(目赤不動尊と一葉の恋人 半井 桃水(なからい とうすい))
本郷通りを進むと、左側に南谷寺(なんこくじ)という名のお寺が見える。
門柱の石塔には、目赤不動尊と書いてある。
案内によれば、
「南谷寺(なんこくじ)の目赤不動は、もと動坂にあったが、
寛永のころ(1624~44)三代将軍徳川家光が
鷹狩の途中立ち寄り、目黒、目白に対して、
目赤不動と命名し、寺を現在地に移した。」
(文京区教育委員会)
(目赤不動尊)
寺に立ち寄って見ると、
本郷通りを進むと、左側に南谷寺(なんこくじ)という名のお寺が見える。
門柱の石塔には、目赤不動尊と書いてある。
案内によれば、
「南谷寺(なんこくじ)の目赤不動は、もと動坂にあったが、
寛永のころ(1624~44)三代将軍徳川家光が
鷹狩の途中立ち寄り、目黒、目白に対して、
目赤不動と命名し、寺を現在地に移した。」
(文京区教育委員会)
(目赤不動尊)
寺に立ち寄って見ると、
なるほど目の赤い不動明王が睨んでいる。
江戸には五色不動尊があることを始めて知った。
目黒区の目黒不動は有名で、よく知っていたが、
目白は山手線の駅があり、学習院大学があり、
よく知っていたが目白不動があるとは、
また、目赤があり、さらに目青、目黄にいたっては
不動尊があるとは夢にも思わなかった。
この目赤不動尊の由来は、比叡山南谷に名僧がおり、
不動明王を尊信すること昼夜不退に、精進を重ねたところ、
夢枕に、伊賀の国、赤目山に来るように告げられ、
訪ねると、“汝身命を惜しまず、信心深きゆえに、
この霊像あたうべし“と手のひらに、投げ入れ給うものあり、
それが不動明王の尊像であった。
赤目山を降り、比叡山南谷に安置した。
(目赤不動尊縁起 大聖山 東朝院 南谷寺)
ということらしいが、事実の程は不明。
キリスト教にも良くある奇跡みたいなものである。
さて、江戸五色不動は、
目赤は、かくいう文京区の 南谷寺、
目黒は、目黒区の 竜泉寺、
目青は、世田谷区 教学院、
目黄は、台東区の 永久寺、
または、江戸川区 最勝寺、
目白は、豊島区の 金乗院、(鬼子母神近く)
にそれぞれあるとのこと。
(ボクは目黒と今回の目赤しか訪ねたことがない)
この目赤不動尊のすぐ先に、
曹洞宗 繁栄山 養昌寺がある。
ここに、
半井(なからい) 桃水(とうすい)の墓がある。
「半井(なからい) 桃水(とうすい)は
江戸には五色不動尊があることを始めて知った。
目黒区の目黒不動は有名で、よく知っていたが、
目白は山手線の駅があり、学習院大学があり、
よく知っていたが目白不動があるとは、
また、目赤があり、さらに目青、目黄にいたっては
不動尊があるとは夢にも思わなかった。
この目赤不動尊の由来は、比叡山南谷に名僧がおり、
不動明王を尊信すること昼夜不退に、精進を重ねたところ、
夢枕に、伊賀の国、赤目山に来るように告げられ、
訪ねると、“汝身命を惜しまず、信心深きゆえに、
この霊像あたうべし“と手のひらに、投げ入れ給うものあり、
それが不動明王の尊像であった。
赤目山を降り、比叡山南谷に安置した。
(目赤不動尊縁起 大聖山 東朝院 南谷寺)
ということらしいが、事実の程は不明。
キリスト教にも良くある奇跡みたいなものである。
さて、江戸五色不動は、
目赤は、かくいう文京区の 南谷寺、
目黒は、目黒区の 竜泉寺、
目青は、世田谷区 教学院、
目黄は、台東区の 永久寺、
または、江戸川区 最勝寺、
目白は、豊島区の 金乗院、(鬼子母神近く)
にそれぞれあるとのこと。
(ボクは目黒と今回の目赤しか訪ねたことがない)
この目赤不動尊のすぐ先に、
曹洞宗 繁栄山 養昌寺がある。
ここに、
半井(なからい) 桃水(とうすい)の墓がある。
「半井(なからい) 桃水(とうすい)は
万延元年~昭和元年(1860~1926)
対馬に生まれ、名は冽。
対馬に生まれ、名は冽。
桃(とう)水(すい)は号。別号に菊阿見あり。
共立学舎に学び、明治21年東京朝日新聞社に入社して、
新聞小説家として活躍した。
共立学舎に学び、明治21年東京朝日新聞社に入社して、
新聞小説家として活躍した。
「天狗回状」など時代小説を著した。
桃水(とうすい)は、樋口 一葉の師として、
また一葉の思慕した人として知られている。
墓は、墓地を突き当たったところにある。」
(文京区教育委員会)
ここで興味を引くのが、
桃水(とうすい)は、樋口 一葉の師として、
また一葉の思慕した人として知られている。
墓は、墓地を突き当たったところにある。」
(文京区教育委員会)
ここで興味を引くのが、
樋口一葉の彼氏であったというところ。
教育委員会であるから、恋人だとか彼氏という表現を避けたのか?
あるいは、プラトニック・ラブであったことを表現したかったのか?
単に、片想いだけであったといいたかったのか?
(思慕した人)と表現せざるを得なかったか?
「たけくらべ」など名作を残した一葉は、
人間をよく知っていたはずであるから、
片想いでは終わっていなかったのではないだろうか?
八百屋お七のように、身悶えしてまでの
恋をしなかったのであろうか?
興味のあるところではある。
(半井 桃水の墓)
なお、お墓は、突き当たったところに無く、
墓地に入ったすぐの正面にある。
案内と違うので注意が必要である。
教育委員会であるから、恋人だとか彼氏という表現を避けたのか?
あるいは、プラトニック・ラブであったことを表現したかったのか?
単に、片想いだけであったといいたかったのか?
(思慕した人)と表現せざるを得なかったか?
「たけくらべ」など名作を残した一葉は、
人間をよく知っていたはずであるから、
片想いでは終わっていなかったのではないだろうか?
八百屋お七のように、身悶えしてまでの
恋をしなかったのであろうか?
興味のあるところではある。
(半井 桃水の墓)
なお、お墓は、突き当たったところに無く、
墓地に入ったすぐの正面にある。
案内と違うので注意が必要である。
うまくトラックバックできていますね!
おめでとうございます!
私のページから確認できますよ~。
今回のブログに「トラックバックの意味がよく分からない。」
とのコメントを頂きました。ありがとうございます。
前号(3号)をもう一度よく読んでみてください。
私も超初心者なもので説明がうまくないかもしれません。
本当にすみません。。。
特にこの「トラックバック」はみなさんが解りにくい仕組み
なのです。(私もなかなか理解できませんでした)
「めあか」、「めあお」、はそう読みますが、
目黄は「めき」と読むそうです。