(駅横の奈良井宿の看板)
(奈良井宿4)
日本橋を出発してから28日目。
2009年5月14日(木)快晴 [最高気温 東京20℃の予想。奈良井16℃の予想。]
あずさ1号新宿発AM7:00~塩尻着9:30.
駅前の地域振興バス(どこまで乗っても100円)
10:00発~奈良井駅前着10:55.
(JR奈良井駅)
奈良井駅前で下車する。快晴で気温も低く歩くには快適。
駅前には、ジャージ姿の男子中学生を沢山見かける。
ある人は腰を下ろしてスケッチブック筆を走らせ、
ある者は立ったまま筆を立てて、構図を取る構えを見せている。
今日は写生会のようで、先生方も見かける。
伝統的建造物群に囲まれた奈良井の街並みには、絵になる材料がいくらでもある。
プロの画家や文人の中には、一生この町で過ごす方もいるほどである。
奈良井宿の街並みが朝の光の中に輝いて、前回 訪問したときと違った美しさを感じた。
今日は中山道三大難所の一つ「鳥居峠」を越える予定で、
本来ならバスの終点「権兵衛橋」停留所で降りて、
高札場を過ぎ、鎮(しずめ)神社、歴史民族博物館を観て、鳥居峠に入るところである。
しかし今日は、持病を持つボクの身を案じて、
この三大難所だけは同行するというカミサンが一緒である。
せっかく一緒に来たカミサンに、奈良井宿の美しい伝統的建造物群を見せてやりたい。
それでJR奈良井駅のまえでバスを降りることにし、古い町並みを歩くことにした。
(木曽の大橋)
建造物群を観る前に、前回ボクが見落とした「木曽の大橋」を訪ねる。
JR奈良井駅の先で斜め左に入る道路を進み、
JRをガードでくぐると目の前が開けて、芝生の公園に出る。
公園を横切った先に「木曽の大橋」が見える。
ここでも沢山の女子中学生が、写生をしていた。
すがすがしいのは、この年頃の子供たちは変に色気づいて、
普通挨拶などしないものなのに、
男子も女子も通りかかった人にはきちんと挨拶をすることだ。
紳士淑女の第一の用件は、きちんと挨拶が出来ることである。
先に挨拶をされるようでは、
ボク自身、紳士としての資格が無いようなものだから、
彼らに負けず先手を打って先に挨拶をする。
写生の手を止めている人に、
「この木曽の大橋はどこから見ると一番綺麗に見えますか?」と質問すると、
立ち上がってきて、橋の右側に行き
「ここからです」
という。その写真をご覧ください。
(女子生徒が教えてくれた大橋の美しいアングル)
太鼓型の木曽の大橋」は、樹齢300年以上の木曽ヒノキで造られた
日本一幅の広い木橋である。
幅がわかる写真が無いのが残念、是非現地にお出かけの上お確かめください。
(余計なことであるが、ヒノキは年に一ミリしか年輪が刻まれず、
材木として利用できるのは樹齢100年。そのヒノキは一本百万円するという。)
(重要伝統的建造物群)
(重要伝統的建造物群2)
旧中山道に戻り、重要伝統的建造物群を観ながら、カミサンに説明して歩く。
「旧中山道の杉並木」「八幡宮」「二百地蔵」や枡形、
大宝寺の「マリや地蔵」「奈良井義高公の墓」「櫛問屋の中村邸」「上問屋の手塚家」など。
(以上「旧中山道を歩く163~165」参照願います。)
前回見落とした「徳利屋」の前の説明には、
(江戸300年、木曽街道は日本の二大幹線道路の一つとして、大いに繁栄しました。
中でもこの奈良井宿は街道中最も大きい宿場として、
諸国からの諸人往来のため大きな役割を果たして来ました。
奈良井にはその大宿であったことの代名詞として、
「奈良井千軒」という言葉が残っています。
徳利屋はこの奈良井宿のほぼ中央に位置し、七間間口という往還構えで、
しかも総二階という大きな旅籠でした。
旅籠や経営の歴史も古く、徳利の縁起に因んで屋号を延宝三年(1675)に
「徳利屋」と改めてからでも300年になります。――後略――)
長々とこの倍以上の長さで文面はつづくが、
つまり、江戸時代から300年以上の歴史ある旅館を営んできた由緒ある建物らしい。
ことに文人墨客の多くが宿泊し、中でも幸田露伴、坪内逍遥、
島崎藤村等もここに泊ったようである。
(徳利屋)
奈良井宿のはずれに古ぼけた高札場が、そして鎮(しずめ)神社、楢川歴史民族資料館がある。
高札場に掲げられた高札の文字はほとんど読めず、
読めないほど古いものかと思ったが、
説明によれば、昭和48年に復元されたものである。
高札というのは、各村各宿場に設置され、幕府の定めた決まりなどを周知徹底させる目的で、
掟、条目、禁制などを板に書き掲示していた場所で、
主として名主(関東では名主そのほかでは庄屋)が管理した。
高札前では、旅人は立ち止まり、笠など被り物を取って見たし、
文字の読めないものには読み聞かせたという。
また宿場には、宿場から宿場へ荷物の継ぎ立て駄賃なども掲げた。
(高札場その奥に鎮神社が見える)
(高札場とその奥に見える水場)
高札場の横には水場が設けられており、旅人の渇きを癒したに違いない。
奈良井と言わず、信濃、木曽(長野県)に入ってからは、
街道の脇に沢山の水場が設けられており、
飲料にして問題は無く、ペットボトルの水よりミネラル分が多いのか水温の関係か、
とても美味しく頂いた。
高札場の隣には、赤い鳥居があり「鎮(しずめ)神社」とある。
(奈良井の氏神で、寿永から文治(12世紀後期)のころ、中原兼遠が鳥居峠に建立。
天正年間(1573~92)にいたり、奈良井氏が現在地に移したと伝えられる。
また、元和四年(1618)に、疫病の流行を鎮めるため、
下総の香取神宮を勧請したことから「鎮神社」と呼ばれるという。
本殿は寛文四年(1664)の建築で、楢川村指定文化財、社叢(しゃそう=神社の森)は、
楢川村指定天然記念物)(楢川村)とある。
(鎮神社の鳥居)
(1664年建築の本殿)
神社の南側に歴史民族資料館があるので歴史に興味のある方はぜひ観覧をお勧めします。
資料館を出て街道を進むと、右側に登る階段があり、
鳥居峠を目指す旧中山道の上り口である。
(鳥居峠入り口の階段が旧道)