先日(5月15日)、私は「#検察庁法改正に抗議しますー沖縄から(Ⅰ)」を書いた。今日は、「沖縄から」のミソの部分を書きたい。
《Ⅰ:この国に「3権分立」は、あるの?》
さて、この問題は三権分立を脅かすと危惧されているから大きな問題になってきた。そもそも戦後日本国家なるものに、「三権分立」は、存在してきたのか? 米国が「どうぞ」といって、造られた国だよ。1952年の平和(講和)条約(片面講話)にリンクされて、米日安保条約が米国から押しつけられた。これで占領軍が1952年4月28日、駐留軍に名前を変えた。こうして日本の独立後も、米軍が居座る。ここから「戦後日本国」の歴史が始まった。
日本国憲法に謳われている「三権分立」(日本国憲法第76条)はどうなったのか。また、「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」(日本国憲法第9条)はどうなったのか。後者は1950年に警察予備隊が作られ、再軍備へ反転されていく。52年、保安隊、54年自衛隊の創隊だ。こうした動きは隣国の朝鮮半島での戦火(朝鮮戦争)が飛び火する中で起きていく。米国からすれば、日本を経済的な同盟国から軍事的な同盟国を睨み、その基礎を再建し始めて行く。これに全面的に乗ったのが吉田茂元首相らだ。
この動きの下敷きに沖縄を軍事拠点として、日本から切り離す動きが先行していた。1952年4月28日、米日政府が「結実」させたのだ。こうした動きと司法界を巡る裏取引が交わっていく。米国は1950年代に立川基地(東京都)の滑走路の延長工事を企んでいた。これに対して闘う労農学が起ち上がり、土地の売り渡しを阻んだのだ(砂川闘争)。1957年9月22日、23名が不当逮捕され7名が起訴された。1959年3月30日、伊達秋雄東京地裁裁判長は憲法9条を盾に、安保刑事特別法を違憲・違法として、これを無罪としたのだ。これに驚愕したのが米国国務省だ。米国高官が日本政府高官(藤山愛一郎外務大臣ら)や田中耕太郎最高裁長官に圧力をかけてきた。これにもろに答えたのが田中長官の1959年12月16日の最高裁判決であり、「伊達判決破棄、一審差し戻し」となり、米軍の駐留を認めていく。これが出発点となり、安保条約は「裁判所の違憲審査権の範囲外」とした「統治行為論」が大手を振るうようになる。(詳細は「検証・法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉」吉田敏浩+新原昭治、末浪靖司著 創元社 2014年7月刊)。
こうして日本国憲法下での「三権分立」の屋台骨が崩されたのだ。
《Ⅱ:1960年代から70年代にかけて》
私たちは、こうした事実を知らなければダメ。1960年代沖縄の「日本国憲法下の日本への復帰論」は同時的に破綻していたことになる。あくまでも沖縄をアジアの軍事拠点に据える目論見をもっていた米国政府が、沖縄民衆の声を聴く訳がなかったのだ。それに組したのが日本政府だ。こうして72年の沖縄返還に様々な密約が結ばれていく。米日政府は、密約=隠し事を大前提に政治を進めたのだ(「沖縄密約ー情報犯罪」と日米同盟」西山太吉著 岩波新書 2007年5月刊)。
因みに、1972年5月時の米軍専用施設の沖縄における割合は、58.7%であり、2017年1月の割合は70.6%に上がっているのが現状だ。要するに沖縄を除く「日本」の基地は返還されていったが、沖縄では逆に「日本」から押しつけられていったのだ。
だが、私が注目したいことは、権力側の動きもだが、民の動きを見ておきたい。
60年安保改定阻止の闘いで、沖縄に着目していた識者はほぼ皆無。闘いの奔流は「議会制民主主義を守れ!」に流れてしまい、沖縄を「忘れられた島」に追いやっていったのだ。
この傾向を70年反安保闘争の中でも超えることはできなかった。「外と内」の分断が広がり、歴史の読み直しも、アジア規模で考えることも、できなかった。ベトナム戦争が終結した75年4月30日以降、日本の世論から沖縄は再び消えていく。
