昨日(2021年12月10日)、Yさんと頼和太郎さんのことを話していた。頼さんとはリムピース編集長の頼さんであり、沖縄ではいささか有名な方だった。
今朝、ツイッターを見ていたら、その頼さんが亡くなった(73)事を知った。海難事故だという。思わず、ひとりで、「エッー!」と叫んでしまった。2021年12月10日早朝、病院でのことだという。本日、午前、辺野古テントで、Yさんらにこのことを報告した。そして多少状況が分かってきた。12月9日10時頃、三浦半島の三崎沖でカヌー練習中の事故らしい。波風が高かったようだ。事故の状況については、まだ分からないことが多いので、後日とする。
私が彼を知ったのはいつ頃だったか? 多分20年以上前だったと思う。東京の横田基地の行動でだったか、横須賀だっただろう。沖縄でお会いしだしてからも、10数年が経つ。私が沖縄に越してきてからは、辺野古テント村常連メンバーとしても彼を認識していた。
彼は私の同志であり、先輩であり、先生だった。沖縄での基地ウォッチングの私の成果をリムピースに報告させて頂いていた。また、自分で調べても分からないことを色々教えて頂いた。今年最大の成果は、中城湾津堅島沖でのパラシュート降下訓練時の怪しい船のことだ。指揮・救助の船だと思うが、一見民間船であり、途方にくれていたら、彼が調べてくれた。キャロリン・シュウストだと。彼ですら、船体の色が変わり、レーダー等の上物の装備も換わり、即答できなかった代物だ。私ひとりでは手も足も出なかった。
軍事ウォッチャーには、軍事マニアは多いが、反戦・不戦の立場を貫きながらの軍事ウォッチャーは珍しいのだ。まさに同志だった。平和運動というと、武器のこと・軍隊のことを真剣に考える人は少ない。だから実態に迫れないのだ。そうした中で彼等の取り組み、リムピースが果たしてきた成果は少なくない。リムピースは、相手の動きを追うことができる唯一のメディアだっただろう。最近では私の投稿に「沖縄の基地 ヤマヒデが視る・考える」とネーミングしてくれていた。彼は、この見出しを考えるのに、一苦労したと伝えてくれていた。「お気に入りです」と電話で話したのが最後になったのだ。感謝するしかない。
今後、リムピースをどうやって運営していくのか不明だが、継続されるならば、わたしなりにできることは、積極的に担いたい。大変微力ながら、私自身がもう一歩前に出てやるしかあるまい。彼の志を引き継ぎ、大きくしていくのが、残された者たちの使命だろう。私も気持ちを取り戻して、頑張りたい。合掌
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