(三又道路の中央にある魚屋さんを右へ)
(京都三条大橋へ)
日本橋を出発して、49日目でやっと京都に入った。
今日中には三条大橋にたどり着ける。
後残り6km足らずであろう。
国道1号線をまたぐ歩道橋を降りて進むと、
案内にあったように三叉路に出る。
中央に魚屋さんがあるところを右折する。
少し行くと車石の上を牛車が通る大津絵(?と思う)があり、
(車石の上を荷車が行く)
下に説明が書いてあるので紹介する。
(大津の京都を結ぶ東海道は、
米をはじめ多くの物資を運ぶ道として利用されました。
江戸時代中期の安永八年(1778)には、
牛車だけでも年間15894両通行がありました。
この区間は、大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり、
通行の難所でありました。
京都の心学者脇坂義堂は、文化二年(1805)に一万両の公費で、
大津八町筋から京都三条大橋にかけて約12kmの間に、
牛車専用道路として、車の轍を刻んだ花崗岩の石を敷き並べ、
牛車の通行に役立てました。これを車石と呼んでいます。)
その先の右手に「小関越(こぜきごえ)」の道標が見えてくる。
近づくと、表面に「三井寺観音道」とあり、
左面に「小関越」とあり、
右面には「願諸来者入重玄門」とある。
道標を過ぎしばらくすると、京都市の看板がある。
ここから京都市山科区に入る。
(右奥に小関越えの碑はある)
(小関越え、三井寺観音道の碑)
(右面に「願諸来者入重玄門」とある)
(三条通りがしばらく続く)
(京都市の案内)
しばらくすると六角堂の徳林庵がある。
あたかもお祈りの時で、六角道から読経の声が聞こえてくる。
南禅寺派 徳林庵と書かれている。
道路脇には、正面に南無地蔵尊とあり、
右面には伏見六地蔵と刻まれた石碑がある。
(六角堂の徳林庵)
(薄れかかった南禅寺派 徳林庵の文字)
(南無地蔵尊)
(伏見六地蔵の碑)
(おこしやす ‘やましな‘協議会)の案内によれば、
(京 東の門番 東海道の守護佛 山科地蔵徳林庵は、
旧東海道沿いに建つ寺院です。地蔵尊は小野篁作で、
1157年に後白河天皇の勅命により、
京の都の主要街道六箇所に安置された地蔵の内の1体です。
それ以降、京都に入る際の厄除けの場所、
東海道の門番として、今もなお多くの人が訪れます。
また、琵琶法師の祖として知られる人康親王、
蝉丸ゆかりの寺でもあります。)とある。
人康親王が十禅寺を開山して隠棲した所が徳林庵である。
その六角堂の裏手には六地蔵が前掛けをかけて整然と並んでいる。
また、説明にもあるように、人康親王と蝉丸の供養塔も並んでいる。
六角堂内の地蔵尊の前で、厳かに読経は続けられていた。
六角堂の隣には道路一本を隔てて、十禅寺の石碑が建っている。
(六地蔵が並ぶ)
(人康親王と蝉丸供養塔)
(十禅寺の石碑)
(六角道内の地蔵尊)
旧東海道を下ると、右手に「諸羽神社」の鳥居、
「九品山 来迎寺」の山門があり、
(山科駅前)の信号がある。
信号先右手には、メトロモールの立派な建物があり、
その植え込みに旧東海道の石碑と明治天皇御遺跡の石碑がある。
次いで、吉祥山安祥寺の石碑があり、弘誓山 當麻寺の門がある。
(「諸羽神社」の鳥居)
(「九品山 来迎寺」の山門)
(山科駅前の信号)
(旧東海道の碑)
(吉祥山安祥寺の石碑)
(弘誓山 當麻寺の門)
やがて左側に、(史跡 五条別れ道標)があり、
「左ハ五条橋 ひがし にし 六条大仏 今ぐ満(ま)きよ水道」
右面に「右ハ三条通」の石碑がある。
三条通りから五条大橋に抜ける分岐の石標になっているようである。
(史跡 五条別れ道標)の標識が解らない。
京都の人は解るが、それ以外の人には解説がないと解らない。
これでは道標といえない。
今ボクは三条通りにいる。
三条通りと五条大橋に行く道との別れ道、つまり、
分岐点ということである。
(五条別れ道標と「右ハ三条通」の石碑)
次に「左ハ五条橋」これは分かる。「左へ行けば五条橋だ」ということだ。
「にし ひがし 六条大仏」これは「西へ行っても東へ行っても六条」(?)
