(豊郷小学校)
(高宮宿 4)
「中山道 出町」の石碑を左に見て、出町の家並の中を行く。
右手に「日枝神社」があり、ケヤキと松の並木の間を抜けて行くと、
また、「中山道 出町」の石碑が今度は右手にあり、
出町はここで終わるようだ。
(「中山道 出町」入り口の石標)
(日枝神社の鳥居)
(「中山道 出町」の出口の石標、並木にケヤキが入る。)
次の集落の中に石の鳥居がある。「懸社 阿自岐神社」の石塔に
常夜灯が鳥居の両横にある。
参道が長くおよそ800m先に本殿はあるようである。
中山道をなお進むと豊郷の町に入る。
最初の信号が(四十九院)である。
僧行基がこの地区に四十九の寺院を建てたことによる地名である。
左手に「先人を偲ぶ館」の看板を左に入ると、
四十九院の一つである唯念寺があり、その隣に恵林寺がある。
(阿自岐神社の鳥居)
(先人を偲ぶ館の看板)
(四十九院の信号)
(唯念寺)
(恵林寺)
そこから数百メートルで豊郷町石畑(いしばたけ)である。
左手に大きな駐車場がありその奥に、
時計付の鉄筋コンクリート三階建ての豊郷小学校がある。
立派な建物で、どう見ても大学か高等学校の感じがする。
これは丸紅の重役が寄付したもので、
滋賀県か最古の鉄筋コンクリート建てであるという。
(豊郷小学校)
(豊郷小の門柱)
石畑は間の宿であり、その歴史は古い。
説明では、
(石畑の歴史は古く平安時代後期にまでさかのぼる。
文治五年(1185)源平の争乱の中、屋島の合戦で、
『弓矢の名手』として誉れの高い那須与一宗高の次男
石畠民武大輔宗信が、このあたりの豪族佐々木氏の旗頭として、
那須城を造りこの地を納めていました。
延応元年(1239)男山八幡宮(京都 石清水八幡宮)から
勧請した八幡神社と正嘉二年(1258)に創建した称名寺があります。
また、江戸時代後期には、街道の往来で賑合う中山道・高宮宿と愛知川宿の
間の宿(あいのしゅく)として発展し立場茶屋が設けられ、
旅人や馬の休憩の場として栄えました。――後略)(豊郷村村史)とある。
石畑には八幡宮があり、一里塚が復元されてある。
一里塚の碑はこの先豊会館前に移動して置いてある。
(石畑いしばたけと読む)
(間の宿石畑)
(八幡神社の本殿、左に一里塚がある)
(石畑の一里塚)
(豊会館前の一里塚碑)
その先左に豊郷町役場が左にあり、その前に信号がある。
信号の先左手に「くれない園」があり、
奥に伊藤忠兵衛翁碑があり、碑面中央に翁の肖像が刻まれている、
伊藤忠兵衛は高宮麻布の行商から身を起こし、
現在の伊藤忠商事へと成長した。
近江商人の多くが近江麻布の販売で成功している。
(豊郷町役場前の信号)
(くれない園)
(伊藤忠兵衛の像)
「近江泥棒に伊勢乞食」という言葉がある。
江戸の人がやっかみ半分にこのように蔑んだ。
近江の商人は商売が上手く泥棒のようにお金を召し上げて行く。
一方で伊勢乞食は、伊勢の商人は倹約家で、
お金の勘定は乞食より厳しいとされた。
商売人であっては当然と言えば当然、当たり前の事である。
その先の左手に伊藤忠兵衛の生家がある。
記念館として公開しているので是非見学してみよう。
入り口を入ると、すぐ右手に庭に通じる道があるので、
まず手入れの行き届いた庭を見学。
その後建物のん家へ入ると、右手は座敷、左手は女中部屋というのも
面白い取り合わせである。
(伊藤忠兵衛の生家)
(伊藤忠兵衛の家の庭1)
(手入れの行き届いた伊藤忠兵衛の家の庭2)
(入り口すぐ右側にある座敷)
(入り口すぐ左にある女中部屋)
中山道は先に進むと右手に「金田池」の石で囲った井戸があり、
この名水が中山道の旅人の喉を潤した。
その先に、豊会館「又十屋敷」がある。
明治百年記念資料館と民芸館が併設されている。
「又十」は近江商人の藤野喜兵衛が文政の頃、
北海道で漁業や廻船業を営んだ時の称号で、
その旧宅が基になって整備されたものである。
また、道路に面して、「中山道一里塚跡」の碑があり、
前述の八幡神社にあった石畑一里塚のあった石碑が移設されたものである。
建物の前には、「逢坂山の車石」が置かれているが、
(これは逢坂(大津)より京三条までの三里に渡って車輪巾二列に
花崗岩の厚板石が施設された。
総工費一万両を費やしたが、
近江商人多数の寄付を募り完成した。――後略)と説明板があり、
その下に車輪の溝が刻まれた花崗岩が展示してある。
荷物を載せて大八車を引くとずいぶん軽く挽けたと思われる。
これも近江商人のお金の力か?
(金田池)
(又十屋敷=豊会館)
(石畑の一里塚にあった石柱を移設してある。)
(逢坂山の車石)
その先に広場があり、奥に山門と寺院が見えるが、
「日吉山 千樹禅寺」という。
ここは「江州音頭発祥の地」として名高い。
その先に歌詰橋があり、この先が愛知川宿になる。
(千樹寺の石柱)
(千樹寺)
(江州音頭発祥の起源の碑)
(歌詰橋を渡ると愛知川にはいる。)