(染井吉野の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/62/8cef89e4cab7e8141b56a73127bba624.jpg)
巣鴨駅を右に見て、JRの線路をまたぐ巣鴨橋があるが、
その橋を渡りきった左側歩道上に「染井吉野」の石碑がある。
その石碑の横の桜の木は「ソメイヨシノ」で、
「ソメイヨシノ」のいわれが書いた木札がついている。
(「ソメイヨシノ」はエドヒガンとオオシマサクラから
出来た品種といわれ、成長が早いので、
明治末期には全国に広がりました。
名は江戸染井の植木屋の名から出来たもの{バラ科})とある。
つまり染井村の植木屋の吉野さんが作ったので、
「ソメイヨシノ」と呼ばれる。
「ソメイヨシノ」は案内通り、成長が早いが
虫が着きやすいのが欠点といわれる。
昔から、サクラは山桜であった。
ワシントンのポトマック河畔に贈られた桜も山桜なら、
本居宣長が大和心を詠んだ歌も山桜。
「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜かな」
また有名な吉野の千本桜も山桜である。
「ソメイヨシノ」は桜の名前で残っても、
染井村の名前は、今は残っていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/6b/0c93a1e8ec679b1a4d45dbf27a9e6bbc.jpg)
(医王山 真生寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/3a/a0fa608eb30dd09d8c73e1f1d7ee15f9.jpg)
(地蔵尊)
巣鴨橋を渡りさらに中山道を進むと、
左側に「江戸六地蔵尊」医王山 真生寺がある。
巣鴨の地蔵尊は、本来ここの地蔵さんが元祖であるが、
今は、(おばあちゃんの原宿)でにぎあう高岩寺の
「とげぬき地蔵」さんのほうが有名になってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/31/8f710fb9e34df90239b9583073ef1beb.jpg)
(おばあちゃんの原宿 巣鴨商店街入り口)
話は戻して、この(おばあちゃんの原宿)の
地蔵通りの入口手前右側に歩道橋があるので渡り、
17号の右側に出よう。出たところの信用金庫の
ショウウインドウに「すがも史跡散歩」なる地図がある。
この地図は、現在の旧染井村近辺の図である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/48/2bfbddc7013fa26b37f9820459e9eabe.jpg)
(史跡散歩の地図)
この地図に従って歩いてみよう。
沢山の史跡散歩が出来る。
まず、この信用金庫の裏手に行くと染井通りがあるので、
左の方へ歩く。すぐに「染井霊園」に到着する。
ここがソメイヨシノ発祥の地で、今は霊園しか残っていない。
園内には時期が来れば、ソメイヨシノが満開になる
「ソメイヨシノ通り」があり、すこし休憩が出来る小公園がある。
ボクが訪ねた時は、まさにソメイヨシノが満開であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/fb/8792c644ca3ed7e4e79ec65f7aa09786.jpg)
(染井霊園の桜)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/a0/5ca0b1359c5db8e18d4bd7d4f27b8c7b.jpg)
(2004年3月31日)
小さなこの墓地の霊園事務所に向かう。
そこで霊園の地図を手に入れよう。霊園の墓地の案内と
近辺がよくわかる。
この霊園には、智恵子抄で有名な「高村光太郎・知恵子」、
小説家で(くたばってしまえ)をもじったペンネームの「二葉亭四迷」、
明治の元勲「若槻礼次郎」、日本美術院、後の芸術大学の
創始者「岡倉天心」のお墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/f5/3dbcc809bdb58712056a09d90c5aef42.jpg)
(高村光太郎の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/23/03c385af1d1618ed8b45333fcf6e2285.jpg)
(二葉亭四迷の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0b/401ada72cd778f86b919f6e2ea0d0fce.jpg)
(若槻礼次郎の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/02/c03d9728fd9fcdc2d79945835fb5045c.jpg)
(岡倉天心の墓)
