中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

良寛の碑と庚申塚(旧中山道を歩く 77)

2005年12月10日 14時58分00秒 | 3上州(群馬県)の.旧中山道を歩く(66~10
(飯塚久敏と良寛の碑)


(倉賀野宿6)
この倉賀野神社には、漂白の文人飯塚久敏と良寛の碑と庚申塔群がある。
飯塚久敏は幕末の倉賀野宿出身の文人。

若くして江戸の国学者橘守部に師事し、
歌学、地誌学に通じ多くの著作を残した。
中でも良寛の伝記物語「橘物語」(天保14年・1843)は良寛没後12年に成ったもので、
世にある良寛伝の中で嚆矢とされる。
本殿裏に建つ石碑には、表側に

「いまはむかしえちごの国に良寛という禅師ありけり・・・」という

『橘物語』の書き出し部分が、
また裏側には久敏起草の本神社修復寄付帳文が刻まれている。
おもに甲信越地方に出て広く活躍しながらも、地元では長く
「埋もれた文人」であった久敏を顕彰するため、
平成七年に建立された。

久敏が残した歌を紹介しておく、

・伊香保路のぬまのあやめもわかぬ夜に
      あらわれいでてとぶほたるかな

・たちいでてかへり見すればふるさとの
      うごかぬ山もとほざかりつつ

・よろこびのいろをおもわにあらわして
      日頃のうさをかたる夜はかな 


(庚申塚。古いものは文化13年(1816)のものもある。白い立て看板の左)

この石碑の右横に庚申塔が沢山並んでいる。

庚申というのは、十干の庚(かのえ)と十二支の申(さる)が組み合わさったもので、
他の干支と同様に60日に一度づつめぐってくる。
その庚申の日には、人の体の中に住む「三尺(さんし)の虫」が
睡眠中に体から抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を報告するという言い伝えがあり、
一晩中眠らなければその虫が体から抜け出さないので、人々は徹夜をしたという。

中国の道教の思想に発しているといわれ、江戸時代には全国的に
庶民の間に広まり、その日には庚申塔のお参りをして、
当番の家に集まりめいめい持ち寄ったご馳走をいただき、
談笑して夜を過ごした。

江戸の川柳に
「庚申はせざるをいれて四猿なり」という。

見ざる、言わざる、聞かざる、に「せざる」を加えて四猿という。
つまり庚申の夜は謹んで徹夜することから、
夫婦の仲も遠慮(せざる)しなければいけないというもの。

川柳はさらに

「庚申をうるさく思う新世帯」

というのもおおらかでほほえましい。
(最近下ネタが多いが、この話題は古今東西に渡って、
限りない興味がある事柄ですので、お許しを願います。)