人生をぼーっと生きてきたら、何もこだわらず、何も考えずにきてしまうのだろう。否、ただ欲深になるだけか。大人になる前の私の一番最初のこだわりの原点はこれだと思う。「起立!礼!休め!」こうした号令を受けていた小学校時代。私は全くなじめなかったものだ。
川崎市の小学校で1年生の担任が、この「起立!礼!」を上手く言えなかったと叱責し、全員を1時間立たせておいた事が報じられている。これは体罰でもあろうが、1年生が意味不明なまま立たされたら、先生発のイジメだと、直感する子がいるはずだ。
先生は猛省すべきだ! 自分が子どもたちに何をしたのかを考えるべし。
私の記憶は鮮明だ。なんでこうして同じ姿勢をとらされるのか、納得できなかった。この形式は戦前の教育のままだったのだ。理屈なんて関係ない、上からの命令を体で覚えさせる。これが民主教育だとすれば、呆れかえる。
川崎市の例も戦前回帰の流れの中にあるのだろう。体で順応させられる結果が今の安倍政権を安泰にしているのだろう。順応させられては、個性もヘチマもない。自主的に考える経路が塞がれてしまう。
冗談じゃない! 今の沖縄ではどうなのだろうか? ぼーっと生きているんじゃないよ。
こうした結果が今という時代を築いてしまったのだ。