昨日、2022年4月15日、衆議院議員山本太郎が辞職し、参議院選挙にでるとの奇策が飛び込んできた。何だそれ?! しかし良く聞いてみれば、彼の権利は比例区当選だったから、辞職しても同じ政党の次席の人が繰り上がるのだ。それも櫛渕まりさんだ。そういうことか、と私には合点がいった。
山本太郎はこう言っていた。どう考えても、この参議院選挙で、大きな変化を生み出せまい。結果は自公プラスの改憲派が多数(3分の2以上)を握ることになるだろう。そうなれば、次の参院選までの3年間で、新自由主義がさらに浸透し、改憲の危機、戦争の当事者になるやもしれない。彼等にとって「黄金の3年間」となれば、人々にとっては地獄の3年間となるだろう。
私は全く同感だ。参議院選も見込みがない。コロナ禍とロシアのウクライナ戦争が巧妙に利用され、一気に全体主義への流れが強まるだろう。付和雷同から、財界が網を掛けている中に競って駆け込みそうだ。
立憲民主党は国民民主党の挑発に気後れて、連合や財界の糸車に乗りかけている。共産党は教条的な共産党に先祖返りしそうだ。社民党は小さすぎ、現局面にコミットする力が余りに弱い。絶望的な状況だと私は考えていた。
むろん、この奇策で、どこまで変えることができるかは未知数だ。山本太郎ひとりの力では無理だろう。しかし「同調圧力に屈しない勢力を最大化する必要があると考えている」とあり、「国会で行われる茶番に対して大きな声で人々に危機を伝え、行動できるのは、れいわ新選組であり、私たちはその使命があると自負しています」と。
確かに2019年の結成以降、国会議員を5名に増やし、小なりといえども着実に個人商店から、組織の形を整え、自治体選挙への進出や、組織的な展開力を築きつつある。
危機感を多くの有権者と共有して行ければ、大きく変えるステップにできるかもしれない。既に私たちは可能性を信じなければ、なす術を失っている。新自由主義のますますの拡大と、改憲を具体化していけば、もう戦争を自ら欲望していく国に落ちていく。いや、落ちているから改憲の流れが急速に広がっているのだ。
ロシアへの反感があの手この手で組織されている。武力に武力で対抗する力が鼓舞されている。むろん、ロシアが始めた戦争だが、これに対抗するはずの反戦が平和に結びついていないのだ。市民の命を守れに結びついていない。
今次の選挙は、国会を巡る与野党の数の取り合いでは済まないだろう。国権の最高機関たる国会に有権者の声を届け、大衆運動と共に、財界本位の政治をひっくり返していく基盤をつくりかえる事が問われている。
沖縄においては、「復帰50年」が語られているが、基地の島の現状は1㎜も動いていない。米日共同の政治がずんずんと深められており既成事実化が進んでいる。「島嶼防衛」から戦場の島へ。
「命どぅ宝」とは、個々人の内心の問題に留まらない。ナショナリズムを超え、人々が生き抜くための努力に他ならない。命は民族的な分断をこえなけれえば、もはや生きながらえない。核戦争のことを想起してみれば、はっきりとしている。「核戦争」に勝利者はいないのだ。
話を戻す。山本太郎は党派的な利害を考えているのではない。共に生きよう、であり、その意識は鮮明だ。彼等がどれだけの票をとり、議席を伸ばせるか、そして私たちが生き延びていく可能性をどこまで押し広げられるのか、これはひとつの選挙という場を超えている。未知だからこそ、おもしろい。大胆に開き直るしかないだろう。
揶揄している人々もいるが、如何なる立場からあなたは太郎を揶揄できるのか? 胸に手を置いて考えて欲しい。
私も微力ながら、やれることを最大限やっていく。