私は在沖米軍の、在日米軍のコロナ禍の拡大の中で、頭がコロナに侵食されそうです。そのために、1週間余り書けずに来ました。これはないよなと思っているのは以下。
週刊金曜日の2020年7月3日号の永田政徳「安倍改憲断念 政権終幕へー敵基地攻撃能力は『遺産』の口実」で主張されていることに私は全く同意できません。
彼はこう述べています。安倍首相の6月18日の記者会見で「敵基地攻撃能力を巡る会見での質疑も局面を転換させる演出のひとつだった」。「『安倍改憲の事実上の断念』となったタイミングで飛びだしたのが敵基地攻撃能力保有の検討だった」、「見せかけの『遺産』として敵基地攻撃能力の議論を演出しながら、政権は終末に向かってゆるやかに坂を下っているのだろう」と結んでいます。
私は著者の永田さんを存じ上げませんが、これはいくらなんでも浅薄すぎます。ここで書かれているのは政局論であって軍事論にあらずと言うのでしょうが、それにしたって私は同意できません。
問題は3つあります。①安倍首相の改憲論は、とっくの昔から建前論です。②敵基地攻撃能力論をもちだしてきたのは、改憲断念のためではありません。直接はイージスアショアの導入を見送らざるを得なかったからであり、そもそも彼等は敵基地攻撃能力に踏み込んでいました。それこそ演出ではなく、実質改憲の直球を投げているのです。③安倍政権は、このまま緩やかに坂をくだっていくのでしょうか? だといいのですが、私はそんな楽観論に立つことはできません。
まず①について。安倍首相は終始改憲を叫び大見得をきってきました。拉致問題が破綻しても、領土問題がオシャカになっても、これだけあれば、大丈夫かの如く。安保-改憲を巡っては、2015年の安全保障法制の成立で殆ど何でもできるようになりました。米日軍事同盟の旗が立ち、身体ができ(自衛隊が立派な・愚劣な軍隊になった)、心の準備もできました。解釈改憲=実質改憲の道を疾走しているのです。
②私が指摘するまでもなく敵基地攻撃能力をもつべしは、イージスアショアを断念した翌日から彼等は声高に叫びだしています。「遺産」じゃありません。これこそ本命。2018年の防衛計画大綱をご覧下さい。
③安倍政権は露骨に2つの顔をもっています。米国・財界に向かう顔と、野党・国民に向かう顔。後者の裏でウハウハ儲け話を進めており、彼等なりの「大成果」をあげています。だから幾らデタラメをやっても、懲りないばかりか、復活してきた。「緩やかに坂を下る」ほど、甘い球ではありません。トコトン追い詰めていく戦略と陣形が必要ですが、私たちはここの自覚が足りません。先日の都知事選の結果をみれば、権力は盤石ですよ。
こんな甘い話しを「週刊金曜日」の編集部は、よくもまぁ7月3日号の基調的な文として載せたものです。私は同紙編集部の見識も疑います。
◎追記:私がこの文を読んで真っ先に頭にきたのは、こうした政局論に欠けているのは、この国によって、戦場に想定されている琉球諸島の現実についてひと言もないことでした。琉球諸島にも人が生きています。日本中に人は生きているのです。
そしてこうした政局論は、国家・国民の加害責任を端から消している事を如実に示しています。まだまだ私たち「日本人」は、反省せずに生きているのです。(続く)