いずれも明治の偉人たちである。心より御冥福を祈ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/62/8cef89e4cab7e8141b56a73127bba624.jpg)
巣鴨駅を右に見て、JRの線路をまたぐ巣鴨橋があるが、
その橋を渡りきった左側歩道上に「染井吉野」の石碑がある。
その石碑の横の桜の木は「ソメイヨシノ」で、
「ソメイヨシノ」のいわれが書いた木札がついている。
(「ソメイヨシノ」はエドヒガンとオオシマサクラから
出来た品種といわれ、成長が早いので、
明治末期には全国に広がりました。
名は江戸染井の植木屋の名から出来たもの{バラ科})とある。
つまり染井村の植木屋の吉野さんが作ったので、
「ソメイヨシノ」と呼ばれる。
「ソメイヨシノ」は案内通り、成長が早いが
虫が着きやすいのが欠点といわれる。
昔から、サクラは山桜であった。
ワシントンのポトマック河畔に贈られた桜も山桜なら、
本居宣長が大和心を詠んだ歌も山桜。
「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜かな」
また有名な吉野の千本桜も山桜である。
「ソメイヨシノ」は桜の名前で残っても、
染井村の名前は、今は残っていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/6b/0c93a1e8ec679b1a4d45dbf27a9e6bbc.jpg)
(医王山 真生寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/3a/a0fa608eb30dd09d8c73e1f1d7ee15f9.jpg)
(地蔵尊)
巣鴨橋を渡りさらに中山道を進むと、
左側に「江戸六地蔵尊」医王山 真生寺がある。
巣鴨の地蔵尊は、本来ここの地蔵さんが元祖であるが、
今は、(おばあちゃんの原宿)でにぎあう高岩寺の
「とげぬき地蔵」さんのほうが有名になってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/31/8f710fb9e34df90239b9583073ef1beb.jpg)
(おばあちゃんの原宿 巣鴨商店街入り口)
話は戻して、この(おばあちゃんの原宿)の
地蔵通りの入口手前右側に歩道橋があるので渡り、
17号の右側に出よう。出たところの信用金庫の
ショウウインドウに「すがも史跡散歩」なる地図がある。
この地図は、現在の旧染井村近辺の図である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/48/2bfbddc7013fa26b37f9820459e9eabe.jpg)
(史跡散歩の地図)
この地図に従って歩いてみよう。
沢山の史跡散歩が出来る。
まず、この信用金庫の裏手に行くと染井通りがあるので、
左の方へ歩く。すぐに「染井霊園」に到着する。
ここがソメイヨシノ発祥の地で、今は霊園しか残っていない。
園内には時期が来れば、ソメイヨシノが満開になる
「ソメイヨシノ通り」があり、すこし休憩が出来る小公園がある。
ボクが訪ねた時は、まさにソメイヨシノが満開であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/fb/8792c644ca3ed7e4e79ec65f7aa09786.jpg)
(染井霊園の桜)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/a0/5ca0b1359c5db8e18d4bd7d4f27b8c7b.jpg)
(2004年3月31日)
小さなこの墓地の霊園事務所に向かう。
そこで霊園の地図を手に入れよう。霊園の墓地の案内と
近辺がよくわかる。
この霊園には、智恵子抄で有名な「高村光太郎・知恵子」、
小説家で(くたばってしまえ)をもじったペンネームの「二葉亭四迷」、
明治の元勲「若槻礼次郎」、日本美術院、後の芸術大学の
創始者「岡倉天心」のお墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/f5/3dbcc809bdb58712056a09d90c5aef42.jpg)
(高村光太郎の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/23/03c385af1d1618ed8b45333fcf6e2285.jpg)
(二葉亭四迷の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/0b/401ada72cd778f86b919f6e2ea0d0fce.jpg)
(若槻礼次郎の墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/02/c03d9728fd9fcdc2d79945835fb5045c.jpg)
(岡倉天心の墓)
いずれも明治の偉人たちである。心より御冥福を祈ります。