ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【補足】沖縄島南部に行ってました(20210221)

2021年02月20日 | その日暮らし

 おはようございます。私は2月18日~20日、沖縄島の中にショートトリップに出かけていました。ブログの更新がないとご心配戴いた方からメールをいただきました。ありがとうございました。私は無事に帰宅しています。

 今回の旅は糸満市・八重瀬市へ。目的は防衛省がこの南部の土砂を新基地建設の埋立てに使うと言い出しているからです。これを現地に当たって把握したかった。結果は予想以上の成果を出せました。18日はひめゆり平和祈念資料館を見学してから歩きました。ここを見たのは正解でした。心が凜としてきて、各所でイメージが湧いてきました。ラストは魂魄の塔でシマキンパラの群れに出会いました。亡くなられた方々の魂が私にシマキンパラを誘い出してくれたのかもしれません。19日は前日よりも広範に調査しました。ここにもあそこにも削られた山肌が露出していました。またこの日のラストは平和祈念公園で帰りのバス亭に向かおうとしたら、そこにバスがおりました。慌てて自分の身体が金縛りに遭い動けなかった。運転手さんが待って下さった。1時間に1本のバスですから貴重であり、感謝です。

 私にとって歩くことが基本です。基本の基なのです。歩きながら思うのですが、人は目的意識があって初めてフル稼働できるのです。だから何処に行くときも、何処を歩き何をするかを決めておきます。やたらと歩いてもダメです。若いうちは感性が豊かですから、何でもオーケイ。体力の余裕もあるから。歳をとると、そんな余裕がないから、目的意識性が益々大切になります。

 こう考えると、敗残兵の逃避行とか、もう絶望的ですよね。ないないづくしのうえに地を這いつくばりながら迎える死。肉体も精神も潰されるのですから。壕の中で息を潜めていた人達だって、もう後先がないのですから。ひめゆり学徒隊も解散命令の後に多くの人達が亡くなりましたが、指示系統がなくなり、だからといって直ぐに生き抜く姿勢に転じられなかったのだと思います。茫然自失してふらふらしていたら、やられてしまいます。

 私は自分が生きるために、また一人でも多くの人が生きるために写真を撮り続けたいと願っています。

 そうだ、書き損ねるところでした。3日目の予定は全くのアウト。完璧な失敗となりました。ただこれは自分の責任ではありません。当てにしていた交通機関が動かなかったから。早朝真っ暗な中を行ったのに、ドヒャーでした。お陰で県立図書館に初めて行ってきました。初めて行きながら生意気に提案してきました。何かと言えばこういうことです。図書館の分類はNDC分類(記号)でやっています。この分類はなかなか優れものなのですが、本には様々な要素が含まれています。文学ならば、日本文学・詩・著者名などで概ねオーケイですが、社会科学系などだと多重的で如何様にも分類できる本も少なくない。例えば沖縄戦関連本は、日本史(近代)・地域(沖縄)史・地誌・文化史・軍事・などなど着目の仕方で分類はばらばらになりかねません。見る側からすると県立図書館なのにこれしかないのというイメージになりかねません。

 私が提案したのは、ここの書庫の関連本はどこそこにもありますという掲示があると便利だと言うことです。これをつくるのはかなりの手間がかかりますが、来館者のここが知りたいに答えられるシステムと人員(能力)が必要です。近頃では検索機能がついていますから、著者名が分かれば、書名が分かれば出てきますが、その背後のことから探ろうとするとなかなかたどり着けないものです。

註:この話しをしたととろ、図書館員の方がメモ書きしてくださいました。上司にあげて検討してみるとのことでした。

 県立図書館のように蔵書数が多いと、よりどりみどりになり、どこからみたらいいのか、迷います。普段そこそこの規模の公立・学校図書館で見慣れていて、よしこれを探しに行こうと思うのがいいのかなと、元図書館員の私は考えます。

 



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