ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

私のマンゴー物語(20200716)

2020年07月16日 | その日暮らし
 おはようございます。昨夜はくたびれて、さっさか寝てしまいました。何をしていたのかといえば、マンゴーやらパインを買い付けて、送ったのです。夕方無事に発送完了。久しぶりに筋力をつかったので、あちこち痛い。
 昨日は「マンゴ-の日」でした(7月15日)。たまたま私の都合が重なっただけですが、それが裏目に出てお店が混んでいた。ひと汗かいたり、雨にも降られ、冷や冷やでした。ついでにここ数日間使えなくなっていた携帯電話を直してもらいました。
 私が沖縄に通い始めたのが、1989年5月でしたが、パインをお土産に買うことはしばしばでしたが、マンゴーを買うことはありませんでした。高いし、傷みやすいし。
 マンゴーと言えば宮古島だったり、石垣島な訳ですが、今年はマンゴ-の最盛期に両島に行けません。残念です。宮古にも石垣にもマンゴ-と言えば、この店でというところがあるのですが。
 ところで、私のマンゴー物語です。これは縁がある。というか、1987年、1988年にフィリピンに行き南タガログの皆さんらと交流してきたのですが、この時初めて食べたマンゴーに魅せられたのです。世界にはこんな旨いものがあるのかと、南の国の魅力に酔いしれました。
 私は暑いとこは苦手だったのです。そうした自分の「常識」を覆したのがフィリピンであり、特化していえば、マンゴーだったのです。フィリピンとの出会い、マンゴーとの出会いがなければ、沖縄に行くこともなかったでしょう。まして沖縄に引っ越してくるなどありえません。
 昨夜はこうしたことをしみじみと思いました。未だ身体の痛みもあり、そうだったなぁと。反米・反アキノのフィリピン民衆の闘いから、沖縄の自律、反基地の闘いへ。食い物の味・記憶を身体で覚えています。マニラでの武装警察や軍との対峙も記憶に鮮明ですが、この時の記憶がフィリピン体験となり、沖縄への基礎となり、今の私を作ったのです。
 昨日は久しぶりに重たい荷に喘ぎましたが、多分来週にはカメラをもてる段階まで復活できるでしょう。マンゴー物語で、復活です。改めて皆様方の篤きご支援に感謝です。


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