げていない。何ゆゑに襞を思うのか分からない。分からないが襞を思うことは何となく分かる。この言葉にならない分かるという気持ちを抱かせることが、作者と私の抱く理屈ではなく理解するという感情を共感を呼ぶのだ。普段、この理屈抜きで理解しそれを共感するということをどれだけ出来るのか。

「嘘、それからセスナ機」

2013-01-27 05:57:31 | 結社提出歌
「嘘、それからセスナ機」

さくらさくしたであけびの花もさく君もちいさく嘘とつぶやく

断崖で立ち尽くしてる僕のなか春の突風吹き抜けていく

前髪も君に遅れてくしゃみする菜の花経由の風に吹かれて

早緑の枇杷の葉の輝る木の下のきみとはきっと実を結ばない

万全の準備をしたと言うきみが拗ねて見上げる六月の青

初夏の昼、競歩のように駆け抜けて脱ぐもの脱がず玄関でする

紅潮を終えた乳房に耳を当て海に還りし血流を聞く

夏空に下手投げした白球を僕らはいつも見失うだけ

初秋に生まれた僕は夏の影引きずる君を探してしまう

二度ともう銀河を渡ることはない道に散らばる木犀を踏む

肌寒い風、初冬、ほら、たくさんの落ち葉がきみの嘘のごと降る

寒いとは言わない僕の指先を沈黙のまま乳房にしまう

細長い時間だったね君自身きみから語ることはなかった

気づかない振りに気づいていた君も告げられぬまま自転車を押す

君なしの未来が欲しい冬空に小さな白いセスナ機が飛ぶ