“はくつる”の思い出

2009年11月07日 01時04分10秒 | 公開記事

11月6日に、上野発青森行きの夜行列車、寝台特急はくつるが運転されました。
この列車、団体扱いではありましたが、ほぼ晩年の姿が再現されました。

9011レ EF81138+24系【はくつる】 (21:45) 2009/11/06 東北本線栗橋付近

私が鉄道写真を始めたのはもうかれこれ十数年前になりますが、その頃はまだ“北斗星”もバリバリ3本体制で、もちろん“はくつる”も毎夜運転されていました。当時、小学生だった私は、今の小学生は普通なのかもわかりませんが夜11時過ぎまで起きてることはあまりなく、時たま自分の部屋の窓から見ることのできた、沿線をゆっくりと走る下り“はくつる”の姿は今でも鮮明に印象に残っています。

上りも、今となってはたいしたことはない朝6時前起床が当時はなかなか難しく、せっかくの休みの日に寝坊して撮れずに涙をのんだという経験も多々ありました。当然ながら若かったボクは平日の早朝に撮ろうとは考えもしなかったことを補足しておきましょう。それでも毎週休みの前夜になれば、インターネットもない時代ゆえに「177」に電話して天気予報を念入りに確認し、撮ることに期待を膨らませていました。しっかり起きれた朝は、自分にはまだまだ大きかった重たい三脚を持ってワシクリに赴いては、“はくつる”をフィルムに収めていました。本当に懐かしい思い出です。笑


初めて撮ったはくつるは濃霧の中を突き進む“はくつる”の姿


汚らしい釜がこれまたボロッちい客車を牽いている、それがはくつるの印象だった

この頃は、撮り始めながら一丁前に一眼レフカメラを操ってはいたものの、絞りやら露出やらちんぷんかんぷんで、さらにはレンズも単焦点F1.4の50mmと75~200mmの2本、まさにワシクリでピッタリなレンズを持っておらず、古い写真を見返すとどれも構図が悲惨で、傾いていたり流れていたり編成が切れていたりと使い物にならない写真ばかりです。でも、ときどき挑戦的な構図もあったりするので、もしかするとセンスは昔の方が優れていたかもしれません(汗)


200mmレンズに2倍のテレコンバーターをつけて400mmで正面ドカン
意匠的な構図は、最近はなかなか手が出せない…

ワシクリのすごい日の夜行列車パレードは、5:10の臨時寝台特急583系はくつるに始まり、5:40の臨時急行八甲田、5:47の定期寝台特急はくつる。このあと、しばらく空いて、8:35に北斗星2号、9:35に北斗星4号、10:35に北斗星6号、12:00に臨時エルムと、とにかく今では信じられないものでした。


個人的にリバイバル運転を強く期待している583系のはくつる


通常期は9両、増結して12両などが見られたが、今ではまさに夢の世界

青森⇔上野間が3本体制になるのは、お盆やGWでしたが、10年前にはそれだけ需要があったのでしょう。はくつるの歴史は、20系でスタートしたのちに583系による電車化で長い間活躍しますが、最終的には24系で落ち着きます。完全廃止になったのは東北新幹線八戸開業にあわせた平成14/2002年12月1日。約40年間走り続けた列車でした。


大宮工場公開ではくつるHMを掲げるEF5889。現役時代は牽引の実績もある

ブルートレインのヘッドマークはどれもデザインセンス抜群ですよね。でも、はくつるのは、「はくつる」が金色なので写真写りが悪く、晩年はどうしたらちゃんと写るのか、よく悩んだものでした。フィルムは現像するまでわからないので幾度となく挑戦したものの、結局、完ぺきに文字が浮かび上がったのはこの1枚だけでした。


ワシクリカーブをゆく“はくつる”。この写真はとりわけお気に入り

あくまで私の勝手な印象ですが、この頃は青森釜は汚らしいし、客車はボロボロ。とにかく「なんなんだ、これは」といつも思っていました。でも、まさか尾久の客車よりも生き永らえるとは思いもしませんでしたね。そういえば、電源車の顔もいろいろあって、当時は撮った後に振り返って“カニ”を見るのも楽しみの一つでした。そんな魅惑的な青森の客車。せめて今回の送り込みの回送は宇都宮線内を午後に通過するスジが良かったですよね。強いて言えば、それでヘッドマーク付きだったら…


台風の影響で8時間近く遅れて午後にやってきたはくつる

さて、久しぶりの“はくつる”との遭遇にわくわくしてしまったわけですが、次はいつ走るのでしょうね…。もしかしたら…もう…ないかもしれませんね…。あぁ…


“はくつる”の思い出は、私の心の中を永遠に走り続けている…なんちゃって