今日(2021年12月7日)、辺野古でアサギマダラ(3頭)をみた。否、正直言って、タイワンアサギマダラなのか、ルソンアサギマダラなのかの区別がつかない。飛んでいるだけで、撮影できなかったし。ひとまず、アサギマダラspである。
沖縄には、東北南部から渡ってくるアサギマダラが確認されているようだ。私が最初に見たアサギマダラは、1968年8月17日ー19日の妙高高原・妙高山(新潟県)だった。妙高山にはライチョウもおり、私はライチョウもアサギマダラも妙高山で初めて見たのだった。この妙高山の企画は、私たちが「若さの探鳥会」と称して、日本野鳥の会東京支部の中で、若者グループ有志が立ち上げたものだった。私はまだ高校生だった。
自然を見始めたばかりだった私は、何事にも新鮮だった。アサギマダラの茶と水色の翅が青空に映え、悠然と飛んでいる姿は美しすぎた。
このアサギマダラを琉球諸島で見たのは、確か2011年の与那国島だったと思う。私の固定観念に、アサギマダラと言えば高原の蝶だとあったので、「これとあれは同じかよ?」と疑い、驚かされたのだった。さらにアサギマダラは東北から琉球諸島まで旅をすると知ったときの感動も忘れがたい。美しさだけでなく、アサギマダラは強者なのだと、ますます畏敬の念を抱いている。
研究者になれなかった私の昔話だが、ひとつひとつの自然認識、社会認識の積み重ねがあって、今があるのだ。だからこそ、こうした体験を忘れていないのだ。年月日まで覚えている。
そして私にとって、1968年と言えば、チェコ・スロバキアの「プラハの春」を忘れることはできない。ソ連圏に位置づけられていたチェコ・スロバキアで民主化運動が起こり、この8月20日、それを潰そうと、ソ連軍がチェコに軍事侵攻したのだった。私はそのニュースを長野駅近くの喫茶店で聞き、愕然としたのだった。
同時代的に、国内ではベトナム反戦運動や学生運動が盛り上がっていたようだが、自然保護運動に忙しかった私は、余り関知していなかった。
いずれにしても、私はこの体験を通して、ソ連社会主義はバツだと思ったことは確かだ。人間の歩みは、不確かで、愚鈍だ。欲にまみれすぎている。
アサギマダラの美しさは50年余り変わらないが、欲にまみれ、愚鈍で、不確かな人間は、ますますその度合いを深めているようだ。東西対立という言葉は死語になったが、米中対立が深まり、また、それ以上に見境いのない振る舞いが、生命系としての地球を破滅に追い込んでいく。
「どうにも止まらない」流れを止めることができない私たち。しかしここで抗うのは、諦めないのは、自らの不確かさと、愚鈍さと、欲まみれを、他人事であることを超え、自覚しようとしているからだろう。また、次の世代への責任を自覚しているからだ。ダメ元でもやるしかないことはあるのだ。