(興禅寺門前の石碑)
(義仲廟所の碑)
(木曽福島宿 2)
興禅寺の山門は厳(いか)めしく、由緒ある寺の門前らしく、
萬松山興禅寺の石碑と木曽義仲公廟所の石碑が据えてある。
寄り道をして、このお寺に寄ったのは、宮ノ越宿に義仲のお墓はあったが、
ここにも義仲のお墓があるというので、しっかり確認して置きたい。
入り口に「四つの庭と宝物殿拝観料金500円」とあるが、
義仲のお墓を確認したいから止むを得ない。
門をくぐると勅使門が出迎え、その門をくぐると左に、
細川家18代 元内閣総理大臣細川護煕氏の揮毫で、
「先祖ゆかりの地」の石碑が建っている。
(これは、細川家初代幽斎公が天正18年(1580)3月、
関東小田原の北条氏平定のため、
秀吉について出陣したが病に侵され、
秀吉に暇をとり帰洛した際、興禅寺に立ち寄ったとされる
「ゆかりの地」である。)(東国陣道記)
(勅使門)
(元総理大臣細川護煕揮毫の碑)
石碑の先右側に「昇竜の庭」その先左に「須弥山の庭」があり、
さらに先の左に宝物殿がある。美しい庭は全部で4箇所あるが、
枯山水の庭「看雲庭」、
稀代の茶人で宗和流さえある金森宗和作庭の「万松庭」、
その四つの庭を抜けて本堂に通じる。
「方丈」の扁額が掛かる本堂前には、
義仲公お手植えの「時雨桜」がある。
「昇竜の庭」は
(「登竜門」といわれ、その昔中国の黄河の上流に、
三級岩という険しい滝があり、龍門瀑と呼ばれ、
下流から泳いできた鯉はこの滝を登り勢いよく登り、
勢いよく登った鯉はそのまま龍と化して昇天すると伝えられている。
そのことから元気のよい男子は龍となって天に登るように
「鯉のぼり」の風習が江戸時代に定着した。
この庭の場合は、親子三体の龍が衝天する姿を滝上部に表現し、
下部にはこれから龍とならんとする鯉魚石を表現している。
小口基実作庭)とある。(満松山興禅寺)
「須弥山の庭」とは、
(仏教の宇宙観で世界の中心にそびえ立つ高山を須弥山といい、
金、銀、瑠璃、玻璃からなる須弥山を囲む九つの山と
八つの海からなる世界観を表わす。
一石でいくつもの石を表現したものを九山八海石と呼ぶが、
この庭は石組みで九石山を表現し周りを砂で囲み八海を表わした。)
(満松山興禅寺)
ボクには良く分からないが、
瞑目し心静かに眺めれば、邪念が吹っ飛び、
心が洗われるに違いない。
そんな静かなたたずまいであった。
(昇竜の庭)
(鯉三体が昇る滝?)
(須弥山の庭)
その先にある宝物殿で入場料¥500を支払い、
見学するも現代絵画が並んでおり、
宝物殿のお宝はどこへ行ったのやら見当たらない。
宝物殿を早々に出て残りの庭園二つと、
義仲の廟所を見たいものと先を急ぐ。
何といっても帰りの電車の時刻が迫っている。
次が「看雲庭」であるが、これは立派な枯山水のお庭であった。
入り口に画家?が居て、物も言わずスケッチブックに描きこんでいた。
この田舎では、通常、人に会うと挨拶があるのだが、
夢中になっているのか挨拶も無かった。
もっとも、突然闖入したボクのほうから挨拶をすべきと思い
「こんにちは」と声をかけるも返事なく、気分を悪くして先に進んだ。
その先に「万松庭」があり、庭が先か、お寺が先か、
知らないが寺の名前「万松山」と同じ名の庭で、こ
れは有名な茶人金森宗和が作った庭という。
金森宗和は、飛騨高山の城主であったが廃嫡となって茶道を学び、
中でも有名なのが、京焼(色絵陶器)の名工
野々村仁清を指導したことである。
この陶工 野々村仁清の作った茶碗を真似て「仁清写し」として、
現代も沢山の茶碗が作られる、「写し」でさえとても美しい。
本物の仁清の茶碗は骨董品として出てくると、
どんなものでも○百万円は下らない。
(看雲庭ー枯山水)
(万松庭ーこれが日本庭園らしい雰囲気)
話がそれてしまったが、宗和が作った庭の「万松庭」は
温和な安らぎを感じる庭である。
時間が無いのが残念であった。
その先に、義仲の御影観音堂「大悲殿」があり、
観音堂の前に義仲お手植えの「時雨桜(二代目)」がある。
その桜の前には、山頭火の
・たまたま 詣でて木曽は 花まつり
の句碑に出会う。ボクの境地に似ている。
・たまたま 訪ねて義仲の墓 苔がむし (hide-san)
観音堂を通り過ぎるとお寺の裏門から外に出ることになり、
回りを見渡すと左の山の上に墓地があり、
看板に「木曽義仲乃墓」とある。
(義仲観音堂「大悲殿」)
(義仲お手植えの時雨桜)
木曽義仲のお墓を見たいばかりに,
このお寺「万松山興禅寺」に入り、
拝観料¥500を払ったが、寺の外に墓地があるではないか。
初めから分かっておれば、
寺の裏門へ行き無料でお墓を観ることが出たのにと、
自分の無知さ加減に腹が立った。
それにしても宮ノ越宿にあった徳音寺の義仲のお墓と同じように、
立派なお墓であった。
電車はPM15:25木曽福島駅発であるが、残り30分しかない。
急ぎ駅に向かう。
約2.5kmの上り坂を早足で歩き5分前に駅に到着した。
駅に到着して汗だくであったのに、
さすが木曽は山の中、汗はものの数分で乾いていった。
乾燥もしているが、太陽に当たらなければ気温も低い。
5月15日(晴)日本橋から29日目。本日の歩行45847歩=約27.2km。
(山頭火の句碑)
(義仲の墓所)
(義仲の墓所2)
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