安倍政権が固執していた検察庁法改正案の動きが止まった。未だ最終的なことは分からないが、安倍政権の暴走を初めて留めることができた。まずは良かった。
こうした動きは安倍案件だが、この安倍案件を留めた意義は、計り知れない。数の論理で言えばありえないことであり、議会をとりまく市民が政局を左右するまでに一歩前に出たからだ。また日弁連をはじめとした全国の殆どの弁護士会、そして検察官OBが明確な声明を出したことが追い打ちをかけた。ここまでくれば、NHKや読売新聞も無視できなくなっていた。
私自身も民主主義とは議会を巡る数の論理のみならぬ、法治という仕組みも大きいのだと改めて考える。無論立憲主義はいうまでもない。今回の暴走を留めた力は、安倍首相が「裸の王様」だと初めて突きつけたのだ。私はこの点を重視したい。
このためには、私たち自身が普段から自分の暮らしぶりを社会との関係で、政治との関係で考える頭と方法と仲間をもつことが大切だ。
安倍首相が願望している大日本帝国憲法下の日本に戻ってしまえば、どうなってしまうのか。人々は国の命に応じて生きる・死ぬだけになる。断じてそんな日本にさせてはならない。政権が検察を握ることはそこへの第一歩ですらある。
ひとり一人が自治を重視して生きること、この点に確信を据えて生きていきたい。沖縄が沖縄として自己決定権を唱え、重視することも同様だ。
検察庁法改正案に対する第一歩はささやかではあるが、大きな可能性も開いたのではないか。改めて「勝つ方法は諦めないことだ」と確認し、「命どぅ宝」と声を大にしたい。チバリョー。がんばろう。