では無い。「六条の西、東本願寺へ行く道」という事だそうだ。
それで「大仏」とは、大仏がある方広寺のこと、「方広寺へ行く道」なのだ。
では、「今ぐ満(ま)きよ水道」は何かというと、
「今ぐ満」=今熊野(いまぐまのかんのんじ)観音寺を現し、
「きよ水」は清水寺(きよみずでら)に通じる道ということだそうである。
いずれにせよ、京都の人ならすぐ判るが、ボクには分かり難い道標である。
今熊野観音寺には、日本三大大仏と言われた立派な大仏があったそうである。
地理に明るい京都の人に解っても、道標の役にはたたない。
京都の事に疎いボクのような旅人の役に立たなければ、
道しるべにはなるまい。
(難しい道しるべ)
旧東海道は、左に緩やかに曲がり、
右面には「願諸来者入重玄門」とある。
道標を過ぎしばらくすると、京都市の看板がある。
ここから京都市山科区に入る。
(右奥に小関越えの碑はある)
(小関越え、三井寺観音道の碑)
(右面に「願諸来者入重玄門」とある)
(三条通りがしばらく続く)
(京都市の案内)
しばらくすると六角堂の徳林庵がある。
あたかもお祈りの時で、六角道から読経の声が聞こえてくる。
南禅寺派 徳林庵と書かれている。
道路脇には、正面に南無地蔵尊とあり、
右面には伏見六地蔵と刻まれた石碑がある。
(六角堂の徳林庵)
(薄れかかった南禅寺派 徳林庵の文字)
(南無地蔵尊)
(伏見六地蔵の碑)
(おこしやす ‘やましな‘協議会)の案内によれば、
(京 東の門番 東海道の守護佛 山科地蔵徳林庵は、
旧東海道沿いに建つ寺院です。地蔵尊は小野篁作で、
1157年に後白河天皇の勅命により、
京の都の主要街道六箇所に安置された地蔵の内の1体です。
それ以降、京都に入る際の厄除けの場所、
東海道の門番として、今もなお多くの人が訪れます。
また、琵琶法師の祖として知られる人康親王、
蝉丸ゆかりの寺でもあります。)とある。
人康親王が十禅寺を開山して隠棲した所が徳林庵である。
その六角堂の裏手には六地蔵が前掛けをかけて整然と並んでいる。
また、説明にもあるように、人康親王と蝉丸の供養塔も並んでいる。
六角堂内の地蔵尊の前で、厳かに読経は続けられていた。
六角堂の隣には道路一本を隔てて、十禅寺の石碑が建っている。
(六地蔵が並ぶ)
(人康親王と蝉丸供養塔)
(十禅寺の石碑)
(六角道内の地蔵尊)
旧東海道を下ると、右手に「諸羽神社」の鳥居、
「九品山 来迎寺」の山門があり、
(山科駅前)の信号がある。
信号先右手には、メトロモールの立派な建物があり、
その植え込みに旧東海道の石碑と明治天皇御遺跡の石碑がある。
次いで、吉祥山安祥寺の石碑があり、弘誓山 當麻寺の門がある。
(「諸羽神社」の鳥居)
(「九品山 来迎寺」の山門)
(山科駅前の信号)
(旧東海道の碑)
(吉祥山安祥寺の石碑)
(弘誓山 當麻寺の門)
やがて左側に、(史跡 五条別れ道標)があり、
「左ハ五条橋 ひがし にし 六条大仏 今ぐ満(ま)きよ水道」
右面に「右ハ三条通」の石碑がある。
三条通りから五条大橋に抜ける分岐の石標になっているようである。
(史跡 五条別れ道標)の標識が解らない。
京都の人は解るが、それ以外の人には解説がないと解らない。
これでは道標といえない。
今ボクは三条通りにいる。
三条通りと五条大橋に行く道との別れ道、つまり、
分岐点ということである。
(五条別れ道標と「右ハ三条通」の石碑)
次に「左ハ五条橋」これは分かる。「左へ行けば五条橋だ」ということだ。
「にし ひがし 六条大仏」これは「西へ行っても東へ行っても六条」(?)
