goo blog サービス終了のお知らせ 

ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

【拡散願います】「何故?」という問いかけをもって歩きたい(20211025-②)

2021年10月27日 | 自治・自律

2021年10月25日(月)晴れ 沖縄北インターあたりから嘉手納基地をめざす。出だしでへまをした。レンズフードを落としたのだ。歩道が草むらだから、落ちても音がしない。それでも発見した。よくあることさ。

サンライズ。6:54

朝日が当たる。東南植物園は右です。私は左へ。7:12

月。モーニング・ムーン。7:16

ここで一句。ではないが、ひらめく。リアリズムを超えたオーバー・リアリズムの写真を撮りたいと。リアリズムを超える。写真だからシュールリアリズムにはならないが。現実を転倒させる視点と構成。

このへんは嘉手納基地の飛行経路の真下だが、今朝は飛んでいない。

 

両側にフェンス。米軍基地。嘉手納弾薬庫地域。7:27

看板が出ている。

右(西)側。「ご迷惑をおかけしています」とあるが、何だ? 「文化財調査」だが、それが住民や通行者に迷惑をかけるのかな?ーへんだね。7:30

 

左側。大分削っている。建物新築の地下掘削だろう。7:35

右側。この奥もだろう。7:37

沖縄防衛局が設置した看板。このなかは従来黙認耕作地だった。だが、建設予定地となったので、出て行けということだな。7:38

浦添市にあるキャンプ・キンザ-がここにくるのだ。あそこを返すから代替地につくれという「再編統合計画」があった。沖縄防衛局は、「出て行け」と言うが、そもそも誰の土地か? 住民等の土地だったはずだ。米国が取り上げ、国が勝手に米国に提供しているはずだ。地代を払っているにしても、一方的じゃないのか。要調査だね。

 帰宅後、確認。沖縄県発行の「沖縄の米軍基地」によれば、ここも1945年の米国・米軍の沖縄戦・占領以来の土地だ。戦争で強奪されて、76年間だ。それをこの国が72年5月15日以降、米国・米軍に提供してきたのだ。

ゲート。左側の森は? 7:40

反対側。ゲート。トラックが入っている道だ。7:41

右側をみる。どうみてもウタキだろう。地域信仰の場であり、民衆が生きていた跡に違いない。7:44

私は、以前にもここを通っていたが、気づかなかった。

先ほどと同じ看板に異議申し立て。誰が書いたのか知らぬが、強烈な異議申し立て。7:46

いたずら書きではない。

後方は工事飯場。沖縄防衛局に芸術を分かるやつはいないのだろう。抵抗にさらされていることに気がつかないのか。7:47

普通に撮るとこうだ。民衆の抵抗を侮ってはいけない。7:49

私もしつこいね。7:50

「再編統合計画」とは、占領の継続が前提のようだ。この「日本」という国が米国の占領を保障する。私たちは、これほどの重大問題を見逃してはならぬ。

 普天間基地の「移設」も同様だ。占領の継続としての移設。占領が辺野古・大浦湾の自然を壊し続けている。馬鹿の一つ覚えの「普天間基地代替の辺野古移設計画」とは、これだ。

 沖縄の占領は現在進行形だ。私たちが自民党政権を終わらせなければ、いつまでも続く。そしてまた戦場に。冗談じゃない。

牛舎がある。子牛たち。8:50

ここも嘉手納基地の騒音直下のはず。

基地フェンスの狭間。8:10

空軍消防署。沖縄市道沿い。周辺は嘉手納基地を含む複数の基地群に取り囲まれている。8:18

あぁ!

 私は、いつも「何故」という問いかけをもって歩いて行く。そして「心に太陽を」だな。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。