★「ヤマヒデの沖縄便りⅣ」の更新等のために(山本英夫)
2022年末を迎える中で、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか? 経済不況にコロナ禍が重なり、大変厳しいだろうと察します。
当方は、コロナ禍が始まる中で講演会等もゼロになり、経済の立て直しができないまま推移し、この度の米日共同統合演習の取材も沖縄島限りしか行けませんでした。与那国島などの島々に隠された軍事に関する諸々の事実を市民は知るべきですが、マスコミも報じません。誠にもどかしく、悔しいです。
今年6月と11月に私の必需品であるカメラとレンズ、そしてパソコンが立て続けに故障してしまいました。パソコンの大修理に、12万円、カメラ1台とレンズ3本の修理に9万円、計21万の失費を余儀なくされました。撮影じたいは代替品で途切れることなく行うことができましたが、「島嶼防衛」の現場取材を断念する状態が続いています。沖縄島の中の取材すら、お金と睨めっこです。
販売物として「読書応援カード」を制作し、また、ようやく日々撮影した写真を販売する態勢を整えました。緊急対応として、約10年前に制作した「辺野古」と「与那国島」の絵はがきの販売に力を注ぎます。またホームページを制作し、写真の販売や寄稿、「基地はいらないガイド」(仮称)などで財政を立て直す所存です。
私個人に対するカンパ要請で大変恐縮ですが、当ブログ(「ヤマヒデの沖縄便り Ⅳ」)の更新をはじめ、今後の活動に還元させていきます。ご協力いただければ、誠に幸いです。
【今後に向けて】
今年は1972年5月15日から「復帰50年」を迎えましたが、米国の対中包囲網を作り出そうとする極めて危険な動きと重なっています。いよいよこの国は、米国の下請け機関の本性を丸出しにしています。「日本国憲法」がどうであれ、ロシア・中国・朝鮮半島の「脅威からの防衛」を口実に「敵基地攻撃能力」を確立すると(断固たる戦争国家になる)息巻いています。軍事費10兆円の倍増計画で潤うのはごく一部の軍事産業のみです。併せて私たちの暮らしを見つめれば、経済格差の広がり、生活できる雇用の破壊、年金や保険の低下、教育の保障の後退、原発再稼働・新設など私たちが生きるために無視し得ないことばかりが広がっています。
私は引き続き沖縄という現場から「辺野古が唯一」「普天間代替施設」なる大ウソを暴露し、新基地建設が新たな対中戦争に備える「島嶼防衛」拠点の一角となり、琉球諸島の島々(沖縄島を含む)が戦場になりかねないことを明らかにしていきます。このままでは普天間基地は返還されようもありません。また、辺野古に「プチ・オスプレイ等飛行場」ができてしまうだろうと訴えます。
私たちは、沖縄島・琉球諸島を新たな戦場にすることを、なんとしても止めなければなりません。これは沖縄のエゴではありません。そうなれば、日本中が、アジアが、戦乱に巻き込まれてしまうからです。私は、米国の『国益』=日本の「国益」なのかを問い質したいと思います。このままでは、再び沖縄を破壊し尽くしかねません。断じて許すわけには参りません。
【お願いに当たって】
私の家計費を2021年2月1日から、①生活費と②取材・行動費に分けました。皆様にお願いするカンパは後者の②に充当します。制作物の売上金や講演謝礼、その他原稿料・著作権料はこちらに充当します。
②の取材・行動費は、カメラ・レンズ等の機材の購入・修理代、パソコンの修理代、プリンターの維持・管理代、取材の交通費・宿泊代・資料代。販売物の制作費です。
【カンパ振込先】お手数をおかけしますが、こちらにお願い申し上げます。金額は1000円以上でお願いします。受領した際は、領収書をお送りします。
◎郵便振替口座:00150-0-610793 口座名:「フォトプラザ・ヤマモト」(郵便局の預金機で支払い可)
お問い合わせは、メールでお願い申し上げます。pzyamahide(アットマーク)lemon.plala.or.jp 山本英夫
(2022年11月24日)
[参考資料]
【ヤマヒデのプロフィール】
