(英泉画「木曽海道69次之内馬籠宿」)
(水車塚先の国道方面から来る高校生たち)
(馬籠宿 3)
中山道を馬籠峠に登る生徒たちがまだまだ沢山やってくる。
水車塚の先で、国道7号線を横断し、
石畳の道、砂利道、杉林や竹林の中を抜けると、
左側にやや広い田んぼがある開けた場所に出る。
今までの木々で空を塞がれた道と比べ、開放感を感じて道路を少し登ると、
また国道7号線に出る。
(林の道)
(砂利道)
(田んぼがあって開けた場所)
(石畳の道、右に上り国道へ合流)
今度は横断せず、左へ国道の脇を歩く。
道路は大きく左へカーブして、カーブが終りを告げる頃、
道路右側に狭い階段状の道路が見えるので、
この階段を右へ登る。
(右へ階段を登る、手前に「中山道」の石碑がある)
しばらくして「a detour」の案内看板があり、
新しく出来た手すりと、新しく出来た石畳の階段に出る。
この「a detour」の看板の意味が分らず、新しい石畳の道を行くと、
見晴台のような整備された場所に出る。
案内書に寄れば、ここで民家の庭先を通り抜けるようになっている。
しかし新しい道が上手に出来ていて誘導するので、
何の疑いもなく、見晴台に着く。
見晴台の前方は、見事な恵那山が姿を見せ、
旧道のことなど忘れさせてくれる。
(恵那山が綺麗に見える新しい道に誘導される)
(誘導されていく新しい石畳道、前方中央が見晴台、この右上に民家がある。旧道はその前を通った)
(見晴台から見た恵那山)
恵那山に満足して、見晴台を後ろに振り返ると、中央に階段がある。
昇ってみると、一段高い所に左右に石畳の道がある。
これが旧中山道本来の道で右奥を見ると、
旧道は確かに民家の庭先を抜けるようになっている。
しかし、近年中山道を歩く方が増えたので、
プライバシーの問題もあり、
馬籠が岐阜県中津川市に編入されたこともあり、
役所の計らいで、迂回路を作ったのであろう。
(見晴台の中央後ろにある階段)
(階段を登って右を見ると民家があり、庭先を旧道が抜けている)
(階段の上から左折すると旧道は下り坂で石畳がある)
ここでやっと「a detour」が迂回路の表示だと言うことが分った。
昨日は外国人に沢山すれ違ったが、
外国人の案内書は、ボクが持っている案内書と同じで、
きっと民家の庭先を通るようになっているのであろう。
ボクは日本国内にいるため、
英語の「a detour」の意味が判らなかっただけのこと、
外国人には「a detour」が「迂回路」と分ったに違いない。
見晴台を出て、左に折れようとすると道祖神があり、(左馬籠宿100m)
(右妻籠宿7.6km)の案内があり、京都方向に向う上りの旧道がみえる。
これを行くと、途中で「a detour」の看板があり、
右折して見晴台に下りてくることになる。
「a detour」の看板の先に民家の庭先が見えるはずだ。
(見晴台出口の道祖神、馬籠宿右100mとある)
案内どおり左100mも下ると、馬籠宿北の入口の高札場があり、
その向こうに恵那山が見える。先ほど見た見晴台の恵那山は、
つい最近作られた見晴台の恵那山であるが、
ここ馬籠宿の高札場から見る恵那山は、島崎藤村も「夜明け前」の
主人公青山半蔵(藤村の父)も同じ恵那山を見たに違いない。
高札場を下りて県道を横切る手前に、中山道馬籠宿の石碑があり、
沢山の中国系の外国人観光客が、背景に高札場を入れて写真を撮っていた。
(高札場、奥に馬籠宿が見え、観光客が沢山見える)
(江戸側の中山道馬籠宿の石碑と高札場と中国人観光客)
(藤村も「夜明け前」の主人公青山半蔵も見た高札場からの恵那山)
馬籠宿入口の高札場は、旅行案内パンフレットにも良く載っており、
街道の石畳と馬籠宿入口を表わし、写真撮影の絶好ポイントである。
馬籠宿は、この先下り坂で両脇に古い家屋が点在しており、
途中右側に、脇本陣蜂谷家が馬籠宿脇本陣資料館になっており、
上段の間や珍しい玄武石垣が残されている。
(馬籠宿脇本陣資料館)
(脇本陣の玄武石垣)
その先に藤村の初恋の人 おゆうさんが育った大黒屋、
その隣に藤村の実家、馬籠本陣跡が藤村記念館となって残っている。
「夜明け前」の中で、主人公の青山半蔵の父吉左衛門(きちざえもん)の
隠居所として、本陣建物の裏手にあったと書かれている土蔵が出てくるが、
その土蔵が火災に遭わず現在に残されている。
実はボクは、この土蔵が見たくて馬籠宿には来たようなもの。
ついでに隣に見える大黒屋(藤村の初恋の人の家)も見てみたかった。
藤村記念館で聞くと、大黒屋は今では飲食店を営んでいるので、
いつでもご覧になれますという。
丁度お昼時でもあったので、おそばを食べに大黒屋に入った。
(馬籠本陣跡の門、藤村記念館になっている)
(本陣裏手の土蔵の隠居所)
(今は飲食店の「大黒屋」)
(本陣島崎家から見た隣の大黒屋)
おゆうさんを想い書いた詩「初恋」は、
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ初めしはじめなり --後略。
(食事をした黒光りする大黒屋内部)
その先に清水屋資料館があり、
藤村の手紙など資料が残っているし、
本陣家島崎家の菩提寺である永昌寺が近くにある。
島崎家のお墓群などが見られるので足を伸ばし訪ねたい。
馬籠宿に戻り、坂を下ると京都側の枡形があり、
大きな水車が廻っている。
ここで馬籠宿の中心部分は終わりになる。
馬籠宿はこの先、落合の石畳が始まる
新茶屋の一里塚まで続く。
(清水屋資料館)
(馬籠宿の途中から近道を行く永昌寺)
(永昌寺山門へ上がる参道)
(永昌寺山門)
(永昌寺山門と鐘楼)
(島崎家の墓)
(馬籠宿の枡形、右下に水車が見える)
(枡形にある水車)
藤村の話の混じったおいしい出汁だったのでは?
この地方の産物はおそばと五平餅ですから、
そばは美味しかったですよ!
でも出汁より、初恋の味がする
アイスクリームはもっと美味しかったです。