「ガマフヤー」の具志堅隆松さん等が再びハンストを始めた。県庁前での初日(2021年6月19日)に私も行ってきた。8時から始めたらしいのだが、私が県庁前に着いたのは、12時を回っていた。
3月のハンストと比べてやけに静かだ。12:30
豊見城市議会は、この問題を一旦否決したが、彼らがハンストに入り、人道的な問題だと説得した。全会一致での決議となった。市民が動けば、議会を動かすこともできる典型となった。13:09
その金城さんと挨拶を交わす具志堅さん。健闘をたたえ合う姿が眩しい。13:09
若い人たちの起ち上がりは、眩しい。これからの時代を見据え続けてほしい。世代を超えて頑張ろう。13:14
地元テレビ局の取材に応じる具志堅隆松さん。13:38
私は出遅れたのでこんなのを撮るしかないが、沖縄のマスコミの影響力は大きい。13:41
暫く黙々と座り込む。
彼が取り出したのは、沖縄戦当時米兵が使っていた食器。銃弾が貫通し、4カ所に穴が開いている。前田高地で回収したものだ。4箇所に穴が開くのはどういうことなのだろうか。15:20
これも同じく米兵の水筒。貫通している。他が綺麗なだけにビシッとくる。15:23
実物の力は偉大だ。彼らが回収したものだけに余計にリアル。
15:34 人道的見地からも沖縄県は、国の変更申請を「不承認」すべきだと述べる。街頭署名もやっている。
水の差し入れに感謝する具志堅さん。この日は暑かった。15:40
撮っている私も暑いのだ。
日本山妙法寺さんが参加している。15:51
しかし他の宗派の人達は参加しないのかな。
東京から竹田上人も来ている。15:53
具志堅さん等のハンスト再開の報を聞き、首里から来ましたと言う女性。16:02
家族が沖縄戦で亡くなった人たちの話は、身に受けてきたことだから、迫力がある。聞くのも撮るのも生半可にできない。
具志堅さんも聞き入っている。16:02
発言が途絶えると。16:22
彼女も遺族。幼少時の体験だから、記憶は途切れ途切れだが、お父さんと弟の死を忘れることはできないようだ。当然だ。そこで断ち切られたのだから。16:30
失われた遺骨への記憶は、生きるエネルギーになっているようだ。16:31
彼も遺族だ。3月のハンストにも来ていた。16:40
彼も3月のハンストに来ていた。お父さんが沖縄戦の生き残りだ。壕から「泣く幼児は出て行け」と言われてお母さん(彼からすれば祖母)とお父さんの妹たちが殺されたと聞かされながら、生きてきたと語る。そんなことを繰返したくない。16:48
かれも3月のハンスト以来の日本山妙法寺の上人。聞けばネパールで修行中だとか。コロナ禍で戻れなくなり、参加しているようだ。16:52
彼は俗人だが、ハンスト経験の強者。16:54
もっともっと多くの人々が声をあげよう。20日は県庁前で、21日から23日の慰霊の日まで糸満市の平和の礎そばでハンストを継続する。
ひとり一人の意思をあちこちからあげていこう。
沖縄戦の遺骨混じりの土砂を使わせないとの思いは、皆の共通した思いだろう。