![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3e/fac2b7720eff06d20405b9c6c01af756.jpg)
(昔の分か去れ、郷土資料館の写真から)
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(昔の分か去れ、七つの石碑が見える)
(追分宿3)
追分宿の京都側入り口の、枡形の「つかるや」を過ぎると、
「分か去れの道しるべ」がある。
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(現在の分か去れ、常夜灯の手前にある道標の石碑)
道標には、{右 従是北国海道 左従是中仙道}とあり、
常夜灯には「是より左伊勢」の字が見える。
その後ろにある子育て地蔵の台石には、
{さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを 追分の宿}
と刻まれている。軽井沢町教育委員会の解説によると、
「右は北国街道姥捨山の「田毎の月」でしられる更科へ、
左は中山道で京都へ、そこから桜の名所奈良吉野山へ向かうという意味である」と記されている。
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(常夜塔台石の文字)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/40/87e9577bb1f847491ab669034a3794a7.jpg)
(子育て地蔵、子供を抱えている)
森羅亭万象の歌碑には、
「世の中は ありのままにそ 霰(あられ)ふる
かしましとだに 心とめねば」
平賀源内の弟子で、狂歌作者であったらしいが、狂歌の意味が解らない。
どなたかご教示願えれば幸いです。
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(森羅亭万象の狂歌碑)
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(勢至菩薩と奥にシルエットで見える馬頭観音立像)
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(馬頭観音立像)
子育て地蔵の右奥に勢至菩薩があり、一番奥に馬頭観音立像がある。
分か去れには七つの石造があるとされるが、
七つ目は分か去れの石造群の一番手前にある道祖神。
また、子育て地蔵の台石の一番上段には、次のように記されている。
西面には「めうぎに七里、山道九里、はるなに十六里、一ノ宮十里、
三河屋、高崎に十三里、江戸に三十八里、日光に四十四里」。
南面には「小田井に一里、御嶽山に三十三里半、津島に六十七里半、
伊勢に九十二里十一町、京都に九十三里半、大坂に百七里半、金比羅に百五十里半」。
北面には「金沢に八十五里、新潟に六十六里、高田に三十四里、
戸隠山に二十三里、善光寺十八里、小諸三里半」。
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(江戸38里、日光44里、三河屋の文字が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/03/f86cfcb38b84b5b5718ff57ed19124b9.jpg)
(新潟66里、高田34里、戸隠山23里、善光寺18里が見える)
分か去れの道標が示すように、国道18号に沿って左に行くと、
すぐ左中山道の案内標識に出会うので、左脇の道に入る。
道路は旧街道と思われる道幅で、左右はまだ別荘が続く、
林に中を進む。やがて林が切れて両側畑の中をしばらく進むが、
これといってお伝えするような史跡も無い。
やがて人家が増えてきて町が近いと感じるようになると、
右側に「御代田の一里塚は右に入る」の看板が見える。
看板の案内に沿って、北にわき道を少し入ると、一段高いところに「御代田の一里塚」がある。
一里塚は普通榎が植えられているが、ここでは大きな枝垂桜が植えられている。
この一里塚を見て、南に20mほど下ると、
一里塚ではないかと思われるもう一つの小山が見える。
もしそうだとすると、この小山と枝垂桜の一里塚の間に旧中山道があったと思われる。
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(御代田の一里塚の枝垂桜)
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(もう一つの一里塚)
(南に20mほど下ったところにある塚は、御代田の一里塚であり、
枝垂桜のある一里塚を西塚といい、何も生えていないもう一つの塚を東塚という。)(軽井沢町教育委員会)
「御代田の一里塚」を過ぎてすこし行くと、しなの電鉄の線路にぶつかる。
旧中山道はここで階段を下りて、線路をくぐることになる。
次回中山道を歩くときは、この階段を下りるところから始めよう。
道路は直角に右折しており、右手を見ると、D51の機関車が展示してある。
機関車の先に踏切があり、その先に「御代田」の駅がある。
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(D51の蒸気機関車)
旧中山道を歩き始めて20日目の今日はここから、しなの鉄道で
軽井沢にそしてJR軽井沢駅から新幹線で東京に帰る。
本日歩いた軽井沢宿→沓掛宿→追分宿→御代田駅まで、
距離約28km、歩数にして4.8万歩であった。
本日(6/5)の気温 28℃ 快晴で暑かったが
軽井沢では涼しくて、一枚上着を羽織った。
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