1951年東京生まれ、松林と原っぱと畑に囲まれていた世田谷育ち。1964年の東京オリンピックを前に激変していく様に仰天。1965年より野鳥観察を始め、1967年東京湾江戸川河口の干潟・野鳥を守る運動に参画。1989年5月初めて沖縄を訪れ、「基地の島」に衝撃を受けた。以降、沖縄通いを始める。1997年、辺野古・大浦湾の新基地建設の動きを知り、2004年から撮影の定点とした。その成果をもって、東京で写真展を繰り返してきた。2010年末の防衛計画大綱に掲げられた「島嶼防衛」に衝撃を受け、2011年以後、与那国島・石垣島・宮古島に通い出す。
2013年10月、名護市に居を移し、同時に辺野古テント村(運営:ヘリ基地反対協議会)のボランティアスタッフとなる。2021年夏、主宰団体等との信頼関係が崩壊、離脱した。
2022年4月、私は、「写真を撮る人」としての足下を固め、あらためて出直します。
【沖縄に係わる私の基本姿勢】
①沖縄と向き合うのは、私と私たち「日本人」が自戒し、再生したいから
33年間私が沖縄と関わる中で気づかされてきたことは、私たちの無知・無関心・不勉強が沖縄を「基地の島」に固定化させ、加担してきたという現実です。「平和憲法」と言われてきた日本国憲法は、第1章「天皇」から。日清戦争以来繰り返されてきた侵略戦争を問わず、各自の自由な思考を奪う仕組みとしての天皇制。また、沖縄は、「皇国の防衛」のために焼き野原にされ、沖縄民衆はスパイだと惨殺されたり、「集団自決」に追い込まれていきました。この頂点に君臨していたのが、「神聖にして犯すべからず」の天皇です。日本国憲法第1章は「天皇」条項。戦後77年、沖縄の「日本復帰」50年が経過しても米日核安保体制が日本国憲法の上位に君臨し、民主主義は死に体に。国会すら無視されています。
私が自分世代の責任を問い続けます。1960年代末から1972年のベトナム反戦運動の中で、この国と切っても切れない沖縄の現実を「異国」だからと、日・琉の歴史を視野に入れていませんでした。これは欺瞞では済まされません。私は沖縄と関わり続けます。微力でも、無力でないと信じ、歩き続けます。
②沖縄と係わるのは、地域の、地球の自然を守るため
私は沖縄に住み始め、沖縄の自然に新たに出会い直そうと考えています。琉球諸島の島々は地球上で唯一無二の温暖で湿潤な亜熱帯の海と森の環境を構成しています。私はなんとか島々の自然を間近にみたいと思いながら、「基地の島」に閉ざされています。大浦湾の海草やジュゴンは、その最大の被害者です。
このまま「基地の島」に縛り付けられたままでは、琉球諸島の自然は、生き延びていくことはできなくなるでしょう。シマに生きているのは、私たち人間だけではないと、私は自覚し直します。
人間が生み出した近代科学技術は原爆や原発を頂点に取り返しのつかない破壊をもたらしています。気候危機が叫ばれる今も、人間は「万物の霊長」などという思い上がりを克服しようとする気配は、大国の中からは生まれ出ていません。
③沖縄と係わるのは、「島嶼防衛」なる戦禍をもたらす事態を避けるため
日本政府は、2010年の「防衛計画大綱」確定後、内々に中国を敵視する政策に転換しました。米国は、対中戦争を準備しながら、これまで日本に「地域限定戦争」の先鋒を務めろと言ってきました。このための準備は沖縄島・琉球諸島ばかりか、日本列島各地でも様々に進んでいます。米国は対中戦争を遙か遠くから地域限定戦争に押さえ込むと考えてきましたが、2021年4月の米日首脳会談で「台湾有事」まで飛びだしました。2022年2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵略戦争は核の脅威が露わになってきました。そして日本政府は「専守防衛」の看板を変えないまま、「敵基地攻撃能力」を持つと明言しています。明らかな〈矛盾=欺瞞〉です。
『台湾有事』となれば、この国は与那国島から北海道まで瞬く間に戦時体制に覆われます。琉球諸島を戦場にすると想定されてきましたが、21年8月、勝連半島に対艦ミサイル基地が造られると報道されました。沖縄全域を戦場にする段階に入っています。事は琉球諸島全体に及び、アジア全体に波及していくでしょう。私は、如何なる国の大国主義・覇権主義に対しても、明確に反対していきます。沖縄を戦場にするような事態を沖縄の皆様と共に私は全力で止めていきたい。侵略の歴史を凝視し、不戦を掲げ、希望を不戦に見定めます。(2022年9月23日改訂)