昨日(2021年3月22日)の沖縄2紙に、ひめゆり平和祈念資料館が2度目の改装されるので、3月22日から4月11日まで休館になるとでていた。
私が一番最初にひめゆり平和祈念資料館に行ったのはいつのことだったんだろう。はっきりと覚えていない。一番最初に来た1989年5月にはまだ建設途中だった。だからこの後なのだが、1990年のことなのか、92年なのか。資料を堀り返せばでてくるが、記憶にない。ただ大きな一部屋に亡くなられた方々の顔写真が貼られていたのが印象的だった。先生を除けばみんな10代の女の子。唯々いたたまれない気持ちになってしまった。
第2回目が先日だろうか。いや、この間に見た気もする。怪しい記憶力なのだ。
ひめゆりの塔と第3外科壕跡。20210218 撮影:山本英夫(以下全て)
相思樹の気が眩しかった。
やや下がって、ひめゆりの塔を見る。
資料館入り口に立って。中庭がいつも美しい。
ひめゆり平和祈念資料館は、1989年6月23日に開館された。その設立は「(前略)あれから40年以上が経ちましたが、戦場の惨状は、私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません。
戦争を知らない世代が人口の半数を超え、未だ紛争の絶えない国内・国際環境を思うにつけ、私たちはひとり一人の体験した戦争の恐ろしさを語り継いでいく必要があると痛感せざるをえません。
平和であることの大切さを訴え続けることこそ亡くなった学友・教師の鎮魂と信じ、私たちはこの地にひめゆり平和祈念資料館を建設いたしました。当館の設立にあたっては、県内外に多くのご厚意とご協力を賜りました。深く感謝いたします。 1989年6月23日」(同館HPから部分転載)とあり、2004年4月にリニューアル展示。平和の広場を増設している。国内外での取り組みが展示されている。
今度のリニューアルがどうなるのかを、興味深く見守りたいが、当時の事を知る語りベが現役を引退し、会館職員も全員戦後生まれになっている今、未体験の人が語り、展示し、共感をひろげていくことは、全く新たな課題を求められている。「戦争を知らない世代や海外からの来館者に理解を深めてもらおうと、学校生活や戦時下の状況をイメージしやすいようイラストを取り入れるなど、より視覚的な展示に模様替えする」(沖縄タイムス20210322)とのことだ。
ここを訪れる私たちは、事前学習を深めていかないとならないだろう。過去の現実に思いを馳せ、今私たちは如何なる地平に立っているのかを探りたい。
山城本部壕にたつ石碑。「春くるとひたすら待ちし若草の 萌え立ついのち君は捧げぬ」「水汲みに行きし看護婦死ににけり 患者の水筒4つ持ちしまま」。無残だよね。この碑の反対側に壕が残っている。ーここはひめゆり平和祈念資料館から南西に約800m(直線距離)の地。是非周辺の地も歩き、過去と現在に、現在から未来に、そして過去に目を通し、「命どぅ宝」を刻みつけたい。
これはこの土地を提供された方の顕彰碑。
地道な努力は今日も続いているのであり、私も何らかの形で答えていきたい。来る4月12日(月)開館となるが、また伺いたい。
ひめゆり平和祈念資料館 お問い合わせ:℡ 098(997)2100
Eメール:himeyuril@himeyuri.or.jp