2024年6月23日19時40分頃帰宅。例によって、片付けたり、掃除したり、調理していたら、あっというまに21時を回ってしまい、疲れもあって、書けず。22日は那覇に行き、午後、県庁前でやっているガマフヤーのハンスト現場に駆けつけた。タイミングが悪く、ご本人は、映画「骨を彫る男」の舞台挨拶に行ってしまった。
お陰で撮影のタイミングを失い、無意味になった。そのまま帰るわけにも行かず、テントの撤収を手伝つだった。今日中に明日の平和祈念公園の所定の位置にテントを張るという。撮影は明日(23日)までお預けだ。
まだ明るい内に、久しぶりになってしまった宿を探す。見当たらず。忘れた。約150m外していた。
23日朝、7時頃、宿から平和通りを経て、県庁前に行った。まだ人気の無い、平和通りで、キジバトがデデポーポーと啼いていた。アーケードの中だ。やや面食らった。そして県庁前から初めて私は平和公園に向かう無料バスに乗った。「慰霊の日」のための県庁からのサービスだ。約35分で着いた。楽させていただいた。ガマフヤーのテントを直ぐに見つけ、今日は撮影モードに入れた。詳細は別途書く。
13時30分頃、魂魄の塔近くまで移動。途中でO君がバイクに乗せてくれた。久しぶりのバイク(125CC)だったし、カメラを持っているし、不安もあったが、無事に到着。国際反戦集会にギリギリに間に合った。歩いていたら、到着した頃には終わっていただろう。暑さの中で、気落ちしたに違いない。O君に大感謝だ。
因みに彼は沖縄を撮ることを私に導いてくれた男。何年ぶりにあったのだろうか。私が辺野古テント村を去ったことを知っており、気にしてくれていたようだ。帰路は帰路で、Aさんが高速の山里まで送ってくれた。色々と話しを交わしながら来たので、今後何か生まれてくるかもしれない。彼はウチナーの人だが、お互いの問題点をお互いに知っており、話しを深めていけそうな予感がする。じっくりと考えていきたい。
総じて、行った意義を得た2日間となったのだ。