《Ⅲ:14年7月Ⅰ日の2つの閣議決定》
そして2014年7月Ⅰ日、安倍政権は2本の閣議決定を行った。①集団的自衛権の合憲解釈、②辺野古・大浦湾の海に「臨時立ち入り制限区域」を設定し、抗議行動を大きく封じ込めるためのものだ。この2つの閣議決定がその後の日本の軍事・戦争政策を抜本的に変えていく。
①は「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題した閣議決定だ。これは、従来の政権が「集団的自衛権」を違憲と考えてきたことを塗り替えたのだ。
②は米軍基地を守るために定められてきた基地に隣接する海域を従来は50mまでとしていた区域に、日本政府による基地建設のために何と最大で沖合い2kmまでを囲い込むものだ。その面積は普天間基地(480㌶)より広い560㌶に及ぶ。公有水面を囲い込む論拠は何もない。米日地位協定を拡大適用しているだけであり(それさえ、条文等は示されていない)、まして刑事特別法をかけうる条文はない。だから、抗議者が臨時立ち入り制限区域の中に入っても、海上保安庁は逮捕・起訴できない。刑事特別法を適用するためには、その区域が正当(合法)であることを立証するのは防衛省になる。こうなれば、これまで闇で包んできた日米合同委員会などの決定(審議経過)が問われてくる。
工事予定区域と臨時立ち入り制限区域ははるかに離れており(後者が飛びだしている)、明らかに恣意的だ。工事をやりやすくする、抗議を封じ込める。例えば、大浦湾側にある砂浜は瀬嵩(せだけ)が広く、工事予定地の対面の中心部にあたる。ここを大きく封じ込めており、左右(東西)への出入をブロックしているのだ。
ここで①の論点に戻す。「集団的自衛権を巡る解釈改憲」論を歴代の内閣法制局長官は否定する立場をとってきた。首相が良しと言っても、内閣法制局長官が歯止めになってきたのだ。ここをクリアしなければ、安倍政権でも前に進めなかった。だから安倍首相はこの人事を入れ替えたのだ。2013年8月のことだ。内閣法制局の外の外務省官僚だった小松一郎を引き抜いた。政権の法令解釈のお目付役を変えれば、何でもありだと言うばかりに。こうして安倍政権は、集団的自衛権を巡る解釈変更をすすめていったのだ
ここに「憲法9条と安保法制」(阪田雅裕著 有斐閣 2016年刊)がある。彼は弁護士であり、2004年から06年の内閣法制局長官だった人だ。彼がこの閣議決定とそれに続く関連立法を事細かに分析している。「集団的自衛権の合憲化」といわれるが、限定的なものだという。また政権が事例としてあげている想定を分析している。ホルムズ海峡を何者かが機雷を敷設して交通を妨害したら、海上自衛隊はこれを撤去できる。このときの想定がお笑いなのだ。あたかも置き忘れた物をとりにいくレベルなのだ。もしも軍事的な意味合いで機雷を敷設すれば誰だって、これを守ろうとする。これを持ち去る奴を見逃すわけがない。交戦状態が生まれる。自衛艦は自分が攻撃されたら反撃するのは自明だからということかもしれないが、わざわざ出向いていって衝突することを予想しない事例が成り立つのか。
こういう考え方は、法的(字面)には最小限の変更で、実戦では、交戦まで簡単にいってしまいかねないのだ。戦争は極めてリアルなものだ。言訳やゴマカシは通じない。殺(や)るか殺(や)られるかなのだ。だからこそ、政権・防衛省は「グレーゾーン」、「シームレス」(切れ目のない)を連発し、その準備に余念がない。
極めて限定的な解釈改憲の表看板の下で、実は攻撃態勢を格段に強化しているのが今日の自衛隊だ。
そして沖縄から見れば、2010年以来進められてきた「島嶼防衛」は極めて危険な物になる。敢えて刃を南西にシフトさせ衝突に備えていく。与那国島・石垣島・宮古島・沖縄島・奄美大島・馬毛島・種子島、ずらずらと。
《Ⅳ:まとめ》
安倍の人治主義が解釈改憲を果たしていった。今の検察庁法案の「改正」も法治を壊して人治を優先。余りにも怖いことだ。今度特高をつくるから、お前検事総長、よろしく。こんなろくでもない時代がやってくるかもしれないのだ。