中山道を歩いて二日目。
2004年3月31日(都営地下鉄「白山」から)
(やっちゃ場跡)
「ほうろく地蔵」から白山上の五叉路の信号に出たら、
中山道は直進するが、信号を渡って先にある細い道を、
斜め右に入る。
この道は土物棚新道と呼ばれた道で、神田、千住に並ぶ
江戸の三大青果市場の一つで、幕府の御用市場であった。
道の先の本郷通りに出ると、右側が交番、左側に天栄寺があり、
門前に「駒込土物店跡」と「江戸三大青物市場遺跡」の石碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/fb/a7090aa0eec627434b58d98cd7dd23be.jpg)
(駒込土物店の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/cb/a86c7c8417c36d8db3796b4f9f742277.jpg)
(江戸三大青物市場跡の石碑)
案内によれば、
「初めは近郊の農家が、野菜を担いで江戸に出る途中、
天栄寺境内の“サイカチの木”の下で毎朝休むことを例とした。
すると、付近の人が新鮮な野菜を求めて集まったのが起こりという。
土地の人は“駒込辻のやっちゃ場”と呼んで親しんだ。
また、富士神社一帯は、駒込ナスの生産地として有名であり、
ナス以外に、大根、人参、ごぼうなど、土の付いたままの
野菜である“土物”が取引されたので土物店といわれた。
正式名は“駒込青物市場”で、昭和4年(1929)からは
“駒込青果市場”と改称した。街道筋にあった問屋は、
道路の拡張などで、昭和12年(1937)豊島区へ移転して、
巣鴨の青果市場として現在も残っている。」(文京区教育委員会)
この本郷通りは、中山道とほぼ平行しているので、左に出れば
いつでも中山道へ出られる。
「富士神社」や「六義園(りくぎえん)」が、
2004年3月31日(都営地下鉄「白山」から)
(やっちゃ場跡)
「ほうろく地蔵」から白山上の五叉路の信号に出たら、
中山道は直進するが、信号を渡って先にある細い道を、
斜め右に入る。
この道は土物棚新道と呼ばれた道で、神田、千住に並ぶ
江戸の三大青果市場の一つで、幕府の御用市場であった。
道の先の本郷通りに出ると、右側が交番、左側に天栄寺があり、
門前に「駒込土物店跡」と「江戸三大青物市場遺跡」の石碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/fb/a7090aa0eec627434b58d98cd7dd23be.jpg)
(駒込土物店の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/cb/a86c7c8417c36d8db3796b4f9f742277.jpg)
(江戸三大青物市場跡の石碑)
案内によれば、
「初めは近郊の農家が、野菜を担いで江戸に出る途中、
天栄寺境内の“サイカチの木”の下で毎朝休むことを例とした。
すると、付近の人が新鮮な野菜を求めて集まったのが起こりという。
土地の人は“駒込辻のやっちゃ場”と呼んで親しんだ。
また、富士神社一帯は、駒込ナスの生産地として有名であり、
ナス以外に、大根、人参、ごぼうなど、土の付いたままの
野菜である“土物”が取引されたので土物店といわれた。
正式名は“駒込青物市場”で、昭和4年(1929)からは
“駒込青果市場”と改称した。街道筋にあった問屋は、
道路の拡張などで、昭和12年(1937)豊島区へ移転して、
巣鴨の青果市場として現在も残っている。」(文京区教育委員会)
この本郷通りは、中山道とほぼ平行しているので、左に出れば
いつでも中山道へ出られる。
「富士神社」や「六義園(りくぎえん)」が、
この本郷通りに面しているので、
しばらくこのまま進むことにする。
しばらくこのまま進むことにする。
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