ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

台風は消滅したようだ。人間は…(20241004)

2024年10月04日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2024年10月4日(金)曇

 昨日3日午後、名護湾まで出た。波も(前日より)おさまっていた。雲の様子も同様だった。帰宅後台風の様子をネットで確かめたら、やはりだった。台湾南部で停滞したので、勢力をぐんと落としていたようだ。ひとまず良かった。

 昨日は原稿をやっと一本書き上げた。写真も選んだ。夜は、フォトジャーナリズム展三重2024の総括文を完成させるべく寄せられた感想文などを読んでいたら、25時を回ってしまった。今日はその続きをやる。

 新聞に寄れば、イスラエルのレバノン侵攻による攻撃とヒズボラによる戦闘が始まったようだ。イスラエルという国がアラブに作られたことが間違っていたのだろう。水と油のように反発しあう関係が生じたのだろう。国家を守るという「大義」がまた争いを深めてきたのだろう。

 交戦を収めて欲しいが、イスラエルは国連機関など第3者の介入を認めようとしていない。武力での掃討戦という愚を犯している。武力に頼れば、沈んでいく。しかしその武力を支える同盟国が居るからエスカレートしていく。そしてこの国(=日本国)も再び武力に頼る国に転換しようとしている。政権担当者に、それを選んできた「国民」に学習能力がなさ過ぎる。

 軍事化があらゆる領域に進めば、かえって、それを打破することはできるはずだ。戦争=平和、平和=戦争の裏表が繋がれば、その間隙を直視して、打破できるだろう。但し、探知する力、考える力、協働する力を私たちが身につけていかなければ、不可能だ。武力に対して武力で応戦すれば、憎しみしか育まれない。テロは不可避になることは2000年代からの経験を考えたら、はっきりしている。

 爆弾を投げても仕掛けても、人間は救われないのだ。生きることを正面に見据えない限り、私たちに明日はない。平和であって欲しいと願望するだけでは、平和の世の中はやってこない。これだけの武力を抱え込んでしまったからだ。武力さえあれば、安全を担保できると思い上がっているからだ。どんなに軍隊を精強にしても、水と食料が不足していたらもたない。何故か? 人間だからだ。人間も生物だからだ。妖怪でもお化けでもなく、そしてマシーンではないからだ。私たちがこうしたことを忘れていたら、再び同じ過ちを犯していく。略奪者になるしかなくなるのだ。

 米国が兵站に重点を置いて軍事力強化をやってきたのもここを知っているからだ。但し米国の成り立ちは、「新大陸発見」というように、よそ者が文字通り、先住民を蹴散らして「建国」したからできたのだ。黒人を「奴隷」として連れ込んだからできたのだ。

 私たちは、殺さない・略奪しないと立てるとすれば、そうした大国から学ぶことはないだろう。小国、差別されてきた側から学ぶことだ。殺し略奪していけば、人類は自ずから滅びていくだろう。無茶を通すことには限界があるからだ。

 台風は消滅する。このままでは人間も消滅していくだろう。人間に名誉があるとしたら、こうしたことを考える洞察力だろう。「日本人」だ、「日本国家」だと驕っている余地はもはやないはずだ。足下に蓄積している危機を知らないとならない。

 他者を罵倒してはいけないということなのだろう。足下の矛盾に留意することのようだ。神のお告げではなく、自分の気づきの問題だ。

 雷雨は止みました。

 

 



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