3月20日の「スライド&トーク」企画の際、ある方からおはぎなどの差し入れをいただきました。目にしたのは、帰宅後でしたが、思わず「おはぎ!」と叫んでいました。
いただきながら思ったのです。そういえば、昔、母親が時々つくってくれていたことを。当時は今のように金を出せば何でも手に入るような時代ではありません。おはぎや、月見団子だって、お手製のものを食べていました。母親の味。ドーナツやホットケーキも今のように「〇〇の元」があるわけじゃありません。いちからつくっていました。
実はごく最近までの私は、母親関連の記憶を殆ど喪失していました。小学校5年の時に母が病死したのです。このショックは大きかったようで、殆どの記憶をごく最近まで忘却していたのです。それがここ2,3年断片的に蘇生してきています。これには縁がありました。小林多喜二の母を主題にした映画「母 小林多喜二の母の物語」(山田火砂子監督ー2017年制作)をあるかたが見に行こうと誘ってくださいました。さすがにこの年になっていますから、母ものへの抵抗感は消えており、行ったんです。この多喜二の母を機に何かにつけて、母関連の記憶がときどき戻ってきたのです。
この際の主題は何も母ではなく、人が生きていくときに支えになるのはやはり人(ひと・ひとびと)だということです。おはぎをもってきてくれたかたも、映画に誘ってくれた方も、私には重要なそういうおひとりです。私がそう言う人になり得ているのかは、心許ないのですが、お互いにそういうひとがいるからこそ、【自身】を失わずにいられるのでしょう。
今回の企画は失敗でしたが、言わんとすることは分かった、分かりやすいし、重要なことだと言ってくださる方もおりました。次に繋がれば幸いです。いや繋ぎます。
負け惜しみに、「少年よ!大志を抱け!」というのがあるのだから、「老年よ!大志を抱け!」と言うのもへんではないし、それでいこうと決めた次第です。