裁判所の検閲は不当ー「国家犯罪」と「違法行為」は、どこが違うのか?
本日の沖縄タイムス「論壇」に浦島悦子さんが書かれた「辺野古抗告訴訟―裁判所陳述書を『検閲』か」を読んだ。
本件裁判は、辺野古・大浦湾沿岸住民20名が起こした玉城デニー知事の沖縄防衛局の設計変更不承認を取り消した国土交通大臣の「裁決」は違法だと提訴したものだ。この原告の意見陳述文を裁判長が事前に提出させ、「国家犯罪」「犯罪行為」「断罪」を書き直さなければ、意見陳述を認めないと言ってきたようだ。
私は同裁判の報道を見て、これを知っていた。また、4月1日の辺野古での集会でも同趣旨のご本人の発言を聞いていた。明らかな裁判所による検閲(日本国憲法第21条➁「検閲はこれをしてはならない」)だ。
だが問題は「国家犯罪」を「違法行為」、「断罪される」を「責任を問われる」との間に如何なる違いがあるのだろうか。私は2時間考えた。福渡裕貴裁判長は『訴訟指揮の範囲』だと原告の主張を切り捨てたそうだ。
冷静に考えてみよう。浦島さんが使った「国家犯罪」「断罪される」は、明らかに「違法行為」「責任を問われる」よりも強く、幅の広い表現だ。
知事が行なった「変更不承認決定」は沖縄防衛局が出した「変更承認申請」に対するものだが、その書類だけの問題なのだろうか?! 日々現場で見ていれば、「変更承認VS不承認」、国交省による「不承認取り消し決定」は、明らかに生物多様性条約が示す生物多様性を日々、24時間踏みにじっている。既に埋め立てられつつある辺野古側は、砕石と土砂、テトラポットとコンクリートによって沖合650mまで(辺野古松田ぬ浜側)埋め立てられている。これによって、荒天時、海底は波に洗われ、埋立地外も元の自然は壊され続けている。
沖縄防衛局による「変更承認申請」は、この領域ではないが、工事はその延長部分であり、また、もしも大浦湾側の工事が始まってしまえば、同様な事態が、否、軟弱地盤であり、もっと甚だしい自然破壊が起こるだろう。
現実は、とうてい個々の違法行為認定では済まない問題なのだ。そして浦島さんが言う「国家犯罪」とは、沖縄防衛局・防衛省に留まらない。国土交通省はもちろんだが、「臨時立入制限区域」を設定し、埋立工事を始めた安倍政権以降の政権責任が含まれる。さらに自然破壊は工事が終わっても終了せず、その後に引き継がれていくだろう。ここを使うことが想定されている米軍海兵隊や自衛隊の責任までを考えた「国家犯罪」だと言えるだろう。
住民のこうした工事に対する懸念は、法が想定する静止的なものではないのだ。浦島さんが指摘したように「国家犯罪」と言うしかない暴挙に、ここの自然も、住民も襲われていることに、私たちは自覚的であるべきだ。そこを撃つ闘いが私たちに求められている。
【追記】上記の文を挙げてから、私はご本人に、ブログに書いたので、読んでくださいと連絡した。そしたら「意見陳述書」を送ってくださった。生物多様性を誇る辺野古・大浦湾について書かれた格調の高い文書だった。「国家犯罪」という言葉が、妙にすぽっと嵌まっているのが不思議なくらいだった。
やはり裁判長は、深読みしているのだ。前後の文脈を切り離し、言葉探しをしたのだろう。「この計画が、自然を破壊し、生物多様性を損壊するという根本的な『国家犯罪』であるという」くだりを『 』内だけを二重線を引いて読んだのではないか。
一部を紹介する。「軟弱地盤と言われている場所は、ヘドロではなく、柔らかい砂泥に包まれている無数の小さな生き物たちが息づいている命のゆりかごであり、大浦湾の生物多様性の底辺を支える大切な場所です。『地盤改良』の名目でこれを固めることは命の大殺戮であるだけでなく、大浦湾の生物多様性を根本から損なうことになります」。
彼女は、以前から「軟弱地盤」「地盤改良」にこだわっていた。物理的な改造ー自然破壊への根源的な拒否感が強いのだ。自然界とは管理されたプールではないことを知っているのだ。
私の指摘が的外れでなかったことに、内心安堵している。(ヤマヒデ)