では無い。「六条の西、東本願寺へ行く道」という事だそうだ。
それで「大仏」とは、大仏がある方広寺のこと、「方広寺へ行く道」なのだ。
では、「今ぐ満(ま)きよ水道」は何かというと、
「今ぐ満」=今熊野(いまぐまのかんのんじ)観音寺を現し、
「きよ水」は清水寺(きよみずでら)に通じる道ということだそうである。
いずれにせよ、京都の人ならすぐ判るが、ボクには分かり難い道標である。
今熊野観音寺には、日本三大大仏と言われた立派な大仏があったそうである。
地理に明るい京都の人に解っても、道標の役にはたたない。
京都の事に疎いボクのような旅人の役に立たなければ、
道しるべにはなるまい。
(難しい道しるべ)
旧東海道は、左に緩やかに曲がり、
すぐ右に曲がりして三条通にぶつかる。
右手の東海道線の下を抜けると、
すぐ左に(陵が岡みどりの径)の遊歩道の入り口がある。
案内地図があるので、地図をよく見て、この(みどりの径)入り口の先、
初めての左折道路を左へ行く。
非常に解り難いが地図をよく見て、
旧東海道を進もう。
(左に緩やかに曲がる)
(街道の古い家を見ながら右へ曲がる)
(三条通りは右へ)
(すぐ東海道線をくぐる)
(左手のみどりの径にある地図を良く見て、亀の水不動へ)
(左の建物が切れたところの小路を左折)
(旧街道はこれを左折しよう誤りではない)
右手の東海道線の下を抜けると、
すぐ左に(陵が岡みどりの径)の遊歩道の入り口がある。
案内地図があるので、地図をよく見て、この(みどりの径)入り口の先、
初めての左折道路を左へ行く。
非常に解り難いが地図をよく見て、
旧東海道を進もう。
(左に緩やかに曲がる)
(街道の古い家を見ながら右へ曲がる)
(三条通りは右へ)
(すぐ東海道線をくぐる)
(左手のみどりの径にある地図を良く見て、亀の水不動へ)
(左の建物が切れたところの小路を左折)
(旧街道はこれを左折しよう誤りではない)
私の適当なブログにくらべて、いつもテーマ通りに遂行されているHIDEさんのブログは立派です。
書き込みいただく際のリンクが、ちゃんとリンクになっていないようですので、ちょっと直して頂けると幸いです。
ご指摘有難うございました。
blogの「l」が「i」になっていました。
有難うございました。
何時もお顔だし有難うございます。
漸く長野も紫陽花の季節になりました、色紫陽花はもう少し色が付くと思いますので待っています。
七変化 薄い色となり 父想う
父の形見の色紫陽花です。
コメント有難うございます。
アジサイは本当に七変化ですね。
無色からピンク、紅色、薄紫、青、藍色など・・・
いよいよ残り少なくなってきましたね。
牛車が次々と通る様を想像しました。
六地蔵の中に、上を向いているお地蔵さま、初めて見ました。
コメント有難うございます。
よく気がつきましたね。ボクは全く気づきませんでした。
本当に珍しいですね。
暑いですか?
同僚で、由緒ある京都のお寺に嫁いだ友達が
いました。彼女の結婚式は
頭をまるめた袈裟姿の人ばかりが来てまして
未だに印象深かったので忘れません
次回のブログで完走になりそうですな。
コメント有難うございます。
気温は27℃で少し暑かったですね。
もう京都入りですね。
お友達の結婚式、頭を丸めた袈裟衣の人たちは、
異様な感じだったでしょうね。
お察しします、聞いただけでも「エッ!」となります。
コメント有難うございます。
いよいよ京都市内入りです。
応援有